ストーンヘンジ

最近アメリカ政府が公式にUFOの存在を認めましたが(ただし、宇宙人の飛行船とは限定せず、気象現象や他国の新型航空機などの可能性も排除してはいません)、世の中には不思議なものがたくさんあります。古代の遺跡についても、さまざまな謎が報告されることがありますね。

たとえば、古代マヤの遺跡からは「これは宇宙船ではないか?」思わせるような図が描かれた石棺が見つかったりします。


モアイ像はどうでしょう? あの巨大な石の彫刻はひとりで歩いてきたという伝説があります。

現代の考古学者がたてた仮説によれば、あの石像の左右にロープをつけ、片方を持ち上げたら浮いたほうを少し前に出し、次に反対側に傾けて他方を前に出し、ということを繰り返せば少しずつ前進し、まるで歩いているように見せることができる、としていますがどうでしょうか? 


あれほど巨大な石像をこのやり方で移動させるとしたら、3体に1体くらいはロープを引っ張りすぎて、人々の上へ倒れこむ事故が起こるのではないかと思うのです。それをもとのように立たせるのはテコやコロではどうしようもありません。

結果として、移動の道々にはひっくり返った石像や、事故によってつぶされた遺体の骨がたくさん残っていてもいいような気がします。

これからお話しするストーンサークルやドルメンなどの巨石遺跡も、これらの遺跡に負けず劣らず不思議な建造物です。

不思議な巨石遺跡

ケルト人が古代史に登場するのは紀元前2000年紀から1000年紀、ヨーロッパ中央部のドナウ川あたりで出現したとされていますが、巨石遺跡は古いものだと紀元前4000年頃のものもあります。

その頃といえば、人間の生活は狩猟採集中心で、使う道具も石でできた斧やナイフといったものだったでしょう。その人間たちがあの巨大な建造物を建てたというのでしょうか。

巨石遺跡には大小さまざまなものがありますが、最も巨大なものは、ロクマリアケール村の「メン・エル・ロエック(妖精の石)」と呼ばれるメンヒルです。今は倒れて5つに割れてはいますが、合わせると長さ20メートル、重さ350トンあります。

この巨大な石を立たせるのは、現代の重機をもってしても相当困難なことです。普通は不可能でしょう。せいぜい20~30トンが限度です。

それだけではありません。同じように30トンも40トンもあるような石が、垂直に立たせた数メートルから十数メートルの高さの石の上にバランスをとって乗せられ、それが何千年経っても崩れない、そんな遺跡がいくつも残っているのです。

たとえば河原に行って、長さ10センチくらいの石でストーンヘンジ(一番上の写真)の模型を作ってみてください。1か所に集めるのは簡単です。しかしそれを立てるとなると、単に立てただけではひっくり返ります。

少し穴を掘って石を立て、土砂で固めれば立つことは立ちます。それを二つずつペアにして、その上に横にした石を乗せます。乗りますか? 乗せるためには二つの石の高さを厳密に同じにしなければなりません。

さらに上に乗せる石はバランスをとって乗せられなければなりません。1ペアくらいはうまくいくかもしれませんが、二つ目はどうでしょう?

そしてこれらの石柱をなんとか正円に並べられたとして、その列はきちんと夏至や冬至の位置を指し示しているでしょうか?

長さ10センチの石でさえ、かなり難しいと思いませんか? それを1個何十トンもある岩で建造するのです。

石斧や石の矢ジリしか知らないような人間たちが、どうしてこのような奇跡を行えるのでしょうか? 

ケルトの人々は、これらの遺跡は妖精たちが作ったものだ、と信じていました(今もかな?)、あるいは、もう海中深く沈んでしまった伝説の大陸、アトランティスの技術者が建てたものではないか、という説もあります。オカルティックですね。

さて、謎は謎として、今分っている範囲のことをお話いたしましょう。

いろいろな巨石遺跡の種類と役割


一口に巨石遺跡といってもさまざまな種類があります。その形の違いは役割によって決まるようです。

・ケルン(石積塚)

ケルンで最古のものは、ブルターニュはブルエゾッホ村パルヌネのケルンです。炭素14法やルミネセンス法とよばれる最新のテクノロジーを使って調べたところ、このケルンは紀元前3600年頃のものだそうです。エジプトのピラミッドが建造され始めたのが紀元前2800年頃からですから、それよりも1000年ほど前につくられました。

ケルンという建造物には5個の墓室があり、それぞれ羨道がついています。このことから共同墓地だという見方が有力です。

・墳墓群

カルナックにある大墳墓群が有名で、紀元前3500年頃に建造されたという説が有力です。この墳墓はケルンに大規模な盛り土を施したもので、やはり共同墓地のようです。

・ドルメン

ドルメンとはケルト語で「石のテーブル」という意味です。まさに巨大なテーブルの形をしていますが、定義としては、ケルンや盛り土を伴わない石室構造をもった巨石群全般を指します。やはり墓地の一種と思われます。

・メンヒル

メンヒルは一風変わっていて、巨大な石を立たせた形のものをいいます。単独で立っているものや複数で立っているものがあります。

周りに遺骸が埋められた形跡はないので墓標ではないようです。といって道標というのも考えにくいです。というのは、道標のために遠くから巨石を運んできて、それを立たせるという労力を使う意味があるだろうか、という疑問が残るからです。メンヒルについては、現在も謎とされているのです。

ただ、イギリスのストーンヘンジは天文台として使われたという説が有力です。

・クロムレック(クロムレッヘ、ストーンサークル)

「クロム」はケルト語で「取り囲む」「曲がった」、「レック(レッヘ)」は「場所」という意味です。

カルナック町のクリュキュノ遺跡のクロムレッヘは、ドルメンの東300メートルのところにあります。この遺跡は南北25メートル、東西33メートルの正確な長方形を形づくっていて、対角線の延長上が、夏至・冬至の日の太陽の、日の出・日の入りの場所と一致するように作られています。

かつてクロムレックは、太陽信仰に関係する天体観測所として使われたのではないかと推測されていましたが、それにしては規模が大きすぎます。ひとつの島全体がクロムレックになっているという例さえあります。また、列柱群が太陽の運行などの天体の動きと関連付けられてもいないようです。

現在では、クロムレックこそが神聖な場所である、という説が最も有力なようです。クロムレックにはメンヒルが列をなして並んでいる例があります。この列柱は、聖地としてのクロムレックへ導く回廊であり、複合列柱群は墓所を中心とした巨大な霊場なのではないかと考えられています。

巨石遺跡の民間信仰

もともとは墓所であったり神聖な場所として、祭儀を行う場所であったり、はたまた天文台として使われたかもしれないこれら巨石建造物ですが、時を経るにつれて人々の想像力はこれらを民間信仰の対象とし、さまざまな民話が生まれました。

以下は、フランス・ブルターニュの例です。『ケルトの水脈』の著者、原聖氏はフランスの他ではあまり見られない風習であるとしていますが。

妖精の住処

たとえばエッセ村にある巨大ドルメンは「ラロッシュ・オフェ(妖精の岩)」と呼ばれています。

これは長さ19メートル、幅5メートルのドルメンで、42個の巨石の上に8個の天井石が乗っています。一つひとつの石は約40トンあるそうです。ここに住む村人たちは、これらの石は妖精たちによって運んでこられたと信じていました。

ブルターニュの民族描写をした書物『ギャルリー・ブルトン』には、これらのドルメンについて次のように記録しています。

農民たちはこうしたドルメンを『ティ・アル・ゴリーケット(妖精の家)と呼ぶ。クリケット、クリル、コルニカネットなどというのは、いたずら好きの森の精であり、皮膚に皺(しわ)がより毛深く、醜い顔で手足はやせてひょろ長く、夜にはコウモリに似たぎざぎざのある黒い羽で飛び回り、そこにいくつもの輪を作って、次々と混ざり合い、溶け合い、鋭い叫び声と不気味な笑い声とともに、廃墟にこだまする風の音とともに消えてしまうのである。

結婚祈願

巨石遺跡が異界への入り口であるという信仰から、そこには死者の魂が集まってきており、次の生を待っている場所だとも考えられました。そこで、結婚や出産を祈願する女性がおまじないをする場所と考えられるようになった所もあります。日本でいえば「とげぬき地蔵」のようなものでしょうか。

メンヒルの滑り台

サンジョルジュ・ドランタンボー村とロクマリアケール村のメンヒルには滑り台のようになっている部分があります。結婚を祈願する女性はここを滑り降りて、お尻にかすり傷ができたら、その年のうちに結婚できると考えられました。

また、ルーヴィニエ・デュデゼール村モントーにある滑り台も、滑り降りることで結婚の願をかけるのですが、ここの特徴は滑り降りたことを人に知られてはいけないという決まりがあることです。また滑り降りたことを岩にだけ知らせるため、布切れやリボンをその証拠としてそこに置かなければなりません。

出産祈願

結婚をすれば子どもがほしくなります。しかし、望んでも子どもが授からない女性は、遺跡に救いを求めました。

・ドルイドの聖石

ロコルン村には「ドルイドの聖石」という岩があります。村の守護聖人である聖ロナンは、この石に乗ってアイルランドからやってきたとされました。

新婚の女性は夜中にここへ来てお腹をこの岩にこすりつけたといいますし、子宝に恵まれない女性は、三夜これを繰り返すと子どもを身ごもることができると信じられていました。

・暑い石

カルナック町のクルーズ・モケンのドルメンは「暑い石」と呼ばれています。子宝を願う女性は、満月の夜にここへやって来て、スカートをまくり上げて石の上に座ったということです。

・その他の例

プロエルメル町サンカドール村のメンヒル、プロンヴール村のメンヒル、サンテチエンヌ・アンコグレ村の「聖ウスタッシュの石」、サントーバン・デュコルミエ村にあるロッシュ・マリのドルメンなど、同様のおまじないをすれば願いが叶う遺跡がたくさんあります。

健康祈願

結婚・出産祈願の延長上に、健康にも効果があるのではないかという想像が生まれます。巨石遺跡に、病を治すご利益を求める民間信仰も生まれました。

  • ブルーガヌー村のクロムレック=リューマチが治る
  • モラン村サン・フィリベール礼拝堂にあるメンヒル=下痢を治す
  • ベネ村のドルメン=身体の痛みを和らげる
  • キャスト村のメンヒル=内臓の病を治す
  • サンマユー村のメンヒル=リューマチを治す

これらの例は、原氏がいうようにブルターニュ特有のものかもしれません。しかし、前話(第25話参照)でお話ししたように、巨石遺跡が妖精の住処だという民間信仰は、やはりイギリスにおいてもあったのだと思います。そしてその「異界」に行った魂は、再び生を受けて蘇るのだという民間信仰もありました。

『ライオンと魔女と大きなたんす』の「石舞台」

ラボ教育センター刊
『ライオンと魔女と大きなたんす』
C.S.ルイスの『ナルニア国物語』は、いろんな要素がごった煮のように盛り込まれていて楽しいですが、『ライオンと魔女と大きなたんす(ライオンと魔女)』に登場する石舞台は、ドルメン(石のテーブル)なのではないかと思います。

物語では、アスランが白い魔女の策略によって殺害され、石舞台に縛り付けられます。ところが無数の子ねずみが現れてアスランのいましめを解き、その後アスランは復活するのです。

私は正直にいって、この展開は安易すぎるのでは? と思いました。しかし、この石舞台がドルメンだとするならば納得がいきます。

子ねずみたちはドルメンの地下の住民すなわち妖精であり、アスランはドルメンの霊力によって復活する。これはまたキリストの復活にも通じるところがあるように思います(キリスト教とケルト民間信仰との習合?)。

さらに子ねずみの存在。

日本の昔話『おむすびころころ(ねずみ浄土)』は地下に浄土(極楽)があるという前提があり、そこの住民はねずみたちです。このねずみたちが、おむすびをくれたおじいさんにお礼をするのですから、ねずみ=妖精と考えれば、なにやら相通じるものがあるように思うのは、私だけでしょうか?

もっともこのエピソードは、ルイスが『ライオンと魔女と大きなたんす』を構想するにあたって情報を収集したなかに、日本の「ねずみ浄土」がはいっていて、物語に取り入れたということなのかもしれませんが。

さて、次のお話は、ケルトの神話についてお話ししようかなと思っています。

●参考にした図書

『ケルトの水脈』原聖・著 講談社学術文庫

講談社学術文庫「興亡の世界史」シリーズのなかの1冊。初版が2016年12月で、最新の研究に基づいて書かれた書籍です。

ケルトといえば、資料の多いアイルランドが研究の中心になりがちですが、ブルターニュこそが純粋なケルト文化を残しているとして、アイルランドのケルト研究を問い直す1冊です。

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どうぞよろしくお願いします。

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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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