第28話 ケルトの神話(その2)―トァン・マッカラルの語った「歴史」

2023/03/31

『グリーシュ』 『はだかのダルシン』 『妖精のめ牛』 ケルト 神話 物語 妖精

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前話では、最初にアイルランドに入植した種族から人間の祖先となるミレー族(ミレシア)族に至るまでのアイルランドの歴史(神話)を、ダーナ神族を中心にざっくりとお話ししました。

次のような種族がアイルランドに渡ってきたのでしたね。

  1. ノアの息子ピトと娘セゼール一行の入植
  2. バーホロン族の入植
  3. ネメズ族の入植
  4. フィルボルグ族の入植
  5. トゥアハ・デ・ダナーン(ダーナ神族)の入植
  6. ミレー族(ミレシア族)の入植=人類の祖先

バーホロン族を含め、ほとんどの種族は西からやってきたといわれています。バーホロンの父の名はセラといいますが、セラには「西方」という意味があります。

これは、ギリシアとの交流から生まれたのかもしれません。ギリシア神話ではオケアノスの西の彼方に冥府があるとされていますので(第25話参照)、その西方からやってくる死者は転生してまたこの世に生まれる、というケルトの信仰と融合しやすいように思います。

とにかくバーホロン族は西方からアイルランドに上陸します。その時は、男女合わせて24人しかいませんでしたが、やがて男女合わせて5,000人になります。しかし、疫病が流行しトァン・マッカラル一人を残して、全員死に絶えてしまいました。

今話では、このトァンがさまざまな動物に変身しながら見てきたアイルランドの「歴史(神話)」についてお話しします。

聖フィネン、トァンにアイルランドの歴史を聞く

6世紀頃、聖パトリックがアイルランドでキリスト教の布教を開始して、100年が経った頃のことでした。ドネガル地方マグヴィルにあった僧院の僧院長である聖フィネンが、思うところがあって異教徒である軍人トァンのもとを訪ねていきます。

トァンは最初、会うことを拒否するのですが、聖フィネンは断食までして会うことを熱望したので、トァンも折れて会うことにします。

その後ふたりは打ち解けて何でも話せるようになりました。そんなある日のこと、トァンは驚くべきことを話し始めます。

「わたしはアルスターの人間で、いまはカレルの息子トァンです。けれど以前、わたしはセラの息子トァンでもあったのです。父のスターンは、アイルランドに最初に渡って来たバーホロンの弟です」(井村君江著『ケルトの神話』より) 
※最初この文を読んだとき、「セラの息子トァン」といいながら、「父のスターン」といっているのはどういうことか、悩みました。無理やりくっつけた理屈は「セラ」というのは「一族の父」であり、実の父は スターン、ということかな?ということです。

トァンは、年老いてくるたびに別の動物に変身して若返り、アイルランドに上陸してきた種族の興亡を見てきたのでした。その生涯はじつに数百年に及びました。

ネメズ族の入植

自分の仲間が滅びて一人になってしまったトァンは、22年もの間、狼に見つかるのを避けて住処を転々とします。

やがて彼は老いを感じ、岩の洞穴で死んだように暮らしていたある日、彼の父であるスターンの弟アグノマンの息子ネメズ一行が、アイルランドに上陸してくるのを見たのです。老いさらばえた自分の身体を恥じたトァンは、彼らから身を隠しました。

そんなある朝、トァンは自分の身体に力がみなぎっているのを感じて目を覚まします。彼はいつの間にか雄鹿に変身していたのでした。トァンは喜び勇んで野を駆け回り、鹿の王になりました。

ネメズ一行は最初4人の男と4人の女しかいませんでしたが、年を経て人々は繁栄していきます。しかし人口が8,000人まで増えた時、なぜか突然滅んでしまいました。一説によれば海底の怪物フォモール族と戦い、30人だけを残して海に飲み込まれたともいわれています。

また後世の説によれば、30人になったうちのネメズ一族はブリテン島に移って統治者になり、他の2家族のうち1家族はフィルボルグ族に、もう1家族はダーナ神族となって、やがてまたアイルランドに戻ってきたとされています。

フィルボルグ族の入植

それから長い年月が過ぎ、トァンはまた老いを感じるようになりました。

ある日、森の洞穴の前に立っていると、また自分が別の動物になって力が湧いてくるのを感じます。トァンが自分の身体を見ると、猪になっていることが分かりました。トァンは歓びにあふれて野を駆け、猪の王になりました。

しばらくたったある日、トァンはフィルボルグ族(フィルボルグには「皮を持つ人」という意味がある)が皮の舟に乗ってやってくるのを見ます。フィルボルグ族は島を5つに分け、住みよい共同生活を始めました。

トゥアハ・デ・ダナーン(ダーナ神族)の入植

The Riders of the Sidhe" John Duncan 1911 McManus Galleries, Dundee.

時は流れ、またトァンは年老いていきました。

暗い洞穴でひとり、3日間何も食べずにいると、力が抜ける感じがしました。背中に羽根が生えてふわりと浮いたのです。トァンは海鷲に変身していたのでした。

トァンが空高く舞い上がって島全体を見ていると、魔法の雲に隠れてトゥアハ・デ・ダナーンの一族(ダーナ神族)がやってくるのが見えました。彼らは女神ダヌから生まれた一族でした。

ダーナ神族の姿がフィルボルグ族に見えるようになった時は、すでに神族は上陸を終え、コノート北西にあるレイン平原の砦に到着していたのです。神族はその優れた知恵と技術で、たちまちのうちにアイルランドを平定してしまいました。

ミレー族の入植

しかしダーナ神族の支配も、次にやってきたミレー族によって終わらせられます。

ミレー族は、地下の神ビレの息子ミレーに率いられた一族です。彼らは36艘の舟に乗船して西方からやってきました。

敗れたダーナ神族は、西方の海の彼方や地下に逃れ、そこに王国を築いて暮らすようになました。そして巨人だった彼らの身体は小さくなって妖精として人間に関わるようになったことは、これまで何度かお話ししましたね。

一方、ミレー族はそのまま繁栄を続け、現代の人間の祖先になります。

この、ダーナ神族とミレー族の戦いについては、別話を設けて詳しくお話しいたしましょう。

トァン・マッカラルの最期

トァンはまた身体が変化することを感じ、河のほとりにある木のほこらで9日間断食をしておりますと、眠りに襲われました。そして目覚めると、自分が鮭になっていることに気づきます。

また力がよみがえって河に入り、自由に泳ぎ回っておりました。

ところがある日、漁師の網にかかってしまいます。漁師はトァンを捕まえると、当時のミレー族の統治者カレルのところへ持っていきました。

トァンは料理され、カレルの妻に食べられます。するとトァンは彼女の子宮に落ち、やがてカレルの息子トァンとしてこの世に生まれたのです。

***

ここまでのことを聖フィネンに語ると、トァンは口を閉じました。

それから間もなく、自分の驚くべき経験を僧侶たちが後世に伝えてくれることを願いながら、トァンは数百年もの長かった生涯を閉じたのです。

ケルト民族のアニミズム

アニミズムとは、動物や植物だけでなく、石、山などあらゆるものに魂あるいは神性が宿ると考える信仰です。

この信仰は人間の根源にあるもののように思います。というのは、世界は不思議に満ちているからです。

なぜ太陽は東から昇るのか? なぜ季節が廻れば花は咲きやがて枯れるのか? 天は半球の形をしており、星は自由に動き回り、ときどきほうき星が天変地異を引き起こすように見える……。

その不思議の答えを求めるとき、宇宙を含め万物に神性があり魂が宿っていると考えるのが自然だと思うのです。すると人間の魂は、死んで身体は朽ちたとしても生き続け、別の何かに生まれ変わると考えることもまた自然です。

人間が死んだ後に次に生まれ変わるのも人間だ、とは限りません。春に花から花へ飛び回る蝶かもしれないし、さっき叩き殺した蚊は、もしかすると数年前に亡くなった祖父かもしれません。そういう感覚は人間ならば誰でももっている根源的な感覚なのではないかと思います。

(自分が日本人だからそう思うのかなあ? キリスト教徒は、そうは考えないのだろうか? 注)

トァン・マッカラルの物語は、そんなふうに、魂はどんなものにも変身しうるというケルト民族の信仰を、端的に表す物語でもあるようにも思います。

またそう思うからこそ、子どもを授かりたいと思う女性が、地下に住む死んだ魂が再生して自分のお腹に宿ることを願って、巨石建造物にお腹をこすりつけるというような風習が生まれたのでしょう(第26話参照)。

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(注)アニミズムは根源的な感覚?

私は、万物に魂や神性が宿っているという感覚をもっています。

20年くらい前だったか、高尾山に友達と登った時のことです。道のわきにあった古い大木のそばを通った時でした。身体が震えるような何かの音に共鳴するような、おののきのような言葉にできない感覚に襲われたことがありました。

この木に霊的なものが宿っているのかな?というような先入観などなく、突然そういった感じになったのです。やはり万物には霊的ものがあるのかもしれないと感じたのです。

子どもの頃から暗闇は怖いという感覚があって、それも影響しているかもしれません。

しかし、キリスト教のような唯一神を信じ汎神論的な信仰を否定する宗教においては、木に精霊が宿っているなどという考え方はとらないと思われます。

私は全世界各国の宗教を否定するものではありませんが、唯一神を信じる宗教にとっては、アニミズムなどというものは未開の宗教、低レベルの宗教ということになるのかな?と思った次第です。

もしアニミズムを根源的なものではないとしたら、唯一神を信じる宗教はわざわざそれを否定する必要はありません。

でも、遠藤周作の『深い河』だったと思うのですが、日本人である主人公が神学を勉強するにあたって、アニミズム的解釈を持ち込もうとしたとき、それは汎神論的だと強く否定され、キリスト教宣教師としては失格だとされました(手元に本がないので記憶はあいまいです)。

そういう考え方がキリスト教において一般的だとすると、アニミズムは根源的なものだとしたうえで、極端に言えばそれは異端的なものあるいは邪悪なものとして退ける傾向があるのかもしれません。

日本人はそのあたりは突き詰めて考えない傾向があるので、キリスト教的考え方もアニミズム的な考え方も受け入れてしまうのかなあ、と考えたりします。私にとっては、とても居心地のいい考え方なのですが。

To be continued


●参考にした図書

『ケルトの神話 ― 女神と英雄と妖精と』井村君江・著 ちくま文庫

最初の章でケルトを概観し、次の章からケルトの各神話について「天地創造神話のない神話」「ダーナ神族の神話」「アルスター神話」「フィアナ神話」に分類し、詳しく解説した好著です。

著者の井村氏は、このほかに多数の著書もありますが、W.B.イエイツが著した『ケルト妖精物語』『ケルトの薄明』の翻訳も手掛けられています。

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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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