オーディンの息子であるバルドルは、誰もがうっとりするような美しさと優雅さをもち、とても慈しみ深い「光の神」でした。
その完璧さは神々の憧れの的でしたが、一方でロキからは激しい嫉妬を向けられてしまいます。
結局バルドルが命を落としてしまったのは、すべてを手にした彼を深く憎んだロキが仕掛けた、ずる賢い罠のせいでした。
かつてオーディンと義兄弟の約束を交わし、仲間として迎えられていたロキでしたが、この事件をきっかけに「血の契り」は崩壊します。
さらにロキは神々の過去のスキャンダルを暴露して神々との対立が決定的なものになり、お互いの憎悪からラグナロクへの道が開かれていくことになったのです。
この「血の契り」が古代北欧社会にとってどんな意味があったのか、ということについてもお話ししていきます。
⚪︎「血の契り」の崩壊とラグナロク
・ラグナロクを招いた「血の契り」の崩壊
⚪︎まとめ
バルドルの死から「血の契り」の崩壊までのあらすじ
![]() |
| ヘズの投げた弱々しいヤドリギの枝は、バルドルの身体を貫いた |
バルドルは自らの死を予感する不吉な夢を見ます。父オーディンが冥界に眠る予言者に問う(注1)と、バルドルの死は避けられず、真犯人はロキであると告げられました。
母フリッグはバルドルを何物によっても傷つけられないようにするために、万物に「バルドルを傷つけない」と誓わせましたが、若くて無害と思われたヤドリギだけは除外されました。
このことがあってほぼ不死身となったバルドルに神々が物を投げ、バルドルが笑いながらそれを受ける、という遊びが流行しました。
ロキにはこれが面白くありません。
ロキは哀れな老婆に変身してフリッグに近づき、彼女から「ヤドリギだけは誓いをさせなかった」という秘密を聞き出します。
「しめた」と思ったロキはヤドリギの枝を手に入れると、遊びの輪に入れずいた盲目の神ヘズに目をつけました。
「遊びの仲間に入れるよう手伝ってあげるよ」と巧みな言葉でヘズをそそのかして、ロキはヤドリギをバルドルに向けて投げさせます。ヤドリギは狙い違わずバルドルの身体を貫いてしまい、バルドルはその場に倒れました。
息子の死にショックを受けた母フリッグの嘆きを受け、ヘルモードが冥界の女王ヘルに蘇生を乞うと、ヘルは「万物が涙を流せば生き返らせる」と約束します。
万物は涙を流しましたが、ただ一人、女巨人のセック(じつはロキの変装)だけが泣くことを拒みました。そのためバルドルの蘇生は叶いません。
神々のロキへの憎しみは募りますが、聖なる土地アースガルドで血を流すわけにはいきません。ロキへの復讐はいったん据え置かれることになったのです。
後日、海の神エーギルは神々を宴に招待しました。ロキもこの宴に参加したのですが、神々がエーギルの従者であるフィマフェングとエルディルをあまりにほめたたえるので、ロキは嫉妬に駆られフィマフェングを殺害してしまいます。
宴は大騒ぎとなり、いったんは館を追い出されたロキでしたが、オーディンとの「血の契り」を盾にとって自分の席と酒を用意するよう要求し、戻ってきました。
しかしロキの逆上は収まっていません。いきなり立ち上がると、神々の過去のスキャンダルを次々と暴露し、神々を一人ずつ激しい言葉で挑発したのです。 その告発が図星だったので、神々は言い返すことができません。
そのとき現れたトールがことの次第を知って激怒し、トールはロキを激しく攻め立てます。
その迫力におののいたロキは「ラグナロクの到来」を予言して逃亡しました。
山へ逃げたロキは鮭に変身して潜伏しますが、ついに神々に捕らえられます。
そこは人間の国ミッドガルド。聖なる地ではありません。
そこで、神々はロキの息子の腸で彼を岩に縛り付け、毒蛇の毒液を彼の頭上から滴せるという凄惨な罰を与えました。
妻シギュンが皿で毒を受け止めますが、毒を捨てる隙に液が身体にかかると、ロキは激痛で激しく身悶えします。その衝撃が地震の起源であるといい伝えられています。
「血の契り」の崩壊とラグナロク
![]() |
| お互いの血を混ぜ合わせるオーディンとロキ。床にルーン文字 |
さて、オーディンとロキが血の契りを交わし、義兄弟となったことは前にお話ししました。
このことにより、ロキはアースガルドに出入りを許されて神々の仲間入りをしたわけですが、ロキがオーディンの息子バルドルを殺害し、さらに海神エーギルがもよおした宴の席で神々を敵に回すという事態に至って、この契りは崩壊します。
この血の契りというものがどのようなものであり、それが崩壊することはどのような意味があるのか。それについてお話ししたいと思います。
古代北欧社会が要求した「血の契り」の重い意味
ヴァイキング時代の北欧社会は、現代のような法律もなければ犯罪を取り締まる警察もありません。
一族の者が殺されたり辱めを受けたりした場合には、その一族が復讐を果たすまで恨みは連鎖し、一族同士が全滅するまで殺し合いが続きます(血の復讐)。
そんな社会のなかで、流血の事態を最小限に抑え互いの生存と財産を保障するための安全保障条約として、この「血の契り」が用いられました。
交易や略奪のために遠征に出向く際、別の部族と義兄弟の契りを交わすことは不可欠です。互いが不在の間の領土を守り合い背後の憂いを断つために、極めて強固な信頼関係を築き上げる必要があり、「血の契り」を結んで義兄弟となる、つまり同盟を結んだのです。
この「血の契り」を裏切った者には、どのような結果をもたらされるでしょうか?
「血の契り」に対する裏切りは単なるモラルの欠如ではなく、社会の根底にある秩序そのものを破壊する行為です。
もしも裏切りがあれば、「血の復讐」を正当化することになり、ふたつの部族が全滅するまで抗争が続くという事態に至ります。
また、この契りを破った者が罪人として裁かれたならば、全財産を没収されて追放されます。この追放は、誰から殺されても文句のいえない「社会的な死」を意味しました。
ラグナロクを招いた「血の契り」の崩壊
主神オーディンと巨人族のロキは、互いの血を混ぜ合わせて「血の契り」を交わしました。
しかし、ロキはオーディンの息子バルドルを殺害しました。この時点で血の契りは崩壊します。
そしてオーディンは過去に巨人が変装した建築士を殺して、崩壊した城壁の盟約を破棄したり(第62話参照)、義兄弟であるはずのロキを不当に岩に縛り付けて、厳しい罰を与えたりしています。
これは神々自ら、誓いや約束、厳かな取り決めを次々と破棄していったことになりました。
このことは「血の復讐」が正当化され、神々と巨人族はお互いが絶滅するまで戦う運命を背負ったということを意味します。つまりここから世界の終末への道が不可逆的に進んでしまうわけなのです。
まとめ
ラグナロクとは、絶対善である神々と絶対悪である巨人族や怪物たちが激突して滅んでいく、という物語ではありませんでした。
秩序を守るべき神々が、むしろ自ら秩序を乱して盟約を裏切り、数々の罪を蓄積させて引き起こされた因果応報の物語なのです。
ロキに課された陰惨な幽閉生活は、ロキの心に神々に対する激しい憎悪を育てました。やがて戒めを解かれると、ロキの子どもたちである怪物たちと共に復讐の戦いが始まり、ラグナロクの戦端が開かれます。
**********
注1 冥界に眠る予言者に問う
北欧神話や昔のヨーロッパのお話には、神様や人間が亡くなった「巫女(予言ができる女性)」を墓から呼び起こして、未来のことや秘密を教えてもらうという場面がよく出てきます。
これは単なるお話のなかの出来事ではなく、当時の人たちが「死んだ人は特別な力や知識をもっている」と信じていたことを表しています。また、実際に死者の魂と交流しようとする儀式が行われていたことも想像させます。
墓から呼び起こされる巫女は、ただの幽霊ではありません。生と死の境目を超えた特別な存在として、神様たちにさえ大切なアドバイスを与える、とても重要な役割をもっていました。
●参考にした図書
『北欧神話物語』K・クロスリイ・ホランド・著 山室静/米原まり子・訳 青土社





0 件のコメント:
コメントを投稿
お読みいただき、ありがとうございます。ぜひコメントを残してください。感想や訂正、ご意見なども書いていただけると励みになります