第53話 『ハムレット』批評(その4)|「太っていた」ハムレットの迷いから悟りへ(河合祥一郎)

2025/09/13

『ハムレット』 シェイクスピア

t f B! P L


これまで『ハムレット』の批評について、新古典主義の見方からジョン・ドーヴァー・ウィルソンの説までを、私なりに研究し整理してまいりました。皆様にとって何かのお役に立つならば、望外の喜びです。

今回は、『ハムレット』『夏の夜の夢』のラボ・ライブラリー制作でお世話になった親愛なる河合祥一郎(注1)氏の説を、彼の著作『ハムレットは太っていた!』を中心に『シェイクスピア』(河合祥一郎著)も参考にしながらまとめてみたいと思います。

河合祥一郎氏は、『ハムレットは太っていた!』でサントリー文芸賞(2001年受賞)を受賞しました。氏は1997年に東京大学で博士の学位を取得し、1999年にはケンブリッジ大学で Ph.D. を取得しています。また、故・蜷川幸雄氏や野村萬斎氏らとともにシェイクスピア劇を作り上げてもきました。

さて、河合氏がおっしゃるように「ハムレットは太っていた」といわれると、違和感を感じませんか?

ロマン派の批評家は、優柔不断だから父親の仇を討てずにグズグズしているのだ。繊細な神経の持ち主のハムレットに仇討ちという重圧がのしかかってきて、ハムレットは崩壊したのだ。ハムレットが仇討ちを遅らせてしまう理由を、そんなふうに考えました。

哲学的な悩みに押し潰されそうになるハムレット像をイメージすると、その姿はハンサムで青白い細面(ほそおもて)、スラリとした体型の人物を想像するでしょう。

もしもハムレットがでっぷりと太っていたら、汗でテカった鼻や額をぬぐいながら、「生か死か、それが問題だ」などといったところであまり心に響かず、むしろ笑ってしまう人もいるのではないでしょうか?

ではなぜ河合氏は「ハムレットは太っていた」とおっしゃるのか?

それはハムレットの母ガートルードが、ハムレットとレイアティーズの剣術試合の時につぶやいた言葉に、「あの子(=ハムレット)は太っていて、息が切れている(He's fat, and scant of breath.)」というセリフ(注2)があり、氏はそのセリフの「fat(太っている)」に注目したからです。

この言葉は、痩身の青白き文学青年というイメージをハムレットにもっている観客にとって、受け入れ難い言葉だと思います。なぜこんなことをガートルードは言ったのでしょう?

多くのシェイクスピア研究者は、これは何かの比喩ではないかと考えて自説を唱えました。しかし河合氏はこの言葉を文字通りに受け取り、「ハムレットは太っていたのだ」と結論づけます。

そしてそこから河合氏は、シェイクスピアが『ハムレット』に託したテーマを考えていったというところが斬新でした。

肥満に対する対する解釈


「太っている」という言葉は、現代日本においてはあまりプラスのイメージはありませんね。男性が女性に「あなた太ってるね」などと言ったら、「モラハラ男」のレッテルを貼られ、自分の周りから女性が消えてしまうことを覚悟しなければなりません。

しかしこの「肥満はカッコよくない」(一般論。私はそんなことは思っていません!)というイメージは、人類が生まれて現代に至るまでまったく変わらなかったのでしょうか。

みんな貧しく、自由にものが食べられない飢餓の時代であれば、太っていることは豊かさの象徴。また平安時代、美女のイメージは現代の美人とはかけ離れたものでした。

子どもの頃に読んだ本に、南のほうにあるナントカという地方では、女性は太っていれば太っているほど「美人」だとされている、と書かれていたのを読んだことがあります。

ですので、16〜17世紀のデンマークの王子が太っていたとしても、シェイクスピアの時代には、それがすぐにマイナスイメージに繋がるとは限らなかったのかもしれません。

たしかに17世紀頃のデンマークでは、大食漢で大酒飲みが多くいたといわれていますので、当然、成人男性の大半は太鼓腹の持ち主だったでしょう。逆に痩せている人は、ずる賢くて油断がならないというようなイメージがあったようです。しかしハムレットが太っているというのは、なんともイメージに合わない。

そこで、ガートルードがもらした「あの子は太っていて、息が切れている(He's fat, and scant of breath.)」というセリフの「fat」を、「太っている」という意味以外に考えられないかという試みがなされました。

その代表が「運動不足」説と「汗かき」説です。太っているということではなく、運動不足だ、あるいは単に「汗かき」な人なのだ、とする説です。

しかし結局は、肥満の原因としての運動不足ということであり、太っているから汗かきであるというニュアンスを「fat」は含んでいるので、どのように強弁しても「fat」は肥満のイメージと切り離すことはできない、どちらの説も「太っていない」という証拠にはならないというのが河合氏の説でした。

肥満を嫌うハムレット

『ハムレット』第一幕第四場で、ハムレットはホレイシオやマーセラスとともに城壁の上に立ち、亡霊の登場を待つシーンが演じられます。そこへクローディアスとガートルードの結婚を祝う酒宴の喧騒が聞こえてきます。

国王がワインを飲み干すたびに、太鼓とラッパが鳴り響くという賑やかさが伝わってくるのですが、それをハムレットは嫌悪するのです。

先ほど、17世紀デンマークでは大酒飲みが多かったというお話をしましたが、その習慣にどっぷり浸かっているクローディアスは、でっぷりと太っていたことでしょう。

酒を飲んでどんちゃん騒ぎをするという風習を嫌うハムレットは、その結果としてダブついた腹をもつクローディアスの姿も嫌悪したに違いありません。

ということは、ハムレットはクローディアスの体型とは違う体型を維持していたのかもしれません。しかし fat ではある。

どういうことでしょう?

「行動する意思と力」を押さえつけるもの


一定の年齢以上の人は「タイガーマスク」という漫画/アニメを覚えておられることでしょう。プロレスがテレビ視聴者の絶大な人気を集めていた頃のお話です。

物語の主人公である伊達直人はプロレスラー。リング上では虎のマスクをかぶって戦うのでタイガーマスクと呼ばれています。

じつは彼は孤児院出身で、マスクをはずして一般人として生活する時には、やさしいお兄ちゃんとして孤児院の子どもたちに接します。

プロレスラーですから、鍛え上げた身体は強靭な筋肉のかたまりです。しかしマスクをはずし洋服を着込んでいると、彼の身体は太って見えるのです。実際、子どもたちは彼を「太ったお兄ちゃん」と読んでいたのでした。

すでに想像がついていることと思いますが、ハムレットも青白き文学青年ではなく、筋骨隆々とした身体をもつ、たくましくて行動する軍人なのだということが河合氏の主張なのです。

当時は、筋肉がつき理想的な太り方をしている人をも fat と形容していました。これは、同じ  fat でも「肥満」ではありません

「ナーサリー・ライム(マザーグースのうた)」(注3に収録された「ボビー・シャフトー(Bobby Shaftoe)」(注4)という詩は、愛しの彼が船旅から帰ってきたら私と結婚してくれる、という恋する女性の詩ですが、愛する人の体格を「fat and fine (美しく太っている)」と形容し、魅力的な男性として描いています。

Bobby Shaftoe's gone to sea,        ボビー・シャフトー、海へ旅立つ
With silver buckles on his knee;     膝に銀のバックルつけて
He'll come back and marry me,      旅から帰れば私の夫に
Pretty Bobby Shaftoe!                   可愛い私のボビー・シャフトー!
Bobby Shaftoe's fat and fair,     美しく太ったボビー・シャフトー
Combing down his yellow hair;       金色の髪をくしけずって
He's my love for evermore,            彼は私の永遠の恋人
Pretty Bobby Shaftoe!                   可愛い私のボビー・シャフトー!

魅力ある男性的な身体をもつハムレットであるからこそ、オフィーリアはハムレットを「わが国の期待の星とも華(はな)とも謳(うた)われ、流行の鑑(かがみ)、礼節の手本として、みなの注目を集めたお方」(河合祥一郎・訳)と称賛していたのでした。単に肥満した身体をもつハムレットであれば、そこまで憧れることはなかったのではないかと思います。

レイアティーズとの剣術試合でも、レイアティーズをもう少しで打ち負かすところまで行きました(実際には、アクシデントでレイアティーズの毒剣がハムレットを傷つけ、瀕死の状態に陥れます)。

レイアティーズは相当な剣術使いとして国内外に評判が立っていたのです。ハムレットが稽古不足で太っていたとしたら、レイアティーズを追い詰め、クローディアスに母の命を奪った毒を飲ませて死に至らしめる、というような芸当ができるはずがありません。

筋骨隆々の武人であり同時に哲学的な思考も重ねる青年(30歳だけど…)、文武両道を体現する人物がハムレットなのです。

リチャード・バーベッジ
河合氏の綿密な調査により判明したことですが、『ハムレット』初演(1602年)の時、ハムレットを演じたのは、当時の花形スターであるリチャード・バーベッジだったということでした。

バーベッジの体格はまさに筋骨隆々として「(カッコよく)太って」いました。当時はプロデューサーがいて、役にふさわしい俳優を外部から連れてくるというシステムはありません。主に自分の劇団の俳優を配役するというシステムです。そこで脚本も、劇団内にいる俳優の体格(長身、チビ、肥満体、痩せっぽち)に合わせて脚本を書くというのが一般的でした。

つまりシェイクスピアは、バーベッジの「太った」体格を意識してハムレットを描いた、ということです。

なぜハムレットは「太って」いなければならなかったのか。

河合氏は、たくましく行動力のあるハムレットであったからこそ、いっそう悩みは深いのだと結論づけました。復讐をすぐに実行できないのもそこに原因があったといいます。

ヘラクレスになるべきか、人の道をまっとうするべきか

このブログの第48話で、マルティン・ルターが「ドイツのヘラクレス」と呼ばれたということをお話ししました。(第48話参照)。実行不可能にみえることに挑戦する勇気ある者を、当時「ヘラクレス」になぞらえることが流行していたのです。

初めのほうの場面で、亡霊がハムレットを手招きした時、ついていこうとするハムレットをホレイシオが必死になって止めますが、それを振り切ってハムレットは亡霊の後に従います。その時に発したハムレットのセリフが「この身体中を駆けめぐる血管が、ネメアの獅子の筋肉のように盛り上がる」(河合祥一郎・訳)でした。

「ネメアの獅子」は、半神半人のヘラクレスに課せられた12の苦行のひとつで、ネメアの谷に棲むライオンを退治しなければならないという難行を指す言葉です。

悪魔かもしれない亡霊の言うことに従う、という蛮行にも見える行動をあえて冒す時のハムレットの心境を表すセリフですが、この時の彼の頭はヘラクレスの神話を思い描いていたことを示しています。

ヘラクレスになりたかったハムレット

ヘラクレスは、ギリシア神話に登場する神々のなかの主神ゼウスと、人間の女性アルクメネーの間に生まれた半神半人の英雄で、強力な腕力をもっていました。

しかしゼウスの正妻ヘラにとってヘラクレスは嫉妬にかられて憎む相手でした。彼は夫の浮気で生まれた子だったからです。そこで彼女は彼に12もの苦行(注5)を課して苦しめたのでした。

その最初の苦行がネメアの谷に棲むライオンを退治すること。このライオンはどんな武器も通用しないという力をもっていましたが、最終的にはヘラクレスに素手でしめ殺されてしまいました。

艱難辛苦の末、12の苦行を乗り越えたヘラクレスも、その死は唐突でした。

ヘラクレスの妻デイアネイラが良かれと思って彼に服を贈りますが、その服は媚薬だとだまされた彼女が裏地にヒュドラの猛毒を塗った服だったのです。それを着たヘラクレスは耐え難い苦しみにさいなまれます。

死を覚悟した彼は、自ら火葬の薪の上に身を横たえますが、その時、父ゼウスがその魂を救いとってオリュンポスに連れて行き、神の座に彼を据えたのでした。ヘラクレスのなきがらはその時に消滅したとされています。

ハムレットのセリフ

ああ 、この固い、あまりに固い肉体solid flesh)が、溶けて崩れ、露と流れてくれぬものか」(河合祥一郎・訳) 

このセリフは、半神半人であるヘラクレスが死を迎えるとともにその身体は消滅し、神の座に迎えられるのに対し、人間の身であるハムレットは、神が土から作りたもうた固い身体からは逃れられず、神に成り代わって事を成すことなどできないという嘆きだ、というのが河合氏の解釈です。

ストア派の哲学と聖書の教え

ハムレットは「太っていた」、つまり筋骨隆々の身体は十分な戦闘能力をもち、意思さえあれば即座に復讐をやり遂げるだけの力はあったのです。

それなのに実行に移せなかったのは何故か? 

河合氏は彼がストア派(注6)の哲学をもっていたからだとします。

ストア派の哲学とは、激情に駆られた行動は厳に慎むべきであり理性的に生きることが幸福につながるという思想です。その信奉者であるハムレットは、怒りに任せて復讐することがはたして正しいことなのかと自問自答するのです。

また聖書に「復讐するは我にあり」とあるように、復讐は神の御業(みわざ)であり、それを人間が行うことは人間の傲慢とも考えられます。つまり、神の御業である「復讐」を、人間である自分が神に成り代わって行う、という傲慢さです。

「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」というセリフは、自殺しようかしまいかという迷いのセリフではなく、人間である自分の分を守って生きるのが正しいのか、激情に任せてひと思いに復讐を成就させて果てるのが男らしいのか、という自問なのです。

「なるようになればよい(Let be)」という悟り


叔父クローディアス王はハムレット暗殺の陰謀をはかります。その陰謀とは、イギリスの王にハムレットの処刑を依頼する親書をローゼンクランツとギルデスターンに持たせて、彼らと一緒にハムレットをイギリスに追いやるというものでした。しかしハムレットは機転をきかせて辛くも難を逃れ、密かにデンマークに帰国します。

ホレイシオに導かれ闇夜に紛れてハムレットがエルシノア城に向かう途中、墓場で墓掘りが歌を歌いながら墓を掘っているところに遭遇します(この墓は、亡くなったオフィーリアを埋葬するためのもの)。

墓掘りはひとつの頭蓋骨を掘り出しますが、それはかつて宮廷中を笑わせていた宮廷道化師(コートジェスター)ヨリックのものでした。それを知ったハムレットはその骨を抱き抱えて感慨に耽り、「哀れヨリック」と呟きます。

生きていた頃に宮廷の者たちを笑わせていたヨリックも、死んでしまえばその才能を発揮することは叶わぬこと。面白おかしく生きようが眉間に皺を寄せて悩もうが、神になれぬ身の最期は虚しく白骨を晒すだけなのだ。

ならば、人生を思ったように生きよう。自分が最善と思ったことを力の限りやりつくして、後は天の裁きに身を任せよう。なるようになればよい(Let be)。

ハムレット:雀一羽落ちるのも神の節理がある。無常の風は、いずれ吹く。(中略)覚悟がすべてだ。生き残した人生など誰にもわからぬのだから、早めに消えたところでどうということはない。なるようになればよい」(河合祥一郎・訳)

この「なるようになればよい」は自暴自棄の言葉ではありません。人智を尽くして天命を待つという積極的な悟りです。悩み抜いたハムレットの、最後にたどり着いた答えでした。

シェイクスピアの時代には人文主義思想が一般的になり、「メメント・モリ(死を思え)」というラテン語が巷に知られていました。

この言葉は時代によりさまざまな解釈がされましたが(注7)、エリザベス朝の頃には、人生を賛美すると同時に、結局は人は死に至るのだから死を意識し人生を享受せよ、という解釈です。

衛生環境が劣悪で、頻繁にペストが流行った時代。火事が起これば一帯が焼け野原になる時代。生まれたばかりの赤児が無事に成長することの難しかった時代。死は人々のすぐそばに居ました。そんな死を意識し、そうであるならば、生きている間は思うさま精一杯生き、後は静寂のうちに死を迎える。

そのようにハムレットは覚悟したのだと思います。

**********

(注1)河合祥一郎


1960(昭和35)年生れ。東京大学文学部卒業。東京大学、ケンブリッジ大学より博士号取得。東京大学教養学部・大学院総合文化研究科教授。2001(平成13)年、『ハムレットは太っていた!』でサントリー学芸賞を受賞。主著に『謎解き「ハムレット」』、『あらすじで読むシェイクスピア全作品』ほか、訳書に『新訳 ハムレット』、『不思議の国のアリス』、『新訳 ドリトル先生』シリーズなど。(出典:新潮社)


(注2)He's fat, and scant of breath

河合氏の翻訳による『新版 ハムレット』では、このセリフは次のように訳されています。

ガートルード:まあ、あの子ったら、太ったのかしら、息なんか切らして。 (出典:シェイクスピア; 河合 祥一郎. 新訳 ハムレット (角川文庫) (p.213). 角川書店. Kindle 版)

 

(注3)「ナーサリー・ライム(マザーグースのうた)」

「ナーサリー・ライム」と「マザー・グース」は、どちらも主にイギリスやアメリカで古くから伝承されてきた童謡やわらべうたの総称を指し、非常に近い意味で使われます。しかし、厳密には以下のような違いがあります。

1. 呼称の使われ方

  • ナーサリー・ライム (Nursery Rhyme): 「nursery(子ども部屋)」と「rhyme(韻を踏む歌)」を組み合わせた言葉で、「子ども部屋の歌」という意味合いを持ちます。主にイギリスで使われることが多い呼称です。

  • マザーグース (Mother Goose): 「ガチョウおばさん」を意味します。この名称は、18世紀にイギリスの出版業者ジョン・ニューベリーが刊行した童謡集に由来するとされています。主にアメリカで使われることが多い呼称です。


(注4)「ボビー・シャフトー(Bobby Shaftoe)」

「ボビー・シャフトー」は伝承歌で、オリジナルの詩は本文中に書いたものですが、そのほかにもいくつかのヴァージョンがあります。

1812年に出版された文献に掲載されたもの

Bobby Shafto's tall and slim, 
He always dressed so neat and trim; 
The ladies they all kick at him, 
Bonny Bobby Shafto.

Bobby Shafto's gettin' a bairn, 
For to dangle on his arm; 
In his arm and on his knee, 
Bobby Shafto loves me.

 

選挙運動で使われたヴァージョン 

1761年の選挙運動では、支持者たちがロバート・シャフトーのために別の詩を加えていたことも知られています。

Bobby Shafto's looking out, 
All his ribbons flew about, 
All the ladies gave a shout, 
Hey for Bobby Shafto!

これらのヴァージョンからわかるように、歌詞は少しずつ異なり、時にはボビー・シャフトーが「背が高くスリム」と描写されたり、「ぽっちゃりしている」と描写されたり、また別の女性との間に子どもがいることを示唆するような、より複雑な内容も含まれることがあります。


(注5)12もの苦行

ヘラクレスは成長して結婚し、子どもにも恵まれましたが、ヘラが彼に狂気の発作を起こさせ、ヘラクレスは自らの手で妻と子どもを殺してしまいます。

この罪を償うため、ヘラクレスはデルフォイの神託に従い、ミュケーナイの王エウリュステウスに仕えて12の功業(苦行)を成し遂げることになりました。

以下のような苦行があります。

  • ネメアの獅子の退治
    • 目的:人間を襲うネメアの獅子を退治し、その毛皮を手に入れること。
    • 結果:ヘラクレスは弓矢が効かない獅子を、素手で絞め殺しました。この毛皮は、彼のトレードマークとなります。

  • レルネーのヒュドラ退治
    • 目的:毒の息を吐く9つの頭を持つ怪物ヒュドラを退治すること。
    • 結果:頭を切り落としてもすぐに再生するヒュドラに対し、ヘラクレスは甥のイオラオスに手伝わせ、切り落とした首の根元を焼いて再生を防ぎ、最後の不死身の頭を岩の下に埋めて退治しました。
  • ケリュネイアの鹿の生け捕り
    • 目的:アルテミス神の聖獣で、黄金の角と青銅の蹄を持つ鹿を生け捕りにすること。
    • 結果:1年かけて追い続けた末に、傷つけないよう注意しながら捕獲しました。
  • エリュマントスの猪の生け捕り
    • 目的:エリュマントスの山に棲む巨大な猪を生け捕りにすること。
    • 結果:猪を雪の中に追い込み、疲れたところを捕らえました。
  • アウゲイアスの王の家畜小屋の掃除
    • 目的:何十年も掃除されていなかった、家畜の糞でいっぱいの小屋を1日で掃除すること。
    • 結果:川の流れを変えて小屋に引き込み、水流の力で一気にきれいにしました。
  • ステュムファロスの鳥の退治
    • 目的:青銅の羽と嘴を持ち、人間を襲う鳥の群れを退治すること。
    • 結果:アテナ神から与えられた青銅のガラガラを使って鳥たちを驚かせ、飛び立ったところを弓矢で射殺しました。
  • クレタの牡牛の生け捕り
    • 目的:ミノス王の領地で暴れる牡牛を生け捕りにすること。
    • 結果:素手で牡牛を捕まえ、背負ってミュケーナイまで運びました。
  • ディオメデスの牝馬の生け捕り
    • 目的:人間を食べる牝馬の群れを生け捕りにすること。
    • 結果:牝馬の飼い主であるディオメデスを倒し、牝馬にその遺体を食べさせておとなしくさせた後、捕獲しました。
  • アマゾンの女王ヒッポリュテの帯の奪取
    • 目的:アマゾンの女王ヒッポリュテが持つ、軍神アレスから授かった帯を奪うこと。
    • 結果:ヒッポリュテが平和的に帯を差し出そうとしたものの、ヘラの策略で戦いとなり、最終的に彼女を倒して帯を奪いました。
  • ゲーリュオーンの牛の群れの略奪
    • 目的:3つの体を持つ巨人ゲーリュオーンが所有する牛の群れを奪い、ミュケーナイに連れて行くこと。
    • 結果:ゲーリュオーンと彼を守る番犬を倒し、牛を連れ帰りました。
  • ヘスペリデスの園の黄金の林檎の入手
    • 目的:ニュンペー(精霊)のヘスペリデスが守る黄金の林檎を手に入れること。
    • 結果:プロメテウスの助言により、天空を支える巨人アトラスに代わって一時的に空を支え、その間にアトラスに林檎を取ってきてもらいました。
  • 冥界の番犬ケルベロスの生け捕り
    • 目的:冥界の番犬ケルベロスを、武器を使わずに生け捕りにすること。
    • 結果:冥界の神ハデスに許可を得て、素手でケルベロスを捕らえ、地上へ連れ出しました。

(注6)ストア派

ストア派は、紀元前3世紀初期に古代ギリシアでキティオンのゼノンによって創始された哲学の学派です。彼らは理性の力を重んじ、感情に左右されない不動の心(アパテイア)を理想としました。

○主要な教え

ストア派の哲学は、主に倫理学、論理学、物理学の3つの分野に分かれていました。

  • 倫理学: 幸福は徳(アレートス)と一致すると教えました。徳は、自然と理性に調和して生きることで得られます。彼らは、快楽や苦痛といった感情を避けるのではなく、それらに心を乱されないこと、つまり「アパテイア(不動心)」を追求しました。これは無感動を意味するのではなく、理性に基づいて判断し行動する心の状態を指します。

  • 論理学: 正しい思考や推論の方法を研究しました。これは、真実を見極め、自然の法則を理解するために不可欠な道具と見なされました。

  • 物理学: 宇宙は理性的で神聖な「ロゴス」によって支配されていると考えました。ロゴスは世界を貫く理法であり、すべては運命(プロノイア)によって秩序立てられていると信じました。人間もこのロゴスの一部であり、自然の摂理に従って生きることが徳ある生き方だとしました。

このような考え方から復讐というような激情に駆られた行動は、厳に慎むべきなのではないかとハムレットは悩んだのです。


(注7)メメント・モリ

「メメント・モリ(memento mori)」という言葉は、ラテン語で「死を想え」「死を忘れるな」を意味し、時代や文化によってその解釈が変化してきました。

1. 古代ローマ時代

「死を想い、今を生きよ」 起源は古代ローマの凱旋式にあるとされています。勝利を収めた将軍が、パレードで大衆から喝采を受ける際に、従者が「メメント・モリ」と囁き、将軍に勝利に酔いしれることなく、いつか訪れる死を思い起こさせて謙虚さを保つように促しました。この時代の「メメント・モリ」は、栄華の頂点にある者に、人生のはかなさを思い知らせ、今この瞬間を大切に生きることの重要性を説く、ポジティブな意味合いが強かったと言えます。

2. 中世ヨーロッパ(ペスト流行期)

「死を想い、罪を償え」 14世紀にヨーロッパでペストが大流行し、多くの人々の命が奪われた時代には、「メメント・モリ」の解釈はより厳格で宗教的な意味合いを帯びました。死が常に身近な存在となったため、人々は「いつ死が訪れるかわからないから、生前のうちに罪を悔い改め、徳を積むべきだ」と考えるようになりました。この時代の芸術作品(特に「死の舞踏」や墓標)には、骸骨や腐敗した遺体が描かれ、現世の富や権力のはかなさを強調し、宗教的な教訓を強く示しました。

3. 近世以降

「死を想い、人生を謳歌せよ」 ルネサンス期に入ると、死を強調するだけでなく、生を肯定する考え方も台頭しました。また、17世紀のバロック期には、ヴァニタス(虚栄)というテーマで描かれた静物画に、髑髏、砂時計、しおれた花、燃え尽きるロウソクなどが描かれ、人生の無常や時間の経過を象徴的に表現しました。これらの作品は、単に死を恐れるのではなく、死を意識することで、人生の価値や美しさをより深く味わうことを示唆しています。

現代では、「メメント・モリ」は個人的な幸福論や人生観を考える上でのテーマとして捉えられ、「限られた人生の中で、今をどう生きるか」という問いかけとして解釈されています。


●参考にした図書 

『新訳 ハムレット』ウィリアム・シェイクスピア・著 河合祥一郎・訳 角川文庫











『ハムレットは太っていた!』河合祥一郎・著 白水社


シェイクスピアの時代、作品を最初に演じた役者たちは誰だったのか。また、その姿は? 本書は、肉体的特徴を手がかりにその謎を解き、登場人物の意外なシルエットを浮かびあがらせる。


【編集者よりひとこと】
 シェイクスピア39歳のときの肖像画がカナダで発見されたという新聞報道がありましたが、シェイクスピアを巡っての謎は、過去いくつもありました。シェイクスピアは別人で、実在しなかった、というものまである始末です。本書は、永年、答えの出なかったシェイクスピアの謎の一つに挑戦したものです。著者のケンブリッジ大学の博士論文をもとに、一般読者が楽しめるよう平易に書き下ろされています。著者は東京大学助教授(本作刊行時)。新進気鋭のシェイクスピア学者です。(白水社)












『シェイクスピア』河合祥一郎・著 中公新書

ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)は、世界でもっとも知られた文学者だろう。『マクベス』や『ハムレット』など数々の名作は現代も読み継がれ、世界各国で上演され続けている。
本書は、彼が生きた時代背景を踏まえ、その人生や作風、そして作品の奥底に流れる思想を読み解く。

「万の心を持つ」と称された彼の作品は、喜怒哀楽を通して人間を映し出す。そこからは今にも通じる人生哲学も汲み取れるはずだ。
(中公新書編集部)



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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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