第52話『ハムレット』批評(その3)|『ハムレット』は小説ではない(ジョン・ドーヴァー・ウィルソンの金字塔)

2025/08/06

『ハムレット』 シェイクスピア 物語

t f B! P L

 


ここまで『ハムレット』の批評について、「新古典主義」「ロマン派」と解説してきましたが、ジョン・ドーヴァー・ウィルソンの登場により、批評界は新展開をみせます

ウィルソンのシェイクスピア研究は『ハムレットに何が起こるのか(What happens in Hamlet)』(1935)という解説書に結実しました。この本はハムレット解説の古典的名著として、現在も演劇界に多大な影響を与えています。そこで今回は、この解説書を中心に、ウィルソンの研究をみてみたいと思います。

ウィルソンの『ハムレット』研究の何が画期的だったかというと、このお芝居を「演劇」という観点からみたということです。

シェイクスピア劇というからには演劇に決まっているだろう、と思われますか?

ところが新古典主義者もロマン派も、この物語が劇場で演じられる「お芝居」とはみていなかったのです。彼らが意識していたかどうかはわかりませんが、お芝居を観て批評するのではなく『ハムレット』という脚本のみに注目して議論していました。

レーゼドラマという、脚本の形をとりながら上演を目的としない、読んで楽しむための文学の一形態がありますが、そのようなものとして『ハムレット』を読んで研究していたとも言えるでしょう。

演劇という芸術は、脚本の良し悪しが作品の質を決めるものではありますが、その時代の舞台の制約、時代の空気、演じる役者、お芝居を観る観衆の性質などが脚本の内容に多大な影響を与えます。それを無視して脚本だけに注目し、単にハムレットの内面だけを議論しても意味がないとウィルソンは考えました。

そこでウィルソンは、あらゆる方面に焦点をあてて『ハムレット』を批評したのです。


【目次】

○ウィルソンが注目した3つの謎
・1. 亡霊か悪魔か?
・2. ハムレットの心の葛藤
・3. 「尼寺へ行け!」:立ち聞き説
○フロイト流 精神分析に対する批判
○まとめ

ウィルソンが注目した3つの謎

これまでの批評家たちは、ハムレットが復讐を遅延させたのはなぜか、という点に注目して議論を繰り広げました。その結論として、ハムレットが優柔不断だったからとか、繊細なハムレットに過大な重圧がかかってきたから、などというようにハムレットの内面に問題があったからだとしました。

それに対して、ウィルソンは多方面からこの戯曲に光を当てて、謎の解明を試みたのです。

1. 亡霊か悪魔か?


ひとつにはエルシノア城に現れたあの亡霊は、本当に父だったのかということです。つまり父の亡霊ではなく、悪魔が自分をたぶらかそうとして現れたのかもしれない、という疑念です。

この点において、彼ほどの分析には及ばなかったけれど、私のつたない直感と似ている部分があるようです。

ウィルソンは、当時のイングランドの亡霊に対する3つの信念について理解しなければ、このお芝居の本質を理解することはできないと言っています。その3つの信念とは、「カトリックの見解」「正統プロテスタントの見解」「懐疑論者の見解」の3つです。

・カトリックの見解

亡霊とは、天国の門をくぐる前の魂を浄化する煉獄という場所から、特定の目的のためにこの世に戻ってきた魂をいう。煉獄では、情け容赦のない強烈な火で焼かれ、その中で断食をしなければならない場所。この苦しみのなかにある魂を少しでも安んじることが、生者の務めだとする。

・正統プロテスタントの見解

正統プロテスタントの見解によれば煉獄は存在しないとし、従って亡霊は死者の魂ではないとする。亡霊と思われるものの正体は、人が罪を犯し破滅へと導こうとする悪魔に他ならないとした。

・懐疑論者の見解

亡霊とは単なる詐欺か、『ハムレット』であればハムレットによる「憂鬱な精神の幻覚」に過ぎないとした。

・表1:ドーヴァー・ウィルソンが提示するエリザベス朝の霊魂論

思想潮流

亡霊の性質

起源

意図・目的

カトリック

真の魂

煉獄

救済のための助けを求める

正統プロテスタント

悪魔的存在

地獄

生者を罪と破滅へと誘惑する

懐疑論者/合理主義者

幻覚

憂鬱な人間の精神

心理的苦痛の症状


ハムレットの亡霊に対する見方は、この3つの間で揺れ動き、それに対する合理的な答えを求めて考え行動します。そのために復讐は遅れたのであって、彼の優柔不断な性格によるものではないとウィルソンは考えました。

同時にシェイクスピアはハムレットの迷いを通して、カトリック/プロテスタント/民間宗教など多様な宗教観をもつエリザベス朝の観客たちに、劇的・心理的な緊張を増大させることを目論んだ。ウィルソンは、そんなシェイクスピアの天才性を賞賛しています。

2. ハムレットの心の葛藤


ハムレットの憂うつの第一の原因は、尊敬していた父の突然の死のショックに加えて、母が父の喪もあけないうちに伯父のクローディアスと結婚した、ということにあります。それは肉欲に負けた母の「女」に対する嫌悪でした。

その思いをさらに深く掘り下げてみると、自分はその汚らしい母のお腹から生まれ、その血を受け継いだという思いにとらわれた、というところに思い至ります。

ハムレットの独白のなかで、ウィルソンが注目したのは最初の独白の次の言葉でした。

Hamlet : O, that this too too solid flesh would melt
        Thaw and resolve itself into a dew!(第1二折版 1623年)

ハムレット:ああ 、この固い、あまりに固い肉体が、溶けて崩れ、露と流れてくれぬものか。(河合祥一郎・訳) 

 出版された『ハムレット』の脚本は、じつはいくつかあり(注1)、それぞれの版でセリフの言葉や量が増えたり減ったりしています。ウィルソンは異なる版をつぶさに調べ、なぜこのような表現をしたのかとか、シェイクスピアにとってどの言葉が最もしっくりくる言葉だったのか、あるいは誤植ではないか(注2)、などと考え検証しました。

それでこの「solid flesh」ですが。これは「固い肉体」と訳されます。しかし、別の版(第2四折り版 1604年)では「sullied flesh(汚い肉体)」と書かれていました。

ウィルソンは、後者の方が正しいのではないかと考えたのです。

ウィルソンと同年代の劇作家・文芸批評家に T.S. エリオット(1888 - 1965)がいますが、彼は『ハムレット』を失敗作だとみました。

不倫に走った母を汚いと思い、それがハムレットを悲しませたことは確かですが、だからといって、あそこまで狂ったようにオフィーリアを罵倒したりするのはやりすぎ。佯狂を装う根拠としては不足していると考え、エリオットは「芸術的失敗作なのは確かだ」と評したのでした。

ウィルソンが『ハムレットに何が起こったか?』を書いたのは、それに対する反論だったといわれています。ウィルソンは、先ほど書きましたハムレットの第一独白のセリフを「solid flesh(固い肉体)」ではなく「sullied flesh(汚れた肉体)」という言葉だと考えることで、『ハムレット』は正しく解釈される、としました。

というのは、母の肉体が穢れているのなら、その血を引く自分もまた汚れて(sully)いるのは間違いない。それがハムレットを絶望させ、自殺願望(to be or not to be)を助長させているのだとし、ハムレットの自暴自棄な行動はそこに原因があると解釈されて、物語の悲劇性は成立するとしました。

3. 「尼寺へ行け!」:立ち聞き説


有名なハムレットのセリフ、「生か死か、それが問題だ」の長い長い独白の後、ハムレットは跪拝台にいるオフィーリアを見つけます。

オフィーリアは、父ポローニアスの命令で跪拝台の所で待機しているのです。

ハムレットが発狂したのは、娘オフィーリアにふられたからだ、とポローニアスは考えています。それが正しいかどうかを確かめるために、クローディアス王とともに壁掛けの後ろに隠れて、ハムレットの反応を観察するという行動にでました。

ハムレットがオフィーリアを見つけた時には、彼はオフィーリアを森の女神にたとえて賛美し、自分の罪を許してくれとつぶやきます。

ところがオフィーリアから、「贈られたものはすべて返す」といわれたとたん、ハムレットは「は、はあ! ではオフィーリア、お前は、嘘のつけぬ女か?」(福田恒存・訳)といい、彼女を罵倒し始め、ついには「尼寺へ行け」と何度も命令するという、これもまた有名な暴言を吐きます。

オフィーリアを賛美する気持ちから、いきなり彼女にひどい言葉を投げつけるという急展開に、私などは面食らってしまいました。それは多くの批評家を悩ませ、さまざまな解釈をうんでいます。

ウィルソンはこの展開をこう解釈しました。ハムレットはオフィーリアがこんなことを言い出すのは、クローディアスとポローニアスのヒソヒソ話を偶然立ち聞きして、彼らが自分に対して策略を仕掛けていることを知っていたからだとしたのです。

ハムレットが、オフィーリアに対してもここまで残酷になるのは、母の罪に対する嫌悪だけでなく、愛していたオフィーリアも陰謀に加担していることに対して、つまり信頼していたオフィーリアの裏切りに対して激しい怒りを覚えるのです。

ウィルソンは『ハムレット』脚本に次のような演出指示を付け足して、黒幕の策略に乗ったオフィーリアへの怒りだということを表現しています。

ハムレット:(敵方の一計を思い出し)は、はあ! では、オフィーリア、お前は嘘のつけぬ女か?〜(以下省略)」(福田恒存・訳)

福田恒存は、ウィルソンの解釈による脚本を翻訳していますから、ウィルソンの意図を汲み、ウィルソンによる「演出」をそのまま訳出しています。

しかしこの(敵方の一計を思い出し)という演出は、シェイクスピアの脚本には書かれていません。またここに限らず、ウィルソンはいたる所に彼の解釈による演出を()付きで書き加えています。

この処理により、わかりづらい『ハムレット』という戯曲が、ちゃんと筋の通ったわかりやすい脚本になりました。

いっぽうこの「演出」はウィルソンの意図が入り過ぎていて、本来のシェイクスピアの意図とはかけ離れているのではないか、という批判もあります。

・松たか子氏のオフィーリア解釈

ついでの話なのですが、このウィルソンの解釈に対し、翻訳家の松岡和子氏はその著『深読みシェイクスピア』で、ハムレットがオフィーリアの裏切りを知ったのは敵の計略を思い出したからではない、といってウィルソンの説を明確に否定しています。

その気づきは、オフィーリア役を務めた松たか子氏の解釈から得たものでした。彼女は、ハムレットからの贈り物をお返しするといった時のオフィーリアのセリフは、父親の命令でいわされている言葉だというのです。

ハムレット:いや、それはできぬ。何もやったおぼえはない。

オフィーリア:殿下、くださったではございませんか。甘いお言葉も添えて、贈り物をかけがえのないものにしてくださった。その甘い香りが失せました。お返し申し致します。気高い心には、わかるもの。上等な贈り物も情こもらざれば劣るもの。さあ、どうぞ。(河合祥一郎・訳)

 現代人が読めば、何の違和感もないオフィーリアのセリフです。

しかしエリザベス朝という時代背景、そしてオフィーリアの性格に照らし合わせてみれば、これは違和感だらけのセリフなのです。

まずオフィーリアは世間知らずであり従順な女。男性とくに父親に対して絶対服従の女性であるということです。

兄のレイアティーズをフランスに送り出す時、父親からハムレットのいうことをまともに聞いてはいかん、操は固く守ってできるだけ高く売りつけるのだ、という訓示をオフィーリアは受けました。心に秘めたハムレットへの思いはありつつも「はい、お言葉どおりに」といって、思いを心の奥底に沈めてしまうオフィーリアなのです(第49話参照)。

自己を主張することなど思いもよらないオフィーリアが、この時ばかりはハムレットからの贈り物はそっくりお返しする、と主張しているのです。このことは、このセリフが誰かの入れ知恵であることを暗示しています。

また贈り物を返す理由とした「気高い心には、わかるもの。上等な贈り物も情こもらざれば劣るもの」などというレトリックを使った変ないい回しは、オフィーリアらしくありません。

これは単純なことをわざわざ複雑にしていいつのる、ポローニアスの言葉遣いにそっくりなのです。

知的能力に秀でたハムレットが、オフィーリアのセリフはポローニアスが教えたセリフであり、彼女はその言葉を一字一句間違えないように暗唱している、そう気付かないはずがありません。

その後に「君の親父はどこにいる」ときいたのは皮肉です。策略を仕掛けたなら結果を確かめるためにこの辺りのどこかに潜んでいて、じっと聞き耳を立てているに違いない。その彼らに向かって、当て付けをいったのではないかと思います。

・エリザベス朝時代のプロポーズ

もうひとつ、ついでの話です。

エリザベス朝時代の結婚の申し込みは、プロポーズの言葉をいう必要はありません。心のこもった贈り物を甘い言葉や将来についての言葉とともに相手に渡せば、それがプロポーズになります。

ですから、ハムレットは単なる贈り物として、オフィーリアにさまざまなプレゼントをしたわけではありません。贈り物も甘い言葉も、意を決した結婚の申し込みのつもりだったのです。しかし、オフィーリアは箱入り娘であるが故にそれを理解せず、単純に喜んでいただけでした。

その贈り物を返すとオフィーリアはいう。それはハムレットにとって、結婚が拒絶されたことを意味しました。落胆、絶望、怒り、いつか結婚するであろう見知らぬ男に対する嫉妬。ハムレットの胸中には、どす黒い感情が渦巻いていたかもしれません。

フロイト流 精神分析に対する批判

ジークムント・フロイト

話がウィルソンからそれました。修正しましょう。

精神分析学をひらいたジークムント・フロイト(1856-1939)の継承者に、アーネスト・ジョーンズ(1979-1958)というウィルソンと同時期に活躍した人がいます、彼はフロイトの精神分析学を使って『ハムレット』を解釈し、『ハムレットとオイディプス』(初版:1935)を書きました。これが評判を呼んで、これぞ『ハムレット』解釈の決定版としてもてはやされたのです。

ウィルソンが、『ハムレットに何が起こったか』を書いたのは、このフロイト流の解釈に対する批判という面があったのです。

ジョーンズの説

フロイトは彼の著『夢判断』(1900年)のなかで、『ハムレット』という物語は古代ギリシア悲劇『オイディプス王』(第50話の注参照)の現代的変奏だと書いています。

ハムレットがなかなか父親の仇を討てなかったのは、エディプス・コンプレックスという、無意識の領域にあるコンプレックスが邪魔をしたからだとしました。

エディプス・コンプレックスというのは、男性の無意識の領域には「父を殺し、母を独占したい」という願望がある、というものです。つまり、ハムレットはそういう願望を無意識にもっていたけれども、それを叔父のクローディアスが実現させてしまった。それが引き金となって悲劇が起こったのだと解釈しました。

フロイトの説は十分に説得力のあるものでしたが、『夢判断』に書かれた部分は断片的です。フロイトの忠実な弟子であるジョーンズは、そのフロイトの説をより精緻にして『ハムレットとオイディプス』を書いたのでした。

クローディアスに対しての怒りについては単に父の仇として憎悪しただけではなく、叔父と母とのいやらしい関係に対する病的な執着と嫉妬に根ざしている、と解釈します。

また、オフィーリアに残酷な言葉を投げつけるのは、彼女にというより、母ガートルードに対する憤怒が転化したしたものだと考えました。

父の仇を討つのが遅れる理由も、このエディプス・コンプレックスが関係しています。

「父を殺し、母を自分のものにしたい」という無意識の願望を、こともあろうにクローディアスが実現させてしまったのです。同じことを思っている自分と彼とは同じ種類の人間だ。もし彼を殺してしまうと、それはとりもなおさず自分を断罪し自分を殺すことと同じことになる。そういう心理が働いて、ハムレットはなかなか実行できなかったというのが彼の説でした。

ジョーンズの説は、20世紀の『ハムレット』解釈に決定的な影響を及ぼします。彼は『ハムレット』の全ての謎を、エディプス・コンプレックスで解釈してみせたのでした。この潮流は、ジャック・ラカン(1901-1981)により批判され覆され、精神分析学的『ハムレット』解釈はさらなる進化をしていきます。

・ウィルソンの反論

ジョーンズの説に対し、ウィルソンは反論します。

文学の登場人物に精神分析を適用することはカテゴリー違いだ、舞台上の登場人物は精神病患者ではないというのがウィルソンの主張です。

  • 物語に登場するハムレットに潜在意識があるわけでもなく、幼少期に何かあったとか、抑圧された欲望があったとかいう「人間」ではない、演劇という物語空間に創造された幻想に過ぎない
  • これまで批評家たちが議論してきた「謎」はその幻想の一部であり、シェイクスピアという天才的劇作家が意図的に作り出したものだ

「『ハムレット』に、謎の核心に到達することなど意図されていない。核心があるということ自体が幻想であり、謎そのものが幻想であり、ハムレットが幻想なのだ」とウィルソンは断言します。

そこに心理的な分析を試みても意味がないというのです。

したがって、フロイト的読解は「時代錯誤的な押し付け」であり、テクストのエリザベス朝的文脈を無視し、20世紀の心理学というシェイクスピアの時代には異質だったものを押し付けるものだ、と結論づけました。

まとめ

ウィルソンの『ハムレットに何が起こったか』は、後世の『ハムレット』批評に多大な影響を与えました。

演劇は、読むものではなく演じられてこそ真価を発揮するもの。あるお芝居を理解するには、あらゆる面から光を当てて理解しなければ、本当にわかったことにはならない。

そういう観点から『ハムレット』を研究し批評したウィルソンのこの著書は、『ハムレット』批評の金字塔と呼ぶにふさわしいもので、様々な批判はありつつも今もなお色褪せない光を放っています。

「ハムレットはなぜ復讐を躊躇したか」という謎は、物語が創られた当時の宗教観、真実を追い求めるハムレットの心情などさまざまな面から検討することにより理解される、というウィルソンの姿勢は、芸術一般の批評のあり方をも根本から変えるものでした。

亡霊は父か、悪魔かという謎はエリザベス朝の民衆に宗教的緊張を強います。

母の「近親相姦」とも呼べる不倫に嫌悪し、オフィーリアの裏切りにあってハムレットの狂気はさらに加速するさまが展開します。

そういった、ウィルソンによる『ハムレット』の謎の解明は、『ハムレット』にシェイクスピア劇の最高峰と呼ぶにふさわしい地位を与えました。

**********

(注1)出版された『ハムレット』の脚本は、じつはいくつかあり

『ハムレット』の最初の出版は3つの版があります。
  • 第1四折版(Q1) 出版年:1603年
    • 「海賊版」または「粗悪な四折版(Bad Quarto)」と呼ばれており、俳優の記憶に基づいて再構成されたと考えられています。他の版に比べて約半分ほどの短い版です。
  • 第2四折版(Q2) 出版年:1604年または1605年
    • Q1に対抗して出版されたと考えられており、「良い四折版(Good Quarto)」と呼ばれています。シェイクスピアの草稿に近い信頼性の高い版とされています。
  • 第1二折版(F1) 出版年:1623年
    • シェイクスピアの死後、劇団の仲間によって出版された戯曲全集『ファースト・フォリオ』に収録された版です。演出台本に基づいていると考えられており、Q2にはない台詞や、Q2から削除された台詞など、独自のテキストを含んでいます。

(注2)誤植ではないか

当時のイングランドの出版業界には出版を専門とする出版社および編集者と呼ばれる職業はありませんでした。全て印刷業者が原稿を見て、それに合わせて活字を拾い印刷していましたから、誤植も日常茶飯事でした。


引用文献

  1. What Happens in Hamlet by John Dover Wilson | Goodreads, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.goodreads.com/book/show/33188

  2. Could anyone recommend a (fairly definitive) book on scholarly interpretations/analysis of Hamlet? : r/shakespeare - Reddit, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.reddit.com/r/shakespeare/comments/13ea0i/could_anyone_recommend_a_fairly_definitive_book/

  3. What Happens in Hamlet by John Dover Wilson - LibraryThing, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.librarything.com/work/238398/t/What-Happens-in-Hamlet

  4. What Happens in Hamlet by John Dover Wilson | Goodreads, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.goodreads.com/book/show/33188.What_Happens_in_Hamlet

  5. What Happens in Hamlet - John Dover Wilson: 9780521091091 - AbeBooks, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.abebooks.co.uk/9780521091091/What-Happens-Hamlet-John-Dover-0521091098/plp

  6. What Happens in Hamlet by J. Dover Wilson, Paperback | Barnes & Noble®, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.barnesandnoble.com/w/what-happens-in-hamlet-j-dover-wilson/1100954334

  7. What Happens in Hamlet - John Dover Wilson - Google Books, 7月 10, 2025にアクセス、 https://books.google.com/books/about/What_Happens_in_Hamlet.html?id=CePVefwmN98C

  8. What happens in Hamlet. By J. DOVER WILSON. Cambridge ..., 7月 10, 2025にアクセス、 https://academic.oup.com/english/article-pdf/1/2/161/7286684/1-2-161.pdf

  9. What Happens In Hamlet by John Dover Wilson - Brontë's Page Turners - WordPress.com, 7月 10, 2025にアクセス、 https://brontespageturners.wordpress.com/2016/04/20/what-happens-in-hamlet-by-john-dover-wilson/

  10. Essays on Hamlet | Jeffrey R. Wilson, 7月 10, 2025にアクセス、 https://wilson.fas.harvard.edu/EssaysOnHamlet

  11. THE SUPERNATURAL IN HAMLET AND MACBETH - IS MUNI, 7月 10, 2025にアクセス、 https://is.muni.cz/th/t2jlr/Thesis_Jana.doc

  12. Ghosts In John Dover Wilson's Hamlet - 849 Words - Bartleby.com, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.bartleby.com/essay/Ghosts-In-John-Dover-Wilsons-Hamlet-0A93C7E2E07A4ED7

  13. Hamlet | PDF | Ghosts | Purgatory - Scribd, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.scribd.com/document/131056571/Hamlet

  14. Hamlet and ghosts, 7月 10, 2025にアクセス、 http://carneades.pomona.edu/1998-2006/2006-ImageGod/Notes/Hamlet.shtml

  15. Ghost In Hamlet - 779 Words - Bartleby.com, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.bartleby.com/essay/Ghost-In-Hamlet-FJF6ZQZ4TG

  16. Hamlet- critical interpretations Flashcards - Quizlet, 7月 10, 2025にアクセス、 https://quizlet.com/gb/281925552/hamlet-critical-interpretations-flash-cards/

  17. Critical Assessment of Love between Hamlet and Ophelia with Reference to Ophelia's Situation and Hamlet's State of Mind - ResearchGate, 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.researchgate.net/publication/276847076_Critical_Assessment_of_Love_between_Hamlet_and_Ophelia_with_Reference_to_Ophelia's_Situation_and_Hamlet's_State_of_Mind

  18. Hesitancy as an innate flaw in Hamlet's character: Reading through a psychoanalytic lens - Academic Journals, 7月 10, 2025にアクセス、 https://academicjournals.org/journal/IJEL/article-full-text-pdf/C39C39A63540

  19. Act 2, Scene 2: Video Link Paragraphs Index Item: What the Critics Say | myShakespeare, 7月 10, 2025にアクセス、 https://myshakespeare.com/hamlet/act-2-scene-2-video-link-paragraphs-index-item-what-the-critics-say-0

  20. What Happens (And Doesn't) In Hamlet (And Who Cares?) - JSU Digital Commons - Jacksonville State University, 7月 10, 2025にアクセス、 https://digitalcommons.jsu.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1008&context=fac_pres

  21. an objective correlative for ts eliot's hamlet, 7月 10, 2025にアクセス、 https://academic.oup.com/jaac/article-pdf/13/1/69/35095356/jaac_v13_1_69.pdf

  22. How Hamlet was Meant to Be, or Not to Be - Traversing Tradition, 7月 10, 2025にアクセス、 https://traversingtradition.com/2025/01/13/how-hamlet-was-meant-to-be-or-not-to-be/

  23. Hamlet's 'Sullied' or 'Solid' Flesh: A Bibliographical Case–History ..., 7月 10, 2025にアクセス、 https://www.cambridge.org/core/books/shakespeare-survey/hamlets-sullied-or-solid-flesh-a-bibliographical-casehistory/677302356499D58F79E11BEC4E692CA1

  24. Hamlet: Critical Approaches - Internet Shakespeare Editions, 7月 10, 2025にアクセス、 https://internetshakespeare.uvic.ca/doc/Ham_CriticalSurvey/index.html


●参考にした図書 

『新訳 ハムレット』ウィリアム・シェイクスピア・著 河合祥一郎 角川文庫










『ハムレット』ウィリアム シェイクスピア ・著/福田 恒存・翻訳 新潮文庫



『深読みシェイクスピア』松岡和子・著 新潮文庫

私の翻訳は、稽古場で完成する――。松たか子が、蒼井優が、唐沢寿明が、芝居を通して教えてくれた、シェイクスピアの言葉の秘密。それは、翻訳家の長年の疑問を氷解させ、まったく新しい解釈へと導いてくれるものだった。『ハムレット』『マクベス』『リア王』『ロミオとジュリエット』『夏の夜の夢』……。訳者と役者が名作の知られざる一面へと迫る、深く楽しく発見に満ちた作品論。





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自己紹介

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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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