これまで私は妖精についてお話ししてきましたが、戸惑われた方も多いのではないでしょうか。
妖精といえば、『ピーター・パン』に登場する可愛いティンカー・ベルや『夏の世の夢』に出てくるパックをはじめとした憎めない妖精たちをイメージすると思うのですが、私がお話ししてきたプーカやバンシーなどは、どちらかといえば怖ろしいモノノケのような存在でした。
人間は理解できないものに直面したとき、自分の知っていることに当てはめてそれを理解しようとします。とくに科学的知識をもたなかった古代人は、雷や、厳しい冬の寒さや、突然襲ってくる病気など、理解を超えたものに対しては、神や精霊、悪魔、妖精などが関わっているのだと考えました。
超自然的存在を考えるとき、自分をとりまく環境がそのイメージに大きく影響します。
北ヨーロッパの厳しい自然環境のなかでは、それだけ精霊や妖精の顔も恐ろしいものになりがちです。太陽光あふれるギリシアに比べて霞がかかることの多い北ヨーロッパでは、精霊も幻想的な雰囲気をまといます。古代の「イギリス」やアイルランドの人々が創造した妖精たちは、このような環境のなかで育ってきたのでした。
ところで私はこれまで、おもにアイルランドの妖精についてお話してきたのですが、「イギリス」の妖精はまったく違う変遷を経てきています。そして様々に移り変わってきた「妖精」の姿は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』で、今の私たちがイメージするような妖精のかたちの完成をみます。
これからしばらくはこれら妖精のイメージの変遷を追っていきたいと思いますが、その前に背景となる歴史について知っておくと理解が深まると思います。
そこで今話ではまず、古代の「イギリス」の歴史から。
古代「イギリス」の歴史
アイルランドの妖精信仰は435年頃に入ってきたキリスト教によって保護され、後にイングランドによって植民地化されはしても、17世紀に至るまで妖精信仰に外圧による変化はあまり見られなかったといいます(注)。
一方「イギリス」においては、キリスト教による民間宗教に対する迫害や他民族の文化との混合などによって妖精の姿も変わっていきました。
太古の「イギリス」
今から45万年前の氷河期には「イギリス」は大陸とつながっており、原始人は獲物を追って自由に行き来していました。それが紀元前7000~6000年頃になると地球温暖化により海水面が上昇し、ブリテン諸島は大陸から分断されます。島に残った人びとは長い石器時代を経験した後に、紀元前4000年前くらいから農耕牧畜を始めました。
![]() |
ビーカー人の土器 |
ビーカー人のもたらした青銅器は、農耕牧畜の生産性を上昇させ、交通や流通を飛躍的に増大させました。ビーカー文化は紀元前1900年頃まで続きます。
この高度に発達した文明によるのでしょうか。紀元前18世紀頃から、ストーンサークルなどの巨石建造物が建造されたといわれています。
ケルト人の到来
![]() |
古代ケルト人が住んでいたガリア地方 |
ケルト人は、紀元前2000年紀末から1000年紀前半あたりから、ヨーロッパ中央部に登場しました。鉄製の武器と騎馬戦術で、たちまちヨーロッパ北西部を中心に勢力を拡大した彼らは、ギリシア人からは「ケルトイ」、ローマ人からは「ケルタエ」と呼ばれて恐れられます。
そのケルト人が「イギリス」に足を踏み入れるようになったのは、紀元前7世紀頃のことで、数百年かけてこの島を制覇していきました。彼らがもたらした鉄器文明は、農耕牧畜の生産力をさらに増大させ、繫栄をもたらします。ケルト民族の信仰の中心であるドゥルイド教を民族精神の柱として、独特の文化が形成されました。
このケルト人の支配する「イギリス」を征服しようとしたのが、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)です。カエサルはこの島を、ラテン語で「ブリタニア」と呼びました。
それ以前(紀元前6世紀頃)にも、「フランス」の冒険家がこの島に上陸し、「アルビオン(白い島)」と名付けたことがあるのですが、ローマ帝国がこの島を支配したことから「ブリタニア」という名前の方が定着しました。
なお「アルビオン(白い島)」という名前は、冒険家がこの島に向かった時、東南岸にそびえたつ岸壁が石灰質の真っ白な壁だったのを見て命名した、ということです。
ブリタニアの形成
![]() |
ユリウス・カエサル |
その時の戦闘の模様やケルト人の生活などを記したのが『ガリア戦記』で、これについては第23話でお話しました(第23話参照)。
カエサルはブリタニア征服の夢を果たすことなく暗殺されてしまいましたが、彼の養子のオクタヴィアヌスが初代皇帝アウグストゥスとなってローマ帝国が成立し、その第4代目の皇帝クラウディウスの時代に、ブリタニアの主要な地域(ほぼ現在のイングランド)の征服に成功します。
![]() |
クラウディウス |
先住民の信仰であるドゥルイド信仰は、はじめの頃こそ弾圧されましたが、支配が安定してくるとむしろ保護されるようになり、ユピテルやネプチューン、ニンフといったローマ神話との融合が図られました。さらに4世紀頃になるとキリスト教が布教され始め、ブリタニアはさながら宗教の万華鏡のようになります。
しかし、ローマ帝国はその版図を拡大しすぎました。属州の経営は本国の財政を圧迫し、ついに5世紀には、ローマはブリタニアから撤退してしまいます。すると、現在のスコットランドあたりにいたピクト人やアイルランド島のスコット人(いずれもケルト系)が、覇権をねらってブリタニアに侵攻するようになってしまいました。
そこでブリトン人はローマに助けを求めます。ローマが送り込んだのは、アングル人やサクソン人といったゲルマン系の傭兵たちでした。彼らはピクト人やスコット人を蹴散らしますが、ブリタニアの豊かさに気づいたゲルマン人は、ブリトン人をも支配下に置いてしまいます。そしてそこを、アングル人の土地という意味の「イングランド」と呼ぶようになりました。
ゲルマン系民族の支配を嫌ったブリトン人は北や西に逃れ、北はスコットランド、西はウェールズやマン島などに住むようになります。以降、ケルト系民族とゲルマン系民族は対立が続きました。
さらに、9世紀の初めころから、スカンジナヴィア半島からヴァイキングという好戦的な戦士たちがイングランドに襲いかかってきます。
ヴァイキングの船の細長い船体は、より素早く移動することを可能にし、彼らの優れた戦術はイングランドやアイルランド、ヨーロッパのフランク王国を翻弄し、豊かな土地を持っていた教会や修道院を襲ってわがものにしていきました。ブリタニアの国ぐには、たまらず平和金を支払ってヴァイキングの侵略を止めようとしました。しかし、一時的には休戦状態になってもすぐに約束を破って再び侵攻し、各地に移住してきたりしましたので、イングランドはほぼ壊滅状態になっていきます。
そのイングランドを救ったのがイングランド・ウェセックス王国のアルフレッド王(在位871-899年)です。彼が即位すると、彼はヴァイキングの戦略・戦術を学び、海軍を増強し、ついにヴァイキングを駆逐することに成功したのでした。アルフレッドは賢王で、外交を手堅く行い、内政にも力を入れて法典も整備します。彼は大王と呼ばれました。
ヴァイキングと呼ばれたデーン人もゲルマン民族に属します。
ブリタニアの妖精たち
イングランドには、妖精を大きく分けて3種類あるとする意見があります(分類の仕方にはさまざまあります)。
ケルト系の妖精である「フェアリー」、チュートン系妖精の「エルフ」そして「アーサー王伝説」に登場する「フェ」です。
チュートン神話とは北方のゲルマン系の民族がもたらした神話です。この神話の中心となる精霊はエルフと呼ばれます。エルフの仲間には、トロールやドワーフといったどこかで聞いたような妖精の名前が並びます。
エルフについてはまた別のお話で詳しくお話しますが、エルフには「明るいエルフ」と「暗いエルフ」があり、明るいエルフは陽気で美しく、ときに繊細過ぎるほどの精霊ですが、暗いエルフは孤独を好み気難しく残酷で、奇怪な体をもった妖精です。
ブリタニアの妖精は、ローマ帝国の支配下においてはギリシア・ローマ神話の影響を受けてギリシア・ローマの神々やニンフと同一視され、後にキリスト教の影響を受けてキリスト教との融合が図られます。さらにチュートン神話と同化したりして形づくられていきました。
時代が下り中世になると、古代に活躍したウェールズのアーサーを主人公にした「アーサー王伝説」が広まって中世騎士物語の興隆に発展し、そこに登場する妖精「フェ」が美しい女性の姿をした妖精というイメージをつくりだします。
エリザベス女王の時代から次のイングランド国王ジェームズ1世の頃になると、悪魔も妖精も同列に論じられるようになり、シェイクスピアは『夏の夜の夢』や『テンペスト』における憎めない妖精や、『ハムレット』や『マクベス』における悪魔(魔女)的な存在を創りあげました。
シェイクスピアで頂点を迎えた妖精は、その後、いったんは詩人たちの技巧の道具にされて死んでしまいますが、やがて児童文学の世界で息を吹き返します。
ちょうどピーター・パンが観客の子どもたちに向かって、妖精を信じてくれたらティンクは生き返るから、信じる人は手をたたいてほしいと呼びかけ、子どもたちが大拍手をしたように。
次のお話ではエルフについてお話しようと思います。
**********
注
イェイツ編『ケルト妖精物語』の序文冒頭に、次のようなことばが書かれています。
オックスフォードとノリッジの司教であったコーベット博士は、イギリスの妖精たちが消え失せてしまったことを、かつて嘆いていた。「メリー女王の時代には」と書いている――
「トムが仕事を終わって帰り、
シスも乳搾りに出かければ、
さて、小太鼓は楽しくひびき、
妖精の足は陽気に踊る」しかしいまやジェイムズ王の時代になると、妖精たちはみんないなくなってしまった。というのは、「その役割が古くなったため」と「歌がみなアヴェ・マリア」になってしまったからである。アイルランドでは妖精たちはいまだに生き残っていて、心やさしい者たちには恩恵を与え、また、気むずかし屋たちを苦しめている。
イングランドでは、ヘンリー8世がイギリス国教会を設立しプロテスタントの国と定めたときから宗教問題で揺れ動き、凄惨な状況が現出しました(メアリ女王によるプロテスタント信者の処刑とエリザベス女王によるカトリック教徒の弾圧など 第11話、第12話、第13話参照)。
妖精についても論争が繰り広げられます。妖精をキリスト教と結びつけようと、天国には入れないが地獄に堕ちるほどの存在ではないとして堕天使とみなす考えを展開し、妖精に罪はないと主張する人もいましたが、妖精を悪魔と同一視する考えが主流派でした。
そして魔女とみなされた女性が処刑されたりすることもあったのです。
一方、イングランドから離れた僻地であるアイルランドは、イングランドからの締め付けもあまりなく、妖精信仰は保存されたのでした。
●参考にした図書
『イギリスの歴史』君塚直隆・著 河出書房新社
私がブログ「ラボ・ライブラリー研究<物語のむこうへ>」を始めたいと思ったきっかけは、河合祥一郎氏の「シェイクスピア」関連本を読んだことでした。
数年前に、ラボ教育センターからシェイクスピアの『ハムレット』『夏の夜の夢』が絵本とCDセットで発売されることになったとき、私は愚かにもシェイクスピアについて誤解していました。
シェイクスピアは難しい、高尚だが一般向けではない、時代が古い、、、などと考えていて子ども向けとして本を出版することに否定的だったのです。とりわけ『ハムレット』は訳が分からない。
「愛している、愛している」とつぶやきながら、突然逆上してオフィーリアに「尼寺へ行け!」などと怒鳴りちらすなど情緒不安定だし、「生きるべきか死ぬべきか」などと、小難しい哲学を開陳したりする。
しかし、河合氏による解説を読むと、それらの謎がまるで暗闇の中でサーチライトが点灯されたように、わずかながら理解できたのです。
キーワードは、物語の背景を知るということでした。河合氏から得た啓示を書いてみたいと思い、まずイギリスの歴史を知ろうということになりました。
そこで様々なイギリスの歴史関連本を買ってみたのですが、一番役に立っているのがこの『イギリスの歴史』です。400ページを超す、かなり分厚い単行本ですが、内容は非常にわかり易いうえにトリビア的な知識も得られるというすぐれものです。
最近、エリザベス2世の跡を継いでチャールズ3世が即位しましたが、そのとき「運命の石(スクーンの石」)がスコットランドから借りだされてきたということが少し話題になりました。この「運命の石」についても、この石はスコットランドがアイルランドから借り受けたもので、それをイングランドが略奪し、、、といったことも書かれていましたし、イングランドやスコットランドの名前、「~シャ」「~ブロ」というような地名の由来なども分かります。
初版が2022年3月と新しく、最新の研究が紹介されていて、イングランドがなぜEUから外れたのか、スコットランドがそれに乗じて独立しようとしたか、などということも分かります。
準備ができ、さあ『ハムレット』『夏の夜の夢』について書こうと思いましたが、その当時『宝島』が発刊されるということで、まずは『宝島』に関連して、海賊についてお話しするところから始めました。
妖精関連から次は『夏の夜の夢』に行き、ついで『ハムレット』に行こうと計画していますが、とても楽しみです。
『ケルト妖精学』井村君江・著 講談社
井村氏は、1965年東京大学大学院比較文学博士課程修了し、明星大学教授です。イギリス・アイルランド・フォークロア学会終身会員。
井村氏は「妖精学」を確立するために、この本を書かれました。そのため、妖精の分類や成り立ち、時代の移り変わりによる妖精のイメージの変遷など、妖精に関するあらゆることを網羅して書かれています。
これから私のブログでは、しばらく妖精のイメージの変遷について書こうと思っていますので、大いに参考にしたいと思っています。
『ケルト妖精物語』W.B. イェイツ・編 井村君江・編訳 ちくま文庫
この作品は、イエイツが民間で伝わってきているアイルランドの妖精物語を集めたものです。それは物語になっていたり詩になっていたりしていて、自然にケルトの世界に引き込まれるようです。
章立ては、「群れをなす妖精(フェアリー)たち」「取り替え子」「ひとり暮らしの妖精たち」「地と水の妖精たち」と、妖精の生態によって分けられ、最後にイエイツによりアイルランドの妖精の分類が試みられています。
※「●参考にした図書」には、Amazonで同じ図書を購入できるバナーが貼ってあります。私のブログをご覧になって参考図書に興味を持たれた方は、このバナーからAmazonのサイトに行くことができます。
「今すぐ購入」と書かれていますが、このボタンを押してもすぐに購入とはなりません。Amazonのサイトで、購入されるかどうかご検討ください。
これまでも今後も、私はネットに転がっている情報ではなく、実際に買った書籍を参考にしてお話をしていきたいと思っています(筆休めの回は別)。
このバナーから書籍を買っていただくと、Amazonアソシエイトから、数円が私の収入として振り込まれます。
無理にとは申しませんが、掲載した図書にご関心のある方は、ここからAmazonで買い物をしていただけると、これからお話を続けて行く原動力になります。
どうぞよろしくお願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿
お読みいただき、ありがとうございます。ぜひコメントを残してください。感想や訂正、ご意見なども書いていただけると励みになります