第51話『ハムレット』批評(その2)|高価な鉢植えに樫の種(ロマン派)

2025/06/22

『ハムレット』 シェイクスピア

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前話で、新古典主義の批評家たちは古代ギリシア演劇に演劇の理想を見出し、三一致の法則などの規則を守ることが重要だとしたことに触れました。

その点、『ハムレット』はそれらの規則が守られておらず、新古典主義の批評家はシェイクスピア作品を低俗なジョークなども紛れ込んだ、あまり上品ではないお芝居だと考えたのです。

しかし、ロマン派の批評家たちは全く違う評価をしました。

ロマン派とは18世紀から19世紀にかけてヨーロッパを中心として起こった芸術、文学、思想の潮流のことをいい、形式の美しさより感情や個性、自然、想像力を大切にします。

そういったことからロマン派の批評家はシェイクスピアを、感情豊かで想像力に満ちた天才的な作家だと高く評価しました。そして、新古典主義者が欠点とした点こそが、シェイクスピアの天才性を表すものだとしたのです。

『ハムレット』はハムレット自身による独白の多い作品です。彼が悩み、迷い、復讐を実行しかけてはちゅうちょするという、彼の心のうつろいが表現された心理劇的なお話です。

この点に着目したロマン派の批評家たちは、ハムレットを自分たちのように思索する人間、弱い心ももっている人間としてとらえ、共感をもってハムレットを見つめました。

【目次】
○ロマン派の主張(18世紀〜19世紀)
・ハムレットを礼賛したロマン派の批評家たち
○ロマン派がひらいた『ハムレット』理解の新たな地平

ロマン派の主張(18世紀〜19世紀)

左からコールリッジ、ヘイズリット、シュレーゲル、ゲーテ

ロマン派は、ご存知のように18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパを中心に起こった芸術、文学、思想の潮流のことをいいます。新古典主義者が主張したような形式美よりも、個人的な感情とか個性、自然、想像力といったものを重視しました。

この潮流が起こった背景には、フランス革命が起こりその後にナポレオンが出現したりして社会が混乱したということがあります。さまざまな事件を通して、人々は理性だけでは解決できない問題があるということを意識するようになりました。

またこの時代には産業革命がはじまったということもあります。効率化のために個人の感情や個性などが無視されるようになったのです。空気は煤煙で汚れ、静かだった農園は騒々しい街へと変化していきます。そういったことへの反発が、理性より感性を重視し自然へ回帰したいという思いを強くしていった時代でした。

『ハムレット』を礼賛したロマン派の批評家たち

この時代のロマン派の批評家たちは、『ハムレット』をどのようにみたでしょう。彼らはハムレットの複雑な内面や詩的な心の深みに焦点を当てました。

ハムレットといえば、思索にふける文学青年のようなイメージがあります。それは、ローレンス・オリビエが監督・主演を勤めた映画『ハムレット』(1948年)が影響しています。

この映画の冒頭では「これは決断できない男の悲劇である」というナレーションが字幕と共にアナウンスされますが、この映画によりローレンス・オリビエの端正な顔立ちとあいまって、青白き文学青年、優柔不断なハムレットというイメージが一般大衆に定着しました。

それではロマン派の人々の批評について、ご紹介していきましょう。

サミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge 1772 - 1834)

コールリッジは、ハムレットを思慮深く感性豊かな人間だとし、それが父の仇を討つという行動に踏み切らせない原因になった、と考えました。

人間の心理を深く観察し巧みに表現するシェイクスピアの天才性を、コールリッジは賞賛します。

ウィリアム・ヘイズリット(William Hazlitt 1778- 1830)

ヘイズリットはハムレットを『ハムレット』というお芝居に限定された特有のキャラクターではなく、だれにでも共通する性質をもった人物だととらえました。

現実の世界において、自分の父親が殺され、亡霊となった父から「復讐せよ」と言われたとしたら、様々な考えが浮かんできて、ただちに行動に移すことはなかなかできるものではないように思います。

ヘイズリットは、ハムレットの知性と繊細な感性のギャップ、あるいは思考と行動のギャップが人々の共感を呼び、その魅力になっていると論じました。

アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル(August Wilhelm Schlegel 1767 - 1845)

シュレーゲルは、ハムレットが父の亡霊の命令に従って復讐しないのは、彼は優柔不断だからではなく考え過ぎてしまうことが原因だと考えました。

亡霊ははたして本当に父なのか、死とは何か、というように哲学的な思索のなかにさまよう知的なハムレットです。知的であるがゆえに実行に移せない、そのことが悲劇なのだとしました。

シュレーゲルはまた、シェイクスピア劇の言葉の豊かさ、詩的な美しさを高く評価しました。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1742 - 1832)

かの有名な文豪ゲーテもロマン派に属し、『ハムレット』についてもゲーテの考えを披瀝しています。それは論文のような形で表現したのではなく『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(注)という小説のなかに書きました。

ゲーテはハムレットを、高貴な、極めて道徳的な性質の持ち主でありながら、精神的な重荷に耐えきれず、課せられた大事業の下で打ち砕かれる人物だととらえました。そのことをゲーテはとても印象的な美しい比喩で書いています。

愛らしい花々だけを育てるはずだった高価な植木鉢に、樫の木(オーク)の種が植えられたようなものだ。根は張り、種は芽吹くが、やがて容器は植物の力によって粉々に打ち砕かれてしまう。

つまり、高価な植木鉢とはハムレットの精神、そこに復讐というあまりにも過酷な使命(樫の木の種)を課せられたためにハムレットの精神は壊れ、破滅に至ったとしたのです。

ゲーテは「意志薄弱で優柔不断な王子」とみなされがちなハムレットに、「偉大すぎる課題に打ちひしがれる繊細な天才」「憂鬱な詩人」という、内面的で共感を誘う人物ととらえ、以降の演劇や映画などに強い影響を与えました。

ロマン派がひらいた『ハムレット』理解の新たな地平

ロマン派の批評家たちは、型式に縛られがちだった新古典主義批評家たちの見解を転換し、人間の内面の複雑さや存在の深遠さを描いた悲劇として『ハムレット』をとらえました。

このロマン派の人々の見解は、現代の『ハムレット』理解においても重要な視点を提供し続けています。

次のお話で取り上げるジョン・ドーヴァー・ウィルソンもロマン派に属しますが、彼はさらに、フロイト心理学なども参考にして、『ハムレット』を舞台で起こる謎解きミステリーのようにとらえ直した人です。

そして、その謎を「当時の観客の視点」と「台本の緻密な分析」から解き明かそうとした点が画期的でした。

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(注)『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』

この小説は教養小説というジャンルの代表とされています。

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<あらすじ>

裕福な商人の家に生まれたヴィルヘルム・マイスターは、家業を継ぐことには関心がなく、はなやかな演劇の世界に憧れる青年です、

恋人の女優にふられたことをきっかけに一度は演劇への思いを諦めたつもりでしたが、どうしても諦めきれず、旅の劇団に加わって役者あるいは劇作家としての人生を始めました。

彼はその修行時代に個性的な人々に出会い、恋や裏切り、盗賊に襲われるなどの経験をします。

しかし演劇の世界も理想の世界ではなく、人間同士の醜い争いや金銭トラブルに遭遇しては、幻滅するしかありませんでした。

やがて彼は、「塔の結社」という謎の結社にひそかに導かれていたことを知ります。この結社は彼の修行を見守り、その成長をうながすために仕組まれた結社でした。

最後に彼は、演劇という限られた世界で自己満足的に生きるより、実社会のなかで他者と関わり、責任ある社会の一員として生きていくことこそ人間としての完成だ、と悟ります。

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彼の修行時代に、彼はとくに『ハムレット』の上演に情熱を注ぎ、その解釈を通じて芸術や人生について深く考えます。彼自身が仲間に向かって『ハムレット』論を熱弁する場面で、ゲーテは彼に高価な鉢植えに樫の木の比喩を語らせます。


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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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