妖精の変遷を語る上で外せないのは、「フェ(あるいはフェイ)」という湖の妖精です。
もともと妖精は、イギリスのフェアリーや北欧のエルフのように、自然界に起こるさまざまな不思議が擬人化され、民衆から畏れ敬われてきた生きものたちでした。
しかし中世になると、ヨーロッパはキリスト教カトリックの世界観に覆われ、妖精に対する信仰は薄らいでいきます。そして僧侶や医師など知識人たちによる妖精についての議論が盛んになると、妖精は信仰の対象ではなく悪魔や堕天使の族(やから)と同類とみなされるようになりました。
その一方で、騎士道精神の興隆と宮廷風恋愛の流行に伴って、妖精は妖しくも美しい女性の姿で描かれるようになってきました。その魅力は英雄をより輝かせもしますが、誘惑し破滅に追いやりもします。
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ラボ教育センター刊 『ドン・キホーテ』 |
しかしその恋は一線を越えてしまうと大問題になりますから、いきおいプラトニックなものにならざるをえません。想い人を心に秘めた騎士は遍歴の旅に出て、数かずの困難を克服し成長していきます。
それが中世騎士物語のテーマのひとつであり、美しい妃に想いを寄せるプラトニックな恋が、宮廷風恋愛です。騎士がたどる遍歴の旅には、さまざまな悪魔(魔女)、怪物、巨人、ドラゴン、あるいは妖精などが待ち構えていて、騎士を悩ませます。
そうした中世騎士物語に大きな影響を与えたのが「アーサー王伝説」でした。アーサー王や円卓の騎士や、軍師にして魔法使いのマーリンに関する物語はいくつも著され、さまざまなヴァリエーションがあります。
この「伝説」の重要な脇役であるモルガン・ル・フェやダーム・デュ・ラック、ニミュエ(ニーニアン、ヴィヴィアン)は妖精の型として確立し、その亜種が他の騎士物語などにもたくさん登場します。
今話では「アーサー王伝説」とはどのような伝説でどんな物語を生んだのかというお話をし、次話では物語の登場人物、特に美しい乙女の姿をした妖精「フェ」についてお話ししたいと思います。
アーサー王伝説とは
『アーサー王と円卓の騎士』などの物語のもとになる「アーサー王伝説」とは、どのような、伝説なのでしょう。まずそこからお話しします。
アーサー王、ブリトン人の夢
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アーサー王 |
その後、ローマがブリタニアから撤退すると、ピクト人(ブリテン島北方に住んでいたケルト系民族)やスコット人(アイルランドから移り住んだケルト系民族)がブリタニアに侵攻するようになります。そこでブリトン人はローマに救助を求めました。ローマは傭兵として雇っていたゲルマン民族のアングル人やサクソン人を派遣したのです。
ところが、アングロ=サクソン人はピクト人やスコット人を排除しただけでなく、ブリトン人をも抑圧し支配しようとしたので、ブリトン人は今のスコットランドやウェールズ、マン島、コンウォールに逃れて抵抗しました。しかしゲルマン諸族は強力な軍事力をもっていたので、ブリトン人は敗戦に次ぐ敗戦を重ねます。
ただ一度、ウェールズのブリトン軍がサクソン軍を完膚なきまでに叩き潰した戦いがありました。それが5世紀末あるいは6世紀初め頃に戦われた「ペイドン山(パドニクスの丘)の戦い」です。この戦いを指揮したのが伝説の王アーサーでした。
伝説によれば、アーサー王はブリタニアでゲルマン諸族を倒したのち、北欧や西欧をも支配下に収め、東方の帝国まで滅ぼす活躍をしたことになっています。
しかしアーサーが王であったという説は、西暦800年頃のウェールズの修道士ネンニウスによって否定されています。ネンニウスが著した『ブリトン人の歴史』はアーサーの名が出てくる最初の書物ですが、それによれば、アーサーは王ではなく戦闘指導者であったと記されています。
「ブリトン諸王と力を合わせて戦ったアーサーという名の戦闘指導者がいた」(ネンニウス『ブリトン人の歴史』)
さらに実際の歴史を見てみれば、歴史は伝説のようには動いてはいません。イングランドはサクソン人が支配しましたし、ウェールズが北欧や西欧ばかりか東欧をも制覇した、という事実はありません。
とはいえブリトン人にとって、とくにウェールズの人びとにとって、現在でもアーサー王は実在した英雄であり、ブリトン人の血をひく人々の夢なのです。それはまた、「ペイドン山の戦い」で 敗れたほうのサクソン人にとっても、イギリス史上の輝かしい王として記憶に残りました。
エリザベス1世の祖父ヘンリー7世(ヘンリー・テューダー)はウェールズ出身で、イングランド王家からは遠い外戚でした。ところがバラ戦争の終結後、彼はイングランドの王に就きます。初めてウェールズ出身のイングランド王が出たのです。ウェールズの人びとはアーサー王の再来を期待し、大喝采を送りました。
ヘンリー7世は生まれてきた長男にアーサーという名をつけましたが、それもアーサー王伝説を強く意識してのことでした。
「アーサー王伝説」にもとづく物語群
アーサーの名が歴史上にはじめて登場したのは800年頃、ネンニウスの『ブリトン人の歴史』だったというお話をしました。その時の記述は、アーサーは戦闘指導員だったとしか著していませんでした。
しかし1136年、ウェールズ人の修道士ジェフリー・オブ・モンマス(1100頃-1155頃)が『ブリタニア列王史』を著し、そのなかでアーサーを王として紹介します。この書はまた魔術師マーリンの生涯も記述されていて、アーサー王はマーリンの魔術によってこの世に生を受けたとされたのでした。
ジェフリー・オブ・モンマス著『ブリタニア列王史』のアーサー
マーリンの父ユーサー・ペントラゴンは、コンウォールのティンタージェル公ゴ―ロイスの美しい王妃イグレーヌに想いを寄せますが、当然ながらしりぞけられます。そこで戦いになるのですが、マーリンはそんな父親に加勢します。マーリンは魔法により、ユーサーをゴ―ロイスの姿に変えて思いを遂げさせたのでした。まあ現代的な感覚からするととんでもないことですが、当時としては、あまり問題にはならなかったことなのかもしれません。むしろこの事件によって生まれたアーサーが、常識を逸脱した生誕をしたことで特別な力をもち、常人とは違う人生を歩むことになった要因になったと解釈されたのです。
詩人ラヤモン著『ブルート』のエルフ
1155年には、ノルマンの詩人ワースが『ブリテン王列伝』をフランス語の韻文に翻訳して『ブリュ物語』を著します。それがまたイギリスに帰って来たのが、1200年頃のことです。詩人ラヤモンが『ブリュ物語』を英訳し、『ブルート』という物語にしました。
ラヤモンは『ブルート』にひとつの仕掛けをします。ラヤモンはこの物語で、ゲルマン民族の精霊エルフをアーサー生誕に関わらせたのです。
ラヤモン自身はサクソン人であったことから、アーサー王をたんにウェールズの英雄にとどめず、ブリテンの理想的な国王として歴史に刻みたかったのでしょう。
選ばれし時は来た、かくしてアーサーは生まれた。この世に生まれるとすぐに、エルフたちは彼を連れて行った。非常に強い魔法を幼児(おさなご)にかけた、彼らはアーサーに力を与えた、騎士のなかの騎士になるように、もう一つは、豊かな王になるように、彼らは三番目のものを与えた、久しく長く生きることを。彼らはアーサーに、王としての最高の徳を与えた、それでアーサーは生けるもののなかで、もっとも寛大な王となった。これがエルフたちがアーサーに与えたものであり、このようにして幼児(おさなご)はりっぱに育っていった。(井村君江・訳)
このように、エルフが赤子の誕生を司り、贈り物をする妖精の産婆や妖精の代母、名付け親という性質は、のちの伝承物語である『眠りの森の美女』や『いばら姫』に受け継がれていくと、井村君江氏は『ケルト妖精学』のなかで述べています。
物語の最後には、傷ついたアーサー王はアヴァロンの島に傷を癒しに向かいます。ラヤモンは、その時にもエルフが付き添ったとしました。
『ブルート』以降
アーサー王の物語は、トマス・マロリー(1399-1471)の『アーサー王の死』をもって、一応の完成をみますが、それ以前も以降もたくさんのヴァリエーションがあります。なかには、マーリンや、円卓の騎士であるランスロットやガウェインなどを主人公にした物語もあります。1985年には、レフ・トルストイの孫のニコライ・トルストイがマーリンの研究をしました。その結果として彼の著『マーリン探求』に、マーリンは6世紀に実在しスコットランドの低地地方(ローランド)に住んでいた、と記述しています。
このように、アーサー王は実在したか、伝説のようなことは起こったのか、といった探求もなされました。
また、フィクションにも多く取り上げられています。たとえばトールキン(トルキーン)の『指輪物語』に登場するガンダルフは、マーリンをモデルにして描かれましたし、聖杯を探求する物語は多くの映画の題材になっていたりします。
●参考にした図書
『ケルト妖精学』井村君江・著 講談社
井村氏は、1965年東京大学大学院比較文学博士課程修了し、明星大学教授です。イギリス・アイルランド・フォークロア学会終身会員。
井村氏は「妖精学」を確立するために、この本を書かれました。そのため、妖精の分類や成り立ち、時代の移り変わりによる妖精のイメージの変遷など、妖精に関するあらゆることを網羅して書かれています。
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