今年ももう10月。あっという間にハロウィンの季節がやって来ました。今年もまた「死者」や「怪物」たちが街を跋扈し、東京・渋谷などでは狂乱の中に警察が割って入ったりするのでしょうか。
子どもたちが仮装して楽しむのはかわいいけれど、若者たちの大騒ぎは、この頃ちょっと行き過ぎている感じもあります。でも自分も若ければ、あの騒々しさの中は心地よかったに違いない、などと考えたりもします(笑)。
ご存じの方も多いと思いますが、ケルトの季節祭「サウィン」に起源をもつハロウィンは、もともとは厳粛なものでした。ケルトの暦によれば、11月1日から「闇の半年」が始まります。そのイヴにあたる10月31日の夜つまり「サウィン/ハロウィン」は、生の世界と死の世界を隔てる扉が開き、先祖や親しい人の霊が各家に訪ねてくる日なのです。この夜に訪ねてくる死者を招き入れ、食事を共にしてもてなすのが、もともとの「サウィン/ハロウィン」の行事でした。
もしもそのとき、家族が死者のことを忘れてしまっていたら、死者は怒って悪鬼の形相で生者に警告するでしょう。反対に死者の祈りが通じていたら死者は生者に恵みをもたらし、厳しい冬を生き抜く力を与えるのでした。これが「トリック・オア・トリート」の本当の意味だと、『ケルト 再生の思想』の著者の鶴岡真弓氏はいいます。
ケルトのことをずっと調べてきていますが、第25話でご紹介したように「浦島太郎」や「桃太郎」にそっくりな神話がケルトにもあったり、次話でお話しする「グリーンマン」は日本にもいるということに気づかされたりするので、ケルトと日本は地下水脈でつながっていて同じ文化を共有しているのだろうか、それとも単なる偶然なのかなどと考えさせられます。(第25話参照)
今話のハロウィンの話でも、日本の民間信仰とつながっているところがあるように感じます。
ハロウィンの起源
農民たちにとって暦はとても大切です。これがなければ、いつ種をまき、いつどんな世話をして、いつ収穫したらいいかがあいまいになります。そんなわけでケルトにも古代から伝わる暦がありました。
日本の暦は1月元日から新しい年が始まります。それは春の訪れから始まる暦です。いっぽうケルトの暦の新年は11月1日です。この日を境にケルトの世界では「闇の半年」に入るのです。
ケルトの暦
- 11月1日~1月末日(10月31日~11月1日にサウィン/ハロウィンの季節祭)
- 2月1日~4月末日(2月1日にインボルクの季節祭)
- 5月1日~7月末日(5月1日にベルティネの季節祭)
- 8月1日~10月31日(8月1日にルーナサの季節祭)
そして、11月1日~4月末日が「闇の半年」、5月1日~10月31日が「光の半年」です。
北ヨーロッパの冬は厳しく「闇の半年」はまさに暗闇に閉ざされる季節です。穀物は実りません。ワルキューレに代表される死の神が、地上の生きものをかっさらっていきます。
そこで農民たちは「光の半年」のうちに食料を収穫し蓄えて、「闇の半年」に備えなければならないのです。農民たちはまさに、この大自然の円環のなかに生きたのでした。
トリック・オア・トリート(“Trick or Treat”)
この「光の半年」から「闇の半年」へ移り変わる10月31日の夜から11月1日の朝にかけて、ケルトの農民たちはサウィンの儀礼を行いました。いわゆるハロウィンです。
もともとのハロウィンは、唐突に死者が墓から立ち上がり生者を襲うお祭りではありません。もしそうだとしたら”Happy Halloween”ということばは死者たちの狂乱の笑いではあっても生者には当てはまらず、恐怖に対する皮肉でしかありません。
そうではなくて、本来のハロウィンは、先祖や親しい人の霊が懐かしい家を訪れ、生者はその霊たちを迎え入れてもてなす儀礼なのです。
もしも生者たちがこれらの霊のことを忘れて何もしなかったら、霊はあえて悪鬼の姿で現れて彼らに警告するでしょう。しかし霊の祈りが通じて自分たちのことを忘れないでいてくれたら、生者に恵みをもたらし、闇の季節を生き抜く力を与えます。それが「トリック・オア・トリート(私をもてなしてくれる? そうでなければイタズラしちゃうぞ)」の意味なのです。
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ソウル・ケーキ |
純粋無垢な魂をもつ子どもたちは霊たちの代理として死者の仮装をし、家々をまわります。訪問を受けたほうは「ソウル・ケーキ」と呼ばれるお菓子を渡してもてなします。そうすることで、死者を迎え入れて食卓で食事を共にする古代の風習の代わり、としたのでした。ソウル・ケーキとは、光の季節の間に農民が一生懸命育てた貴重な小麦粉を丸め、干しブドウを十字の形に置いて焼いたお菓子です。
新年=「闇の半年」の始まり
ケルトの暦は日本の暦と違い、闇の半年が始まる11月1日が新年になります。なぜ、ケルトの暦は「死」から始まるのでしょう。
闇の半年を1年の最初にもってきたのは、現実的な問題もありました。何度もいうようですが、北ヨーロッパの冬の厳しさは想像を絶するものがあります。闇のスタートとなる11月1日までに闇に対する準備をきちんとできるかどうかということは、農民たちにとって死活問題でした。
人びとは、サウィンまでに十分な食料を収穫し蓄えなければなりません。そうでなければ、一家は飢えてしまうことになります。
家畜にとっても悲劇です。闇の半年が始まるとすべての家畜を養っていけるほどの餌を確保できなくなり、農民たちは仕方なく牧場から引きあげてきた家畜の大半を屠殺して保存食にします。
屠殺した家畜を浄化するために、サウィンの夜にはその骨を積み上げて、「ボンファイア」という特別なたき火を焚く儀礼を行います。「ボン」は“bone”、つまり骨です。
サウィンという死者を迎える祭で「ボンファイア」を焚くという話を聞いた時、私は日本のお盆を想起しました。これは私だけでしょうか?
食料を確保できなかった場合、死を覚悟しなければならないという、一年のうちで最も緊張するこの時期を新年としたのは、死を乗り越えるぞという農民たちの覚悟の表れだったかもしれません。
また、過去・現在・未来を自由に行き来する死者の霊を手厚くもてなすのも、死の季節を生き抜く力と勇気を授けてほしいという、農民たちの切なる願いもあったのではなかったでしょうか。
農民たちの祈り
私のブログの第11話にあるように、イングランドはヘンリー8世の私的な(?)都合により、イギリス国教会という「プロテスタント」に国教を替えしました(第11話参照)。しかしアイルランドにおいては変わらずカトリックでした。
プロテスタントは煉獄を否定しますが、カトリックでは原罪を負ったままの人間は天国に入る前に煉獄の焔で焼かれ、浄化される必要があるとします。宗教改革が行われた頃のカトリック教会の腐敗のひとつに免罪符があります。免罪符はお金で買う天国行きの切符でしたが、免罪符を買えない貧乏人は永遠に天国の門を閉ざされ、亡霊となって煉獄をさまようことになるのです。そのとき、亡霊たちが持っていたのは、悪魔からもらった火種=鬼火だったと、ブリテン諸島の伝承は伝えています。
ジャック・オ・ランタン
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白カブのジャック・オ・ランタン |
為政者は免罪符を買えない魂を亡霊として切り捨てましたが、民衆は見棄てることはしませんでした。民衆は亡霊のために、天国へ至る道しるべとしてランタンを作ったのです。それがジャック・オ・ランタンでした。
ハロウィンの夜には、このランタンとともに窓辺にお菓子や飲み物を置いて死者の怒りを買わないように、死者との交流の標としたのです。
このジャック・オ・ランタンは、アイルランドが発祥といわれています。19世紀には新大陸アメリカにも伝播し、かの地で豊富にとれるカボチャをくり抜いてランタンを作りましたが、本家アイルランドでは白カブをくりぬいて作ったといわれています。
メメント・モリ
メメント・モリということばは、「死を忘れるな」とも「死を思え」とも訳されるラテン語ですが、このことばはいろいろな解釈ができることばですね。
もともとは戦さに勝ったある将軍が、「明日も勝つとは限らない」と自らを戒めたことばだそうですが、キリスト教の教えが広まると、「過ぎ去っていく現世に固執せず、永遠の価値に生きよ」という意味にとらえられるようになりました。私などは、明日死ぬかもしれないという覚悟をもって今を生きよ、というような意味だと思っています。
いっぽう鶴岡氏は、北ヨーロッパの「闇の半年(=死の季節)」を背景にして、「死(者)は生(者)よりも強し」という意味にとらえています。
鶴岡氏は、アメリカの幻想作家レイ・ブラッドベリの「人間は死ぬが、私たちの死とともに、その死も死ぬ」という格言めいたことばを紹介して、その意味を説明しています。どういうことかというと、死ねばそれ以上死を恐れることはなくなり平穏を得られることだ、といいます。
それは、冬に滅びた命が春に再び息を吹き返すとき、死を潜り抜けた生はより強くなることを暗示しています。そうやって大自然は循環していくと考えたケルト人の知恵なのでした。
死から始まる再生
私のブログでは、第26話でストーンサークルなどのケルトの巨石建造物のお話をした時に、新婚の妻が巨石にお腹をこすりつけたりテーブル状になった石の上を滑り降りたりして、新しい命が体内に宿ることを願ったとお話ししました。(第26話参照)
巨石建造物の地下には、妖精たちの王国があるという信仰のほかに、死者の魂もそこに眠るという信仰もありました。若い妻がお腹をこすりつけるのも、死者の魂が自分の体内に宿って新しい命になると考えたのです。
つまり古代ケルトの人びとには、人間は生まれて死ぬという直線的な生命観ではなく、万物はいつか死ぬけれど、大自然の生命循環の流れに乗って再生するという思想があったのです。
生まれて死ぬという直線的な生命観であれば、死は終点です。しかし1年を死からはじめて季節がまわれば再生するという思想に立つと、自分たちが死んでもいつか再び復活するという希望につながります。
冬枯れて地上に生命がなくなっても、春になれば再び植物は芽を出し花が咲くという現象を不断に見ていた農民たちにとって、循環する生命観は「この闇の向こうには光が待っている」という希望を抱かせるものでした。
●参考にした図書
『ケルト 再生の思想―ハロウィンからの生命循環』鶴岡真弓・著 ちくま新書
鶴岡氏の専門は、ケルト芸術文化史、美術文明史。早稲田大学大学院修了、ダブリン大学トリニティ・カレッジ留学。現在、多摩美術大学芸術人類学研究所長・芸術学科教授。著書に、『ケルト/装飾的思考』『ケルト美術』(いずれも、ちくま学芸文庫)、『阿修羅のジュエリー』(イースト・プレス)など多数あります。本書は、古代ケルトの暦に沿ってそれぞれの季節についてのケルトの思想を、さまざまな角度から紹介する好著です。
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