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ラボ教育センター刊『妖精のめ牛』 |
この物語に登場するグリーンマンは、名前の通り上から下まで緑色の衣装で身を包んだ小さな男で、一見して普通の人間ではありません。牝牛を連れたその男は、妖精でした。
グリーンマンは、少しチャラい感じのエドウィンに、自分が連れてきていた牝牛を預けます。エドウィンが代わりの物として差し出したものはほとんどガラクタでしたが、なにしろ牝牛のほうがエドウィンを気に入ってしまったのですから、グリーンマンとしては仕方ありません。この牝牛を大切に扱うようにと、グリーンマンはエドウィンに約束させて牛を渡しました。グリーマンとの約束を守れば、牝牛は良質のミルクを出し、そのミルクで作られたバターやチーズは絶品になるということでした。
エドウィンは、人が変わったように牝牛の世話をするようになりました。すると、牝牛は約束通り良質のミルクを出して、尽きることがありません。たちまちエドウィンの家は繫栄しました。
ところがエドウィンが死に、息子の代になると世話も雑になり、ミルクを出さなくなってしまいます。そこで息子夫婦は牝牛を殺して肉にしようと企てます。するとグリーンマンが現れて人間との約束は一代しかもたないと嘆き、牝牛を連れて去っていきました。
というのがこのお話のあら筋です。
ライブラリー研究をやってみようと思い立つまでは、この物語に登場するグリーンマンが何者か知ろうともしませんでした。そこで思い立ってネットで調べてみることにしたのです。
しかし、ネット検索では「行け!グリーンマン」という特撮ヒーローモノの映画しかヒットしません。そこで英語で「Green man」と検索してみると、たくさんのグリーンマンの画像が並びました。ところが思いもよらず、どのグリーンマンもとても薄気味悪いのです。
どれも口や鼻や目などから、うじゃうじゃと植物(イギリスではオークの葉、ヨーロッパではアカンサスやブドウの葉)を吐き出し、目は虚ろだったりこちらを睨みつけていたり、あるいは意地悪そうな目をして何かを窺っていたりするレリーフでした。
『妖精のめ牛』に登場するグリーンマンも怪しげですが、これほど怖くはありません。これは一体どういうことかと思って、本気で調べてみました。すると、意外にも深いものがあったのです。
中世キリスト教教会のグリーンマン
グーグル検索でヒットしたグリーンマンのレリーフは、中世キリスト教教会の聖堂に配置されたものばかりでした。そのほかにも、墓碑銘にグリーンマンが彫られているケースもあります。こちらは、最古のものでは西暦1世紀あたりからのものも発見されているようです。
ある一定の年齢以上の方は、『エクソシスト』というホラー映画を覚えていらっしゃるでしょうか? 映画の冒頭には、有名なノートルダム寺院の屋根に陣取って、街を見下ろしている悪魔の彫刻の映像が流れていたように記憶しています(間違っていたらごめんなさい)。
何が言いたいかというと、中世ヨーロッパのキリスト教教会の聖堂には、聖なるものに混じって、悪魔のように邪悪なモノたちの彫刻やレリーフも配置されていたということです。
そうしてみると、グリーンマンも「邪悪なモノ」とみなされていたのですね。植物を産み出す精霊、というイメージは、私の感覚からするとエコであり、豊穣や繁栄を連想させるのですが、中世キリスト教においてはそうではなかったんですね。
植物は「罪」、という中世キリスト教の思想
動物が生きていけるのは大地のおかげであり、大地が生み出す植物の力が大きいといっても過言ではないでしょう。植物は酸素を排出し、動物の食料になり、大地に還った肉体に新たな命を吹き込みます。植物といえば「豊穣」や「再生」と結びつきやすく、ポジティブなイメージがあります。
ところが、中世キリスト教教会においては、植物の葉は「罪」、とりわけ性的な罪に結び付けられました。
とくに北ヨーロッパのうっそうと茂る森は薄暗く、ひょっこりと精霊が顔をのぞかせるような雰囲気に包まれています。キリスト教の考えでいえば、神が統べるこの世界はすべてキリスト教化されるべきだ、としますが、森の中では植物が野放図に伸びていきます。そのことから、森や森に棲む精霊を神に従わないモノとして、神に反逆するモノとして、邪悪な存在とみたのではないかと思います。「葉は肉の罪と永遠の罪の中に運命づけられた、邪悪で煩悩に身を焦がす人間である」(テバヌス・マウルズ)
「死を免れることのできない人間をイチジクの葉にたとえ、イチジクの葉が陽光をさえぎって日影をつくるように、われわれの『肉体』も魂を無知という病に放り込み、真実から遠ざける」(ヨハネス・スコトゥス・エウリゲナ)
また、次話でお話しする民間のお祭「五月祭」の前夜は、大勢の若い男女、なかには人妻までが森の中に入ってヨカラヌことをしても許されるとされ、フレイザーが著した『金枝篇』では、森に入った乙女たちが清い身体のまま戻ってくるのは、せいぜいそのうちの3分の1程度だと書いています。そしてその悪しき祭の主宰者はサタンだと決めつけてもいます。
中世キリスト教の聖堂に配置された邪悪なモノたち
映画『エクソシスト』の冒頭では、ノートルダム寺院の屋根に居座る悪魔が流れましたが、なぜ聖なる教会にこのような邪悪なモノの彫刻があるのでしょう。
初めにお話ししたように、教会にあるグリーンマンは薄気味悪いレリーフですから、おそらくグリーンマンも「邪悪なモノ」と解釈されたと思います。なぜ中世キリスト教の聖堂には、神聖なるものに混じって邪悪なグリーンマンのレリーフも配置されたのでしょうか。
邪悪なモノには悪魔やグリーンマンはもちろん、ユニコーンのような幻獣、妖精、人魚、半人半獣、ライオンのような猛獣(ライオンはイエス・キリストを象徴する場合もあれば、人間を襲う恐ろしい獣と解釈される場合もあります)、のたうちまわる植物の葉などがあります。
中世も後期になってくると、邪悪なモノのレリーフは聖なるものを際立たせる飾りのようになってきますが、中世初期のロマネスク様式においては、邪悪なモノも聖なるものと同等の重さで聖堂の中央部まで配置されています。
これはどうしたことかというと、教会を利用する者たちのほぼ全員が文盲であった、という事実によります。
教会を建てるように指示したエリートつまり聖職者は別として、主としてお金を出した封建領主も、日常的に教会を利用する農民たちも、巡礼も文字が読めません。理屈でキリスト教の教義を教える、などということは不可能です。
そういう場合にもっとも効果的な教化の方法は、聖書の内容を彫刻やレリーフや絵などの図像で伝えることです。聖堂という小宇宙のなかに、聖なるものは神々しく邪悪なるモノは薄気味悪く配置することで、キリスト教の教義を伝えようとしたのでした。
しかし無学な農民にとっては、教会の中はすべて聖なるものであると同時に、畏怖すべきものと映りました。聖堂の門の柱を支える猛獣の彫刻は農民を恐がらせるのに十分でしたし、天井の隅や祈祷台の台座からこちらを睨みつけているグリーンマンの姿は、邪悪なモノというよりは畏怖させるものとして迫力がありました。
薄暗い聖堂の中は、同じように薄暗い森の中と同じイメージであり、そこからこちらを覗き込むグリーンマンの顔は、農民たちの精霊(あるいは妖精)に対するイメージと合致していました(現代では妖精といえばかわいいイメージがありますが、当時の妖精は、恐ろしくて、気紛れで、人間に害を及ぼすこともあれば助けになることもあるモノノケです)。
聖職者が聖堂のレリーフを使って排除しようとした異教は、排除どころか農民の民間宗教に対する宗教心を強化させるのに役立っただけだったのです。
民衆に愛されたグリーンマン
グリーンマンに話を戻しましょう。
とくにイギリスにおいては、グリーンマンは民衆に親しまれている森の精霊です。それは、キリスト教の圧力にもかかわらず、延々と続いてきました。
試しに、酒好きのロンドンっ子に「グリーンマンとは何ですか?」ときくと、「パブだろ?」という答えが返ってくることがあります。イギリスのいたる所に「グリーンマン」という屋号をもつパブがあり、ロンドンには30軒あまりも「グリーンマン」というパブがあると言われています。また、イギリスの古い街並みの四つ辻には、グリーンマンのレリーフや彫刻がひっそりと置かれています。これは、四つ辻に立つお地蔵さんと同じですね。
それらのグリーンマンはあの薄気味悪いグリーンマンではなく、穏やかで、時に力強い姿を見せているものもあります。恐いものもありますが、それは日本の鬼瓦のように、魔除けのために置かれているようです。四つ辻に置かれているグリーンマンも、僻邪(へきじゃ=邪悪なモノノケを避ける)の意味があります。
民衆は、グリーンマンを恐ろしいモノノケというよりは、親しみをもって接してきたのだなあ、と私などは思ってしまいました。
大地への信仰とグリーンマン
中世カトリックの教会にあるグリーンマンは、はじめから「グリーンマン」と呼ばれていたわけではありません。それまでは、「木の葉で覆われた顔」や「グロテスク」などというあいまいな名称で呼ばれていました。
そんな、葉で覆われた顔に「グリーンマン」という名前を与えたのは、ラグラン夫人という方です。彼女は、1939年「フォークロア」誌に彼女が発表した”The 'Green Man' in Church Architecture”という論文のなかでその名を命名し、一般に定着しました。しかし、発表してすぐに第2次世界大戦が始まり、ラグラン夫人は研究を続けることができなくなります。
その後を継いだうちの一人が、生物学者で詩人のカサリン・バスフォード氏。彼女は「グリーンマン」の定義をつぎのように提唱しました。
- 頭部の髪やひげなどが植物になる
- 口、花、目、耳などから植物を出している。あるいは吸っている
- 体が植物になる。植物から人体が出る
教会に配置されたグリーンマンは、まさにこの定義に当てはまるものでした。しかし、もしこれが「グリーンマン」の定義だとすると、これに当てはまる神様や精霊は世界中にいます。日本においては、その代表がオホゲツヒメです。
「古事記」にも登場するグリーンマン
オホゲツヒメが登場する場面は、スサノオが高天原を追放され地上をさまようことになったときです。オホゲツヒメはスサノオにごちそうを作って慰めました。しかし、その食物はオホゲツヒメの鼻や口、尻から出てきた汚いものだったのです。
食物が出てくるところを目撃してしまったスサノオは、怒って彼女を切り殺してしまいました。するとその死体からさまざまな穀物が豊かに生えてきたのです。グリーンマンの2番目の定義そのままではないですか。
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福音館書店『とうもろこしおばあさん』 |
どこかで発生したグリーンマンの神話が世界中に伝播して、同じような神話が生まれたのか、それとも偶然に世界各地でこのような信仰が生まれたのかは、私はよく分かりません。
しかしどちらにしても、古代の人びとにとって、何もない大地から生命が生まれるという不思議が、大地は大地母神に支配されていてその力により生命が生まれ育つのだ、という信仰を生んだのだと思います。大地母神の子どもであるグリーンマンは、大地母神の使いとして植物を身体のあらゆるところから吐き出す/生み出す。グリーンマンのそのイメージは、農民にとって親しみ深いものだったと思います。
現代文明に反省を促す『妖精のめ牛』
『妖精のめ牛』の物語は、ケルトの血を引く人びとの思いをのせているのではないか、と思います。それは物語の冒頭で、サクソン人と戦ったことが述べられているからです。
私のブログの第34話でお話ししたように、西暦5年にローマがブリタニアから撤退した後、ローマはブリタニアの防衛のためにアングロ・サクソン人を派遣しました(第34話参照)。しかし想定とは違い、サクソン人は外敵を打ち払った後に、ブリトン人(ケルト系)をも支配下に置こうとしました。
ブリトン人は、スコットランドやウェールズ、マン島、コーンウォール、アイルランドに逃れてサクソン人に抵抗しました。強大なサクソン人に対し唯一ブリトン人が大勝利を飾った「ペイドン山の戦い」で活躍した戦闘指導者アーサーが、アーサー王の起源だという説もありますが、『妖精のめ牛』はその頃の物語だということを、暗に示しているわけです。
キリスト教がイギリスにしっかりと根を張っても、民間で信じられていた信仰のもとでは、妖精たちが生き生きと活動していました。彼らは一方的に意地悪で邪悪な存在などではなく、人間に対して時にいたずらをするけれども、人間が自分たちを大切に扱ってくれるならば恵みも与える、愛すべき存在だったのです。
しかし文明が発達し産業革命が成し遂げられて以降は、人間は自分たちに得があるかどうかだけしか考えなくなり、自然に対してはほとんど顧みることがなくなってしまった。そのことを妖精たちは、ほとんど死にかけている樹木の陰から、歯噛みしながら見ている。それが「人間は一代しか約束を守れない」という一言に込められていると思うのです。
今、人類は、その自然からの逆襲を受けている。そんな気がしてなりません。
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(注)
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オーク |
ケルト関係の本で、オーク(oak tree)という語がでてくると、「樫」と訳されることが多くあります。しかし、イギリスなど北ヨーロッパで育つオークと樫は違うものです。
樫は常緑高木の総称で常緑性があります。一方、オークは落葉広葉樹で、楢(ナラ)のほうが近いものです。葉の形は柏に似ています。そこから、オークは、楢あるいは柏と訳したほうがいいのではないかと阿伊染氏は言います。
宮沢賢治の作品に『かしわばやしの夜』という物語がありますが、彼も柏に神聖なものを感じたのでしょうか?
そういえば、神社に参拝する時に柏手(かしわで)を打ちますが、なんで「かしわで」というんだろう? 誰か教えてください。
●参考にした図書
『イギリスの歴史』君塚直隆・著 河出書房新社
イギリスの歴史を調べるにあたって、もっとも重宝した本です。イギリスの歴史についての本は他にもいろいろ買いましたが、この本が一番参考になりました。
この本は2022年3月が初版で最新の知見が書かれており、イギリスの歴史について概要を知るには最適ではないかと思います。イギリスがなぜブレグジットを行うことになったかもわかります。
『グリーンマン』著 板倉克子・訳 河出書房新社
・古代オリエント、エジプトの地母神信仰から、ローマ、中世、ルネサンス、そして現代に至るグリーンマンの足跡を追い、ヨーロッパの森の信仰がキリスト教の中で生きぬいてきた歴史を豊富な図版で描く、緑のイコノロジー。
ヨーロッパ教会にひそむ、植物の葉と人間の顔が混ざりあった奇妙な存在-グリーンマン。古代オリエントから現代に至るグリーンマンの足跡を追い、ヨーロッパの大地と森の信仰がキリスト教の中で生き抜いてきた歴史を描く。
『グリーンマン伝説』著 社会評論社
・オークに宿って光や水を尊ぶ、民間信仰のシンボルとしてのグリーンマン。その古典的研究を翻訳し、古今東西の文学や美術などに登場するグリーンマンを紹介。巻末にカサリン・バスフォード著「ザ・グリーンマン」の全訳を収録。
『教会の怪物たち ロマネスクの図像学』尾形希和子・著 講談社選書メチエ
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