今話では、前話ではとりあげなかったイギリスのパブの看板にまつわるお話をしたいと思います。その看板は、体中に葉っぱをまとわせ、こん棒を持って力んでいるグリーンマンの看板です。その背景には、たいていメイポール(五月の柱)が描かれているようです。
メイポールは、5月1日にヨーロッパ各地で開かれる五月祭の催し物です。若者たちは祭の前夜に森に入り、そこからまっすぐで高い木を伐り出してきて広場の中央に立て、その木を太陽の光を表現する色とりどりのリボンで飾ります。これをメイポールといいます。祭の当日は、白い衣装を着た少女たちがメイポールの回りながら踊り(注1)、その周りでは村人たちが宴を催すのです。
メイポールを背景にして、たくましいグリーンマンがこん棒を持って戦いを挑む姿が描かれている看板は、何を表していると思いますか? その戦いの相手は誰でしょうか?
たぶんそれは4月30日まで支配してきた闇であり、これを打ち破って新しい光の季節を呼び込む。そんなイメージなのだろうと思います。
ハロウィンのお話の時にお話ししましたが、ハロウィンは「闇の半年」に移る前夜のことであり、その時期に周囲は妖気に包まれ、あの世とこの世の間を隔てた扉が開き、亡霊たちが生者の所へ訪ねてくる日のことでした。(筆休め#2参照)
じつは、「闇の半年」から「光の半年」に移る4月30日の夜も、あたりは妖気に包まれて、この世ならぬものがうごめくのだ、という言い伝えがあります。フレイザーが『金枝篇』に書いたように、人びとは開放的な気分になりサタンが支配する森に入って、キリスト教徒にとっては目を覆いたくなるようなカオスが現出する日なのです。
しかしその妖気も、一番鶏が鳴き朝日が昇ると、モノノケたちは驚いて雲散霧消し、秩序が戻ってきます。パブの看板に描かれたグリーンマンのこん棒は、このモノノケたちを打ち払う強力な武器に見えます。
このイメージは、古代に遡るとケルトの神話にたどり着くと私は思っています。そして五月祭前夜の奇怪な世界は、シェイクスピアの天才的な作劇術によって新たな命を吹き込まれ、『夏の夜の夢』へと昇華していくように思うのです。
光の半年の始まり=ベルティネ
私のブログの「筆休み#2」のハロウィンのところでご紹介したケルトの暦を思い出してみてください。
ハロウィンの翌日の11月1日から始まって4月30日までは「闇の半年」になっています。5月1日から10月31日までは「光の半年」です。そして、5月1日のメイデーには、ヨーロッパでは五月祭が行われます。五月祭は古いケルトの暦でいう「ベルティネ」という祭が起源になります。これには異説もあります。その説によると古代ローマの祭に由来するとします(Wikipedia「ヨーロッパの五月祭」参照)。
五月祭 ベルティネ前夜から夜明けへ
闇に閉ざされてきた北ヨーロッパでは、5月1日頃から、太陽の光は強さを増し、人々は開放的になります。生きものたちも生気に満ちて輝き始めます。まさに豊穣の季節に突入するわけです。しかし、前述のように五月祭の前夜は、自然界のエネルギーの増大によって世界のバランスは崩れ、超自然的な出来事が起こるとされます。
ドイツ、スウェーデン、フィンランド、エストニアといった国々では、この夜を「ワルプルギスの夜」と呼び、魔女が宴を催すとされてきました。これらの国々の人びとは太陽を象徴するたき火を焚いて魔女をなだめ、大自然のバランスを保とうとします。そして5月1日の朝を迎えると、イギリスにおいては妖精が、ヨーロッパにおいては魔女たちが驚いて森から退散し、自然エネルギーが満ちて世界はバランスを取り戻します。
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| ワルプルギスの夜に焚かれるたき火 |
古代ローマがケルト人を席巻するまで、ヨーロッパ大陸およびブリタニアには広範囲にケルト人が部族に分かれて住んでいました。その名残が現代にも引き継がれているのです。
ヘイスティングスの五月祭
ウィリアム・アンダーソン著『グリーンマン』のプロローグには、イギリスのイースト・サセックス州の町ヘイスティングスでの五月祭が紹介されています。
この地の五月祭では、体中が葉っぱで覆われて頭には花の王冠を乗せ、草木を吐き出している仮面をつけた2メートル半はあろうかという「緑のジャック」が街を練り歩きます。その周りを数人のグリーンマンがついてまわります。全身を黒い衣装で身をかためた美しい娘が、先頭を歩いていきます。一行の後ろには見物をする人々の群れ。
緑のジャックは時々、娘にちょっかいを出しますが、そのたびにグリーンマンに取り押さえられてはたしなめられる、ということを繰り返しながらヘイスティングの城を目指します。城に着くと城の森にある塚で一行は休憩を取り、見物人たちは食べたり飲んだりモリス・ダンス(注2)を踊ったりしながら楽しみます。
さて、このお祭りの結末はどうなると思います?
休憩の間、緑のジャックは食べたり飲んだりしている人びとの間を飛び跳ねています。頃合いを見てグリーンマンの一人が「最高の楽しみを!」と叫ぶと、踊り手たちはそれぞれ木の剣を持って緑のジャックをめがけて笑いながら突進し、緑のジャックはその場に倒れて死ぬのです。そして踊り手の一人がジャックのために詩を朗読し、全員がジャックの身体についている葉や花を持ち帰ってお守りにするということです。
最初、私は緑のジャックがなぜ殺されなければならないのか、分かりませんでした。今でも完全に分かったのかといわれると、あまり自信がありません。ただ、これは「死と再生」に関係した行事なんだろうなということを、今はおぼろげながら思っています。
私のブログの「筆休め#2」でもお話ししましたように、ケルトの暦は10月31日のサウィン/ハロウィンから始まります。ここから「闇の半年」が始まる。つまり「死」からすべて始まるのです。(筆休め#2参照)
ケルトの人びとにとって、「死」は終わりではありませんでした。「死」により次の「再生」が始まります。「死」を経験した「生」はより強くなるという思想もあったと思われます。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が『ガリア戦記』のなかで、ケルト人は死を恐れず果敢に向かってくるのは、輪廻転生説を信じているからだと書きました。それは、ローマで信じられていた「輪廻転生説」とは違っていたのだということは、私のブログの第25話でお話ししました(第25話参照)。古代ケルトの人びとは、死んだ魂は大自然の生命循環の流れに乗って再生すると信じていたのです。
前にお話ししたフレイザーは『金枝篇』に次のような言葉を書いています。
「春になって植物の精霊の代表を殺すことは、植物の育成を促進し、また活気づける方法だと信じられていたわけである。なぜなら、樹木の精霊を殺すことは常に(中略)それが若々しくて活発な形で再生し、あるいは復活することと関連しているからである」
ここにも、ケルトの人びとの暦が「死」から始められた理由があるように思います。
グリーンマンとダグダ神―死と再生と豊穣(考察)
さて、こん棒を持ち緑の葉っぱをまとったグリーンマンの看板を、もう一度見てください。なぜ、武器がこん棒なのでしょう? 私は、こん棒を見てケルトの大神ダグダを連想しました。
私の過去のブログに古代ケルトの神々のことについてお話しし、ダグダについてもお話ししました(第27話、第29話、第30話参照)。ダグダは豊穣の神であり、彼の持つ大鍋は尽きることなく食物を出します。この鍋は地下の「常若の国(ティル・ナ・ノーグ)」とつながっており、そこから食物は絶え間なく送られ、それをたらふく食べているダグダは丸々と太っています。この鍋は『はだかのダルシン』に出てくるブリジッドの鍋を連想させますね。
また、彼の武器はこん棒です。ダグダは大男の神ですが、それでも引きずって歩かなければならないほどの巨大なこん棒です。このこん棒の一方で相手を叩けば敵は死んでしまいますが、反対側で叩けば死んだ者が生き返るという魔法のこん棒なのです。
つまり、ケルトの大神ダグダは、死と再生をつかさどるこん棒を持ち、それがダグダの大食つまり豊穣と結びついているというわけです。
さらに看板をよく見ると、背景には五月祭のメイポールが描かれています。このグリーンマンが、もしダグダをイメージしているのだとすると、死と再生と、そして豊穣の季節の始まりを祝う五月祭が連関しているように見えるのです。
グリーンマンに関連する本を何冊か読みましたが、その起源をドゥルイドやギリシア神話のディオニュソス神、あるいは同じくギリシア神話のオケアニデス神に求める記述はありましたが、ダグダ神を起源とする説はありませんでした。ですから、これは私の勝手な考察にすぎません。でも私自身は、もしかしたら? なんて思っています。
さて、アテネの森へ行こうか
ケルトに関することを調べてみて、思うようになったことがあります。
妖精という超自然的存在はヨーロッパの人びとの魂の基層に強く存在していて、それが民間の伝承や物語に色濃く反映している、と。
ヨーロッパの文化を知るには、キリスト教、ナーサリー・ライム(マザーグースの歌)、シェイクスピアを知る必要があると私は現役時代に言われましたが、それにケルト文化とりわけ妖精も加えるべきではないか、と思うのです。
ただ、もともとの妖精は恐ろしいものでした。それが、花の陰に隠れるほど小さかったり、憎めないイタズラ坊主だったり、地球を何周もするような能力を持ちながら、失敗もやらかしてしまうようなかわいい「妖精」のイメージに変えて、それを現代に至るまで定着させたのは、シェイクスピアの傑作『夏の夜の夢』の功績が大です。
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| ラボ教育センター刊 『夏の夜の夢』 |
このお話は“Midsummer Night’s Dream”が原題です。Midsummerを日本語に訳すと「夏至」になりますので、この物語は夏至に起こった出来事なのだろうというのが定説のようになっています。
しかし、『ケルト 再生の思想』の著者である鶴岡真弓氏は、これに真っ向から反論します。ケルトの暦にあるベルティネの前夜こそが、この物語の繰り広げる「夜」なのだ、と。次話はそこから始めたいと思います。
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(注1)メイポール
メイポールの周りで踊るダンスを「メイポール・ダンス」といいますが、その動画を添付しておきます。
(注2)モリス・ダンス
同じく、モリス・ダンスの動画です。
●参考にした図書
『ケルト 再生の思想―ハロウィンからの生命循環』鶴岡真弓・著 ちくま新書
鶴岡氏の専門は、ケルト芸術文化史、美術文明史。早稲田大学大学院修了、ダブリン大学トリニティ・カレッジ留学。現在、多摩美術大学芸術人類学研究所長・芸術学科教授。著書に、『ケルト/装飾的思考』『ケルト美術』(いずれも、ちくま学芸文庫)、『阿修羅のジュエリー』(イースト・プレス)など多数あります。
本書は、古代ケルトの暦に沿ってそれぞれの季節につ
いてのケルトの思想を、さまざまな角度から紹介する好著です
『グリーンマン』 ウィリアム・アンダーソン・著 板倉克子・訳 河出書房新社
古代オリエント、エジプトの地母神信仰から、ローマ、中世、ルネサンス、そして現代に至るグリーンマンの足跡を追い、ヨーロッパの森の信仰がキリスト教の中で生きぬいてきた歴史を豊富な図版で描く、緑のイコノロジー。
ヨーロッパ教会にひそむ、植物の葉と人間の顔が混ざりあった奇妙な存在-グリーンマン。古代オリエントから現代に至るグリーンマンの足跡を追い、ヨーロッパの大地と森の信仰がキリスト教の中で生き抜いてきた歴史を描く。
『ケルト妖精学』井村君江・著 講談社
井村氏は、1965年東京大学大学院比較文学博士課程修了し、明星大学教授です。イギリス・アイルランド・フォークロア学会終身会員。
井村氏は「妖精学」を確立するために、この本を書かれました。そのため、妖精の分類や成り立ち、時代の移り変わりによる妖精のイメージの変遷など、妖精に関するあらゆることを網羅して書かれています。










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