第30話 ケルトの神話(その4)―女神ダヌ(ブリジッド)と大釜|Trick or Treat?

2023/04/15

『グリーシュ』 『はだかのダルシン』 『妖精のめ牛』 ケルト 神話 物語 妖精

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グンデストゥルップの大釜

今話では、ダヌ(ブリギッド、聖ブリジッド)と火・大釜・かまどの関係について、お話ししたいと思います。

何度もお話ししたと思いますが(笑)、ダヌはダーナ神族(トゥアハ・デ・ダナーン)のひとり、長老ダグダの娘です。

お父さんのダグダはフィルボルグ族との戦いのとき、「魔法のこん棒」のひと振りで何人も倒す活躍をしましたが(第29話参照)、とてつもない大食漢でもあります。この神はいつも大釜を背負っているのですが、そこからは無尽蔵に食べ物が出てきます。この大釜は、どうやら地下世界に通じていて、食べ物はそこから運ばれてくるらしいのです。

第25話で触れたイムラヴァの物語にあるように、地下世界(常若の国=ティル・ナ・ノーグ)では食べ物は尽きることなくいつも豊富にある、と考えられていました(第25話参照)。ということは、大釜が地下世界とつながるホットスポットになっているともいえそうです。

ダグダはあふれんばかりの食べ物をいつも腹いっぱい食べているので、お腹は大きな太鼓腹です。それを腰にしめたベルトの上に乗っけているという、ちょっとユーモラスで憎めない神様です。そこからダグダは豊穣の神だとみなされました。

豊穣の神であるだけに、ダグダには子どもがたくさんいますが、ダヌもその一人です。ダヌは父ダグダの血を受け継ぎ、同じく豊穣の神とされています。

ダヌはまた、女神ブリガンティアや聖ブリジッドと同一視されます。そのキーワードは「火」であり、「大釜」「かまど」です。それが、ドルメンなどの巨石建造物の地下に妖精の国があり人間界と境を接している、という信仰につながっているのです。

今話では、まず、ダヌ(ブリギッド)と融合した女神ブリガンティアと聖ブリジッドについて、お話しするところから始めましょう。

ダヌと融合した女神ブリガンティアと聖ブリジッド

ダヌ(ブリギッド)、女神ブリガンティア、聖ブリジッド、それぞれ共通するところは何かというと、民が飢えないように毎日糧を与えるということと、豪胆で火のように熱い心を持っているというところです。そのため、ケルトの人々はこの三位一体となった女神ダヌを敬ったのでした。

まずそれぞれがどういう女神あるいは聖人だったのか、ということについてご紹介します。

土着宗教とキリスト教を柔らかく融合させた聖ブリジッド

聖ブリジッド
まず、実在の人物である聖ブリジッドをご紹介しましょう。

アイルランドの三聖人といえば、聖パトリック(アイルランドの守護聖人)、聖コルンバ、そして聖ブリジッドだということはご存じですか(私は知りませんでした)。三人はほぼ同時期にアイルランドではじめてキリスト教を布教しはじめたとのことです。

キルディア出身の僧コギトスス著『聖ブリジッド伝』によれば、聖ブリジッドは西暦451年頃にレンスター地方のダンダーク付近で生まれました。彼女は468年頃に、西ヨーロッパで最古の女子修道院を設立したことで知られています。

生まれたのは実家ではなく、ドゥルイド僧の家でした。ブリジッドを身ごもった妻を、夫がドゥルイド僧の家に送ったのです。

ラボ教育センター刊『妖精のめ牛』
ドゥルイド僧のもとで生まれた彼女は、「赤耳の白牛」の乳で育てられたといいます。ラボ・ライブラリーでは『妖精のめ牛』というお話がありますが、牛(とくに白牛)は神へのいけにえにもされたようですから、聖なる動物とみなされていたのかもしれません。

聖ブリジッドが少女になると、私財を投げうってでも貧しい人に日々の糧を与えるようになります。そのため父親からは疎まれてしまったので、生まれたドゥルイドの家と実家とを行き来するような生活をしていた、とのこと。

おとなになると彼女は結婚せずに実家を離れて修道の道に入り、キルディアの「ドゥリン・クリア(樫の木の編垣)」と呼ばれた樫の木の下に小さな礼拝堂を建てて、男子修道院と女子修道院を設立しました。

樫の木(オークあるいはドゥール)は、ドゥルイド僧も聖なる木とみなし、そこに庵を編んで住んでいましたね。儀式のときにはオークに宿るヤドリギを切って、それを祭壇にすえました。

彼女はアイルランドにキリスト教を布教しましたが、ケルトの土着宗教を排除することはなく、ごく自然に融合していくように取り計らったといわれています。この柔軟な姿勢に、アイルランドのケルト民族も、自然にキリスト教を受け入れていきました。そして人々は、彼女を神に比するほど崇拝したとのことです。

聖ブリジッドについては、こんな言い伝えがあります。

彼女はドゥルイド僧の家で生まれたというお話をしましたが、彼女が生まれた時、産屋から「燃え立つ柱」が出現して天に昇っていき、神の住まう天と人間の住む地上とを結んだというのです。

赤子の額から炎が上がり、その炎がブリジッドのゆりかごと太陽とを結び付けた、と信じられてきました。

豪胆で民を飢えさせなかった女神ブリガンティア

ブリガンティア
女神ブリガンティアは、ブリガンティ族(西暦1世紀頃に現在のヨークシャーからスコットランドとの境を本拠地としたケルト系の種族)が崇拝した女神です。

この種族は、西暦43年頃から69年頃にかけて、カルティマンドゥアという女王に支配されていました。この女王と女神ブリガンティアが二重写しになって民にとらえられていた、とのことです。

女王カルティマンドゥアは豪胆で戦術に優れ、当時侵攻してきたローマ軍を撃破して、自らの地に寄せつけませんでした。一方、彼女は内政にも気を配り、民を飢えさせることは決してなかったといいます。

カルティマンドゥアという名前は、「カルティ=追いかける」「マンドゥア=仔馬」という語源をもっています。

ケルト人は馬のパワーを太陽と火に結びつけて考えます。また、女神たちは「火の血」を吹きながら子孫を産むと考えられていましたから、火は「産出力」も表します。

女王カルティマンドゥア(=女神ブリガンティア)は、ローマを恐れない豪胆さと、一族に日々の糧を与え繁栄を約束した女王ですが、父のパワハラに屈せずに私財を投げうって貧しい人を助け、知恵をもってキリスト教を布教していった聖ブリジッドと共通するところがあり、後年、両者は同一視されていきました。

かまどという火の居場所の女神ダヌ(ブリギッド)

ダーナ神族の母ダヌは中世までブリギッドと呼ばれていたということは第27話でお話いたしました(第27話参照)。そこでダヌとブリギッドは同一の女神と考えていいと思います。

第27話で私は、ダヌを次のように紹介いたしました。

ブリギットは、ケルト神話では主となる神で生命の源となる母神です。また、万能の神ダグダの三人娘のひとりといわれ、火、かまど、生命と詩歌の女神とされています。

ダヌはまた、一袋のモルトと麦芽で大勢の人々の喉をうるおすエールを産出できる能力がある、とされました。

父ダグダが無尽蔵に食料を生み出す大釜を持っていれば、その娘のダヌはその中身である食料を無限に提供する力を持っています。

そして、その力の源がかまどの火なのです。

聖ブリジッドが生まれるとき、彼女の産屋から「燃え立つ柱」が上り、それが天と地を結び付けた。一方、女神ブリガンティアは「火の血」を吹いて子孫を産出する。そしてダヌは火の居場所であるかまどの女神。

火を媒介として、ダヌとブリガンティアと聖ブリジッドが結びつきます。

ケルト民族にとって、この「火」が豊穣をもたらす源なのです。そしてその火をつかさどる者は、ケルトにおいては女性でした。

女性とかまど(炉)

現代では、ガスレンジのスイッチを回せば火は簡単につきます。そもそも火などを使わなくても、電子レンジでチンすればたいていの料理は作れます。

ところが古代においては、火はとんでもなく貴重でした。もしも火が消えたら一家を養う料理は作れません。火を消さないことは一家の最重要課題のひとつでした。

火を消さないようにするという仕事は、家長の妻や嫁の仕事です。

暗いかまどで火が消えないように注意を払い、夜になると火が消えないように灰をかぶせます。自らも灰をかぶりながら火の世話をする姿は、シンデレラ(灰かぶり)をほうふつとさせますね。

火の世話をするのは外部から来た女性であり、その家の女性ではありません。継子であるシンデレラが灰をかぶるのであって、家族の女性は火の世話はできないのです。これはケルトの信仰によるものだそうです。

火は人間が食べられるように肉や野菜などを料理(変化)しますが、火はまた、何の変哲もない石(鉄鉱石)を武器や大釜などの日用品に変化させることもできます。それは古代のケルト人にとっては、まさに魔法だったでしょう。

火という魔法を使って作った武器や馬(馬のパワーは火の象徴)を用いてヨーロッパ世界を席巻したケルト民族にとって、火はまさに一族繁栄と豊穣の源であったわけです。

しかし、かまどが女性と関係があるというのはうなずけるにしても、製鉄に使う炉はどうなの? という疑問もあるかもしれません。

実際に製鉄にも女性が関わったかどうかはわかりませんが、2月1日に開催される「インボルク(春の訪れを祝う祭)」と呼ばれるケルトの祭では、金床で金属器を生み出す「鍛冶師ブリギッド」の絵が飾られるとのことです。女性と炉の関係は、今でも重要な意味をもっていることが想像されます。

地下世界へのホットスポット

アイルランドの首都ダブリンから真西に行ったところに、「クローガン・ヒル」と呼ばれる墳丘があります。そこは青銅器時代以来の埋葬地で、クローガン・ヒルやそのすそ野の泥炭地から埋葬された人骨が出土することもあるそうです。このクローガン・ヒルにある火山岩のかたまりが、アイルランドのヘソといわれています。

この墳丘の頂上付近にブリ・エレと呼ばれる「炉」をかたどった石組みがあります。もと火山だった墳丘の上に、炉をかたどった石組みを作っていたわけです。

さらにクローガン・ヒルの西方にあるウシュネフの丘から、冬至の日にクローガン・ヒルをのぞめば、太陽光がその頂を射るのが見えるといいます。

ウシュネフの丘とは、古代ケルトのドゥルイド僧が最初に火をおこした場所だといわれていますから、この現象を見た古代人は、クローガン・ヒルの「炉」と火山の「火」との関係を強く意識したのではないでしょうか。そしてその守り手こそがダヌ(ブリギッド)だ、という信仰が生まれたのでした。

古代のケルト人は、クローガン・ヒルの石組みの下には大釜が埋められている、と信じていました。大釜は食べ物だけではなく、死者を蘇らせるとも信じられていましたから、この地域に埋葬された死者の魂は、いつかまた蘇ってくると考えられていたわけです。

Trick or Treat?(トリック・オア・トリート?)

古代ケルト族より前に住んでいた先住民族は、ヨーロッパのあちらこちらにストーンサークルやメンヒルなどの巨石建造物を遺し、ケルト人がそれを受け継ぎました。これらをケルト人は、クローガン・ヒルと同じものだと考えていたのかもしれません。

建造物の地下にはダーナ親族が建設した王国があり、神族は妖精となって永遠に住んでいます。時々、妖精たちはそこから現れて人間と接触し、人間にいたずらをしたり助けたりします。

クローガン・ヒルの地下に埋められている(と信じられていた)大釜によって死者が蘇るように、巨石建造物の地下に眠っている魂はハロウィーンのお祭の日に地上に現れます。

死者は、生きている者たちが自分たちをまだ大切に思ってくれているのか、それとも自分たちのことなど忘れ去り、ないがしろにしているのかを確かめようと、一軒一軒戸口をまわっていくのです。

“Trick or Treat?”
「もしもオレたちのことを忘れていたりしたらイタズラしちゃうぞ。今も大切に思ってくれているのなら助けてやってもいいぜ」

●参考にした図書

『ケルト 再生の思想―ハロウィンからの生命循環』鶴岡真弓・著 ちくま新書

この本もまた、ケルトの信仰と思想について、大変参考になった本です。著者の鶴岡氏の専門はケルト芸術文化史、美術文明史です。

ケルト民族は一年を4つの季節に分けました。

一年の始まりは11月1日。暗い冬の始まりで、この日にはサウィンというお祭りが催されます。いわばここからは死と暗黒の始まりです。その前日のイブが、ハロウィーンなのです。命が萌えいずる春の訪れを祝うのではなく、ものみな死に絶える冬が、彼らにとっての1年の始まり。その独特の思想がケルト民族の思想でした。

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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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