ケルトといえば、ケルト神話もヨーロッパの文化の基層にありますが、妖精の物語はさらにヨーロッパをはじめ世界の文化、思想に大きな影響を与えています。

『ピーター・パン』や『夏の夜の夢』などの物語にも妖精は登場しますし、映画やPCゲームの世界にも、ケルトの神々や妖精が大活躍するストーリィが目白押しです。私のブログがテーマとしている物語について語る上でも、妖精について研究することは欠かせません。

ケルトの人々が考えた妖精とは、いったいどのような存在なのでしょう。
今話では、妖精についてざっくりとお話ししたいと思います。

妖精って何者?

これまで私は、妖精とはトゥアハ・デ・ダナーンの神々がミレー(ミレシア)族に敗れて地下に王国を築き、巨人だった神族は人々から崇拝されなくなるにつれ小さくなっていった者たち、とお伝えしてきました。

そのほかにも、「救われるほど良くはないが、救われないほど悪くもない堕天使」という説もあります。

というのは、妖精たちは多くイタズラをしますが、逆に善人を助けることもしますし、イタズラ自体も極悪なものではなく、比較的罪の軽いものが多いのです。

キリスト教の流布による影響も大きいと思いますが、そこから堕天使説というのも出ているようです。

ケルト世界の妖精は日本の妖怪にも似て怖い存在だけれども、幽霊のように恐怖そのものではなく、なんとなく親しみももてるような存在であるようにも思えてきます。

妖精の一般的な性質

ラボ教育センター刊
『ピーター・パン』
妖精たちの一般的な性質としては次のようなものがあげられるでしょう。

  • 気まぐれ
  • 善人には善をもって報いるが、悪人には悪をもって報いる
  • 魅力的な存在だが、良心はもたず節操もない
  • 怒りっぽいので、あまり妖精のことを語るとイタズラをされる。彼らのことを語るときには「紳士たち」や「良い人たち」を意味する<ディナ・マッハ>という呼び名以外を使ってはいけない
  • お人好し。夜、窓の敷居のところに少しばかりのミルクを置いてやれば、一生懸命その人が不幸に陥らないよう守ってくれる

全体的に、『ピーター・パン』に登場するティンカーベルの性格に当てはまるような気がするのですが、どうでしょう?

妖精の仕事

妖精の仕事として、イェイツは次の5つをあげています。現代人からすれば、なんともうらやましい仕事(?)です。

  • ごちそうを食べる
  • いくさをする
  • 恋をする
  • 世にも美しい歌を歌う
  • よく踊る

現代人からすればどれも「遊び」のようなものでしょうけれど、彼らはまじめです。イェイツは靴屋のレプラホーンだけが、いわゆる「働き者」と述べています。

「歌を歌う」「よく踊る」という仕事に関連して、日本の昔話とそっくりなお話があるので、ご紹介しましょう。

・コブ取り仕立て屋さん(仮題 /^^; )

むかしむかし、あるところに、背中に大きなコブのある仕立て屋が二人住んでいました。

ひとりは気のいい仕立て屋で、コブをからかわれても気にしないで仕事に励みます。もうひとりの仕立て屋は怒りっぽくてケチで欲張り。

ある晩、お人好しの仕立て屋がメンヒルの建つ寂しい丘を歩いているとき、誰かが「月曜、火曜、水曜」と歌っているのがかすかに聞こえてきました。

不思議に思った仕立て屋がメンヒルをのぞいてみると、100人あまりの小人が月の光の中で輪になって踊っているのが見えたのです。

近づいてはいけないと思った仕立て屋は、そこから離れようとしましたが、小人に見つかってしまい、踊りの輪の中に入れられてしまいました。

小人たちはずっと「月曜、火曜、水曜」としか歌わないので、飽きてきた仕立て屋は、続きを歌ってはどうかと提案しました。驚いた小人たちが続きを教えろというので、仕立て屋は「月曜、火曜、水曜、木曜、金曜」と歌います。

小人たちは「韻を踏んでいて律も整っている」と感激して仕立て屋の提案を受け入れ、一番鶏が鳴くまで歌い踊り続けました。

喜んだ小人は何かお礼をしたいと仕立て屋にいいますが、仕立て屋は別に欲しいものはないと答えます。そこで小人のほうから「金の詰まった袋と、背中のコブを取るのと、どちらがいい?」と仕立て屋に提案しました。仕立て屋は喜んで、コブを取ってもらいました。

その話をケチな仕立て屋に話したところ、「オレなら金の袋をもらうぜ」と思って、次の晩にメンヒルのところへ出かけます。すると「月曜、火曜、水曜、木曜、金曜」と歌っている声が聞こえてきました。

かねての計画通り、ケチな仕立て屋は小人たちの踊りの輪に入り、さっそく次の歌詞を教えます。それは「月曜、火曜、水曜、木曜、金曜、それから土曜、それから日曜」というもの。

それを聞いた小人は「ちっともきれいじゃない」「全然韻を踏んでいない」「前のほうがずっといい」と怒り出しました。

そこへ小人の頭が「待て待て。この男は褒美がほしくて来たんだろう。昨晩と同じように選ばせてやろうじゃないか」とみんなをなだめます。しめたと思ったケチな仕立て屋は、「それでは私は、彼が残したほうをちょうだいいたします」といってしまいました。

そこで小人たちは、寄ってたかってケチな仕立て屋に飛びかかり、気のいい仕立て屋が残した「コブ」を彼の背中にくっつけたのです。

ケチな仕立て屋の背中は、ふたつコブになりました。

・美しい妖精たちの歌声

妖精たちが歌を歌う時は、彼らが機嫌のいい時です。その歌声はとても美しく、その声に恋い焦がれ、疲れ果てて死んでしまった娘たちも数知れずとか。

またアイルランドに残る美しい歌は、妖精の歌った歌を立ち聞きした人間が、後で書きとったものだといわれています。

しかし妖精は嫉妬深いので、自分たちの歌を不格好な人間に歌ってもらいたくないようです。それで賢い農民は、妖精たちのいるメンヒルなどのそばで妖精の歌を歌ったりはしないものだそうです。

妖精のたちのしわざ


ケルトの暦によれば、1年は「光の半年」と「闇の半年」に大きく分けられます。「光の半年」は5月1日~10月31日まで、「闇の半年」は11月1日から4月30日までになります。

この暦は農業のために作られたもので、「光の半年」は収穫物を育てる半年、「闇の半年」は「光の半年」で収穫した収穫物を備蓄し厳しい冬を越える半年です。

「光の半年」の最後の日、つまり10月31日の夜にハロウィーンが行われ、翌日から闇の世界にはいるというわけです。

11月1日(サウィン)~1月31日

ハロウィーンの翌日、11月1日はキリスト教の祭り「万聖節」です。これをケルトの暦では「サウィン」といいます。

この日から暗い冬の時代が始まるというのですから、妖精たちもふさぎ込んでしまいます。妖精たちは幽霊たちと踊り、恐ろしい妖精のプッカ(注1)が現れ、魔女は呪文を唱える、おどろおどろしい死の世界の始まりなのです。

娘たちは、未来の恋人の生霊が窓からごちそうを食べに来るかもしれないと、悪魔の名前を唱えながら(注2)彼のための食事を用意します。

11月の宵祭りが終ると、プッカは木いちごを猛毒にして食べられなくしてしまいます。熟しすぎた木いちごを食べてはいけないという言い伝えは、ここから来ました。

死んだ英雄や戦士の亡霊たちは、「ワイルド・ハント」と呼ばれる死のハンティングを開始します。猟犬や馬を引き連れた亡霊たちが嵐の中を行軍し、この隊列を見たものを死の世界へかっさらっていきます。

この隊列には負傷した戦士を物色する戦乙女ワルキューレもいます。そう、この光景はワーグナー作曲の「ワルキューレの騎行」に採用されました。フランシス・コッポラが監督した映画『地獄の黙示録』の挿入曲にもなりましたね。

この「闇の半年」は2月1日の宵祭り(インボルク)まで続きます。

5月1日(ベルティネ)~10月31日

7年ごとの5月宵祭りの日は、最も出来のいい穀物の穂をめぐって、妖精たちは激しい争奪戦を繰り広げます。その争奪戦はたいてい美しい草原で繰り広げられるのです。

そのようすを見たある老人は、「大風が吹き荒れ、藁ぶき屋根をもぎ取っていった」と報告しています。

農民たちは、大風は妖精たちの争いだと信じ、帽子を取って「妖精たちに神のご加護を」とあいさつするのだそうです。

シェイクスピアの『夏の夜の夢』は、ベルティネの前夜である4月30日の夜から5月1日の夜明けまでの物語とされています。恋は未来の子孫繁栄、豊穣につながります。

陽気になりはじめた妖精たちは、夜の暗い森の中に恋人たちをいざない、恋の魔法をかけるのです。そのなかには既婚者もいたという話もありますが。

・盛夏の宵祭り

盛夏の宵祭り(6月23日前後)のときには、聖ヨハネを讃えて丘という丘にかがり火がともされます。すると妖精たちも心底陽気になります。

ラボ教育センター刊
『グリーシュ』
気まぐれな妖精たちは、美しい人間の娘に恋をし、嫁にするために連れ去ることもあります。ラボ・ライブラリーにある『グリーシュ』はこのときのことを物語にしたのでしょうか。

何にせよ、開放的な夏に向かって心が浮き立つ季節なのですね。穀物も成長し、暦は8月1日の収穫祭(ルーナサ/ラマス)へと移ろっていきます。

日本では8月といえばまだ盛夏なのですが、ブリテン諸島では8月になると収穫も終わり、積わらが耕地に点在する風景に変わります。

ルーナサを過ぎれば、人々は「闇の半年」に向けて準備を開始するのです。

気まぐれ妖精の正体(考察)

妖精の性質である「気まぐれ」というところをもう少し詳しくみていくと、次のようなことが分かります。

何といっても気まぐれの最たるものは、自由に背丈を変えてしまうということです。つまり妖精は、見る人の見方や気分次第で大きくも小さくもなるということです。それはまた、彼らは固有の姿をもっていないということもいえそうです。

『ケルト妖精物語』の著者イェイツは、次のように述べています。

たとえ新聞記者といえども、もし真夜中に墓場に誘い出されたなら、妖怪変化の存在を信じるだろう。というのは、どんな人間でも、もし人の心の奥に深い傷跡を残すような目にあえば、みんな幻視家(ヴィジョナリー)になるからだ。しかし、ケルト民族は、心に何の傷を受けるまでもなく、幻視家なのである。

どんなに理性的かつ合理的な精神の持ち主であっても、夜、ひとりで深い森の中に入り、自分のつま先さえ見えない闇の中で、木々のざわめきやそこに生きるモノたちのささやきを聞くとき、モノノケの存在を感じてしまうものではないでしょうか。

「超自然的」な空気というものは、一般の人はこういった特殊な状況に置かれたときに感じることですが、ケルトの人々はそういったことを、ごく自然に経験しているとイェイツはいうのです。

「超自然」はあるか?

超自然的な存在は、人間が作り上げた、たんなる幻想でしょうか? 私にはそうは思えないのです。また、科学がそういったオカルト的なことを一掃したか? というと、そんなこともないように思えるのです。

視神経を通って入ってきた光の信号は視床下部に送られますが、視床下部に映し出された映像はこんがらがった毛糸のようです。脳はそれを解析し人間が理解しやすい形に編集して認識させます。

ということは編集の過程で滑り落ちたものもたくさんあるだろう、とも考えられます。その中に「超自然的なもの」の姿などないと、果たしていえるでしょうか?

これは私事なので恐縮なのですが、独身の頃、福岡のマンションに住んでいたことがあります。そのマンションの私の部屋では、押し入れの床下から生木を割るような、バリバリという音が毎晩鳴っていました。

結婚してしばらくは妻とともにそこに住んでいましたが、彼女もまたその音を聞いていたはずです。一度は押し入れに連れて行き、指をさしながら聞かせたこともあったのです。

ところが後年、妻にそのことを思い出話として話した時、彼女はその出来事をまったく覚えていませんでした。

妻が亡くなった時も不思議な現象は起きました。妻が怒るといけないので詳しくは言いませんが、不思議な光の流れやラップ音などがありました。私は、それは妻からのサインだったと思っています。

これが、他人が言ったことであれば半信半疑になると思いますが、自分が経験したことなので疑いようがありません。

霊感のある人が妻の写真を見て、涙を流しながら妻から伝えられた未練を語ったと知人から聞かされたとき、私は素直に信じもしたのです。

***

目に見える世界は、妖精やスピリットたちの世界の、ほんの表面にすぎないのかもしれません。この薄皮の1枚をめくれば、ティル・ナ・ノーグの世界が広がってかもしれないのです。

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(注1)プッカ

現状、プッカについての書物からの情報が手元にないので、とりあえずWikipediaの情報を掲載します。後ほど確たる情報が手に入ったら、書き換えるかもしれません。

プッカは性悪で見た目が黒く、旅人に悪さをします。一方で、人間に大変な恩恵を与えるという説もあり、あやふやです。

いろいろなものに変身するのですが、最も多いのは流れるようなたてがみと輝く黄の眼を持つ、つやつやとした黒馬。ほかにも鷲の姿になることもあれば、大きな黒山羊の姿を借りることもあったといいます。プッカはもともと、アイルランド語の牡山羊を指す言葉に由来します。

プッカの魔法は妖精の中でも最も恐ろしいもので、木いちごを猛毒に変えるのはもちろん、黒馬の姿になったプッカが旅人を無理やり乗せて命がけの乗馬をさせたりします。

プッカの背に乗せられた旅人は、なんとか命を落とすことを免れたとしても、姿を別のものに変えられて二度と元に戻ることはないといいます。

(注2)悪魔の名を唱えながら

ラボ教育センター刊
『トム・ティット・トット』

ラボ・ライブラリー『トム・ティット・トット』では、主人公の娘は悪魔の本当の名前を唱えることによって難を逃れることができました。

未来の恋人の生霊にごちそうを作るときに悪魔の名前を唱えるというのも、魔物が跋扈(ばっこ)する冬の季節に、悪魔の呪いを避けながら食事を作るためなのでしょう。

古代ケルトでも、同じようにして悪魔を寄せ付けないようにするという風習があったかどうかは分かりませんが、相手の名前を知ることができれば相手をコントロールできるという信仰は、キリスト教以前の世界的な信仰だったかもしれません。

日本の古い風習でも、異性に自分の本当の名前を教えることは相手のコントロール下にはいる、つまり「あなたの妻になります」ということを意味したとのことですから、ここでも日本とケルトとのつながりを感じます。

●参考にした図書

『ケルト 再生の思想―ハロウィンからの生命循環』鶴岡真弓・著 ちくま新書

この本もまた、ケルトの信仰と思想について、大変参考になった本です。著者の鶴岡氏の専門はケルト芸術文化史、美術文明史です。

ケルト民族は一年を4つの季節に分けました。

一年の始まりは11月1日。暗い冬の始まりで、この日にはサウィンというお祭りが催されます。いわばここからは死と暗黒の始まりです。その前日のイブが、ハロウィーンなのです。命が萌えいずる春の訪れを祝うのではなく、ものみな死に絶える冬が、彼らにとっての1年の始まり。その独特の思想がケルト民族の思想でした。

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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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