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『オーベロンとティターニアの諍い(和解)』(1846年)、ジョゼフ・ノエル・ペイトン作 |
今回から、シェイクスピアの『夏の世の夢』のお話に入るわけですが、シェイクスピア劇というのは、日本にとってある意味不幸な導入のされ方をしました。要するに「学問」として輸入されてきたわけです。シェイクスピア学者たちはそれぞれの立場からさまざまな研究を発表しシェイクスピア学というべき学問が確立したので、英文学を志す学生にとってシェイクスピアは、避けて通れない「学問/文学」になりました。
ラボ・ライブラリーに『ハムレット』『夏の世の夢』を候補として入れるかどうかが検討されているときに、私は、はたして子どもたちに受け入れられるのだろうか? と思っていました。恥ずかしながらシェイクスピア作品は子どもたちには難しいのではないか、などと思ってしまっていたのです。しかしラボ・ライブラリーに取りあげられて完成したものはとてもおもしろく、子どもたちは『夏の夜の夢』を喜んで受け入れました。
考えてみれば当たり前のことです。シェイクスピア劇は、「学問」である前にエンターテインメントなのです。シェイクスピアが活躍したエリザベス朝という時代は、平民から王侯貴族までがお芝居を楽しむ時代でした。当時の劇場は、平土間には平民たちが、桟敷席には身分の高い人びとが座るように作られていて、だれでもいくばくかのお金を出せば劇場に入ることができました。
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C. Walter Hodges, CC BY-SA 4.0 |
観客は現代のように静かに集中して舞台を見つめるなどということはありません。公演中であってもお喋りを楽しみ、飲食している姿もあちらこちらに見えます。それどころか、スリも潜入して仕事をしていたりします。そんななかでお芝居をするのですから、劇作家も俳優たちも観客に振り向いてもらうためにあらゆるくふうをしました。
しかも、平民から貴族までが集まっているわけですから、無学の人には無学の人が、教養ある人には教養ある人が楽しめるようにしなくてはなりません。シェイクスピア劇が人気を博したのは、この難題をみごとに切り抜けていたからでした。
今話で取り上げる『夏の夜の夢』は抱腹絶倒の喜劇です。この劇の要素には古代から民衆が親しんできた民間伝承(またはそのパロディ)がたっぷり盛り込まれていて、平民にとっては親しみやすく共感を呼ぶものであったでしょう。いっぽう、教養ある人にとっては、ヨーロッパで勃興したルネサンスの風を受け、古代ギリシアの香りや東洋のエキゾティズム、新時代の到来を感じ、カオスから結婚という大団円に向かう物語の展開に、ひと時の幸せを感じ取ったのではないでしょうか。
いまひとつ、この『夏の夜の夢』で特筆すべきことは、民衆にとって薄気味悪く畏怖すべき存在だった妖精を、小さくてかわいらしく、嫉妬に狂って相手をののしるような人間的な一面を持ち合わせた存在である、というイメージに変えて定着させた作品だということです。このお芝居以降の妖精は『ピーター・パン』のティンカー・ベルのように、かわいらしくて憎めない存在、あるいはちょっとドジないたずら者というイメージになっていったのでした。
『夏の夜の夢』はどんなお話?
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ラボ教育センター刊 『夏の夜の夢』 |
物語は四つの異なるお話が同時進行して微妙に絡まり、それが奇想天外な物語を紡いでいます。裏のテーマと私が勝手に思う、「カオスから調和へ」という流れにマッチしているとも思います。
その四つのお話とは、ひとつはアテネの公爵テーセウスとアマゾンの女王ヒポリュテの結婚。それからライサンダー、ディミートリアス、ハーミア、ヘレナをめぐる三角関係のもつれ。妖精王オーベロンと妖精女王ティターニアの仲たがいとオーベロンの命令を受けたパック(もしくはロビン・グッドフェロー)のイタズラ。そして無学な職人たちによる、公爵の結婚を祝うお芝居の稽古。それが一つの森の中で繰り広げられてまさにカオスな状況です。
ハーミアは父イジーアスに決められてしまったディミートリアスとの結婚を拒否して、相思相愛の仲のライサンダーと駆け落ちを決意します。ディミートリアスはかつてヘレナという女性を口説いたことはありますが、今はハーミアとの結婚に乗り気です。
ヘレナは今もディミートリアスに夢中で、ハーミアの駆け落ちを知るとそれを彼に告げ口します。彼が知ればハーミアを追いかけるだろうというということは分かっていて、自分が傷ついてもディミートリアスのためなら耐えましょうという、いじらしい乙女心です。
妖精王オーベロンと妖精女王ティターニアの仲は冷え切っており別居中。それが公爵の結婚を祝うために帰ってきて森でばったりと出会い、大げんかをします。
そこでオーベロンは腹いせに、彼女を笑いものにするたくらみを思いつきます。彼女が眠っている間に惚れ薬を目に塗ってやろうというのです。この惚れ薬を塗られた者は、目覚めて最初に見た者に惚れこんでしまうということでした。
そこで手下のパックに惚れ薬を取って来させ、彼女の目に塗るようにと命令します。彼女が目覚めた時、変なものを見て夢中になるのを想像して、オーベロンはひとりほくそ笑むのでした。
そこに、ハーミアを追いかけるディミートリアスと、彼をかき口説こうとするヘレナが森に入ってきます。ディミートリアスはヘレナに冷たく、邪険に扱います。そんなヘレナをかわいそうに思ったオーベロンは、パックにディミートリアスにも惚れ薬を塗らせて、ヘレナを愛するようにさせることを思いつきました。
森には、町人の一団もお芝居の稽古に来ていました。公爵の結婚の出し物として、『ピラモスとティスベ』というお芝居を演じるため、稽古をしに森へやって来たのです。
しかしそのあまりのひどさに大笑いしたパックは、面白がってイタズラを仕掛けます。一団のなかのひとり、ボトムという一番アホっぽい男の頭をロバに変えてしまったのです。ロバ頭のボトムを見た他のメンバーは恐ろしくなり(注1)、彼一人を残してみんな逃げ去ってしまいました。
パックはオーベロンに命令された通り、眠っているティターニアの目に惚れ薬を塗ります。そしてもうひとつの命令を実行しようとしてディミートリアスを探しますが、パックに教えられた彼の目印は「アテネの服を着た男」ということだけです。
そこへやって来たのが、駆け落ちをするために森に忍んできたハーミアとライサンダー。ふたりは出発前に森でひと眠りします。パックは、彼こそが「アテネの服を着た男」だと思いこみ、ライサンダーの目に薬を塗ってしまいました。
さて、目覚めたティターニアが最初に見た者は、ロバ頭のボトム。彼女はすっかりボトムに夢中になってしまい、妖精の国のものは何でも差し上げると約束し、手下の妖精たちには彼を手厚くもてなすよう命令します。
一方、ライサンダーが目覚めて最初に見た者は、彼が死んでいるのかと思って声をかけたヘレナ。ヘレナを見たライサンダーは、たちまちハーミアへの思いなど過去のこととかなぐり捨て、彼女を追いかけ始めます。
ヘレナはこのライサンダーの突然の心変わりに驚き、きっとこれは酷いからかいだと思って腹を立てます。
オーベロンはオーベロンで、当初の計画通り、ヘレナを愛するようにとディミートリアスに惚れ薬を塗ります。効果はてきめんで、ディミートリアスもヘレナに熱く迫ります。
さらに事態はハーミアとヘレナのケンカ、ライサンダーとディミートリアスの決闘へと発展していきました。
はじめはハーミアをめぐる三角関係が、ついにはヘレナをめぐる三角関係になってしまったのです。
無茶苦茶な展開ですが、お話の最後にはテセウスとヒポリタの結婚式が執り行われ、町人たちはヘタくそながら無事にお芝居を披露し、恋人たちはそれぞれ「正しい」相手と喜びに満ちた結婚をする、ということになります。険悪なムードだった妖精王と女王も雪解けを迎え、物語は幸せな大団円で幕を閉じるわけです。
かなり物語を端折りました。詳しくはラボ関係の方はラボ・ライブラリーを、そうでない方はシェイクスピアの脚本をお読みになるか、舞台をご覧ください。
このお話はいつの物語か
さて前話でお約束した、この物語はいつのお話しだろうかという話題に移りたいと思います。
『夏の夜の夢』は、今でも『真夏の夜の夢』というタイトルで呼ばれることがありますね。この劇のタイトル“Midsummer Night’s Dream”から、日本人が想像する「Midsummer」は「Mid」が真ん中という意味なので「真夏」と訳すだろう、ということは容易に想像できます。現に初めてこの英語タイトルに触れた日本人は、“Midsummer”を「真夏」と解釈しました。
しかし、「Midsummer」の和訳は「夏至」です。そこでしばらくしてからは『夏の夜の夢』と「真」を外してタイトルをつけ、夏至の時期の物語だと解釈するのが主流になりました。しかし、前話の最後で少しだけ触れましたように、『ケルト 再生の思想』の著者、鶴岡真弓氏はこの意見に真っ向反対します。
両者の主張をご紹介しましょう。まずは夏至説から。
“Midsummer”を夏至とする説
夏至にあたる「Midsummer Day」は6月24日。この日はキリスト教でいう聖ヨハネの祝日にあたります。シェイクスピアが活躍したエリザベス朝の人々は、この祭りのために草花と灯火で戸口を飾り、たき火を焚き、パレードをして祝いました。
またこの日は、精霊が一年のうちで最も活発になる日であり、恋占いなども盛んに行われたそうです。精霊たちの妖しい雰囲気がたちこめる森の中は、恋人たちが愛を語り合うのにふさわしかったことでしょう。
シェイクスピアの別の作品『十二夜』では、オリヴィアがマルヴォーリオの常軌を逸した言動を評して“midsummer madness”という言葉を口にしますが、これは「狂気の沙汰」という意味になります。
夏至祭で妖精のエネルギーに浮かされた恋人たちが、森の中で狂気の沙汰を演じる。それが朝を迎えたとたんに夢から覚めて正常に戻る。『夏の夜の夢』は、昔からの伝承に親しんできた民衆にとっては共感できるものであったでしょう。(小田島雄志・訳『夏の夜の夢』の巻末、前川正子氏の解説より宇野が解釈)
一方、鶴岡氏は何と言っているでしょう。鶴岡氏は『夏の夜の夢』の出来事は、ケルトのベルティネ祭(5月1日)の前夜の出来事だと主張します。
“Midsummer”をベルティネ(五月祭)の前夜とする説
恋人たちの恋心は、未来に向かって上昇していくのがふさわしいですね。それが翌日からエネルギーが衰えていくというのは悲しいではないですか。スコットランドの伝承では、夏至の夜に「闇」が生まれるといいます。ここからもう「闇の半年」の種が芽吹いてくるのです。
いっぽう、古代ケルトのベルティネ祭(五月祭)の前夜は4月30日の夜。ケルトの暦ではベルティネ(5月1日)から「光の半年」が始まります。光から闇、闇から光に季節が変わるとき大自然のエネルギーがバランスを壊し、あたりは妖気に満ち溢れるというのが古代ケルト人の思想でした。光の半年から闇の半年に移る10月31日の夜、すなわち「サウィン/ハロウィン」は亡霊たちが跋扈(ばっこ)する夜でした(筆休め#2参照)。その対角線上にある4月30日の夜も同じように、大自然に妖気が充満するのです。
グリーンマンの回の時にお話ししたように、キリストの力の及ばない森の中では、神に従わない木の葉たちが野放図に伸び、ベルティネの前夜はサタンが主宰する野卑な祭りが始まります。恋人たちは開放的になり、キリスト教徒にとっては目を覆いたくなるカオスが現出するのです。(第38話参照)
しかしこれは見方を変えれば、新しい生命が誕生する豊穣の始まりでもあります。キリスト教は性的なものを罪として嫌悪しましたが、生殖は人間が抑えることのできない本能的なもの。ベルティネの前夜は、敬虔な信者も異教とみなされた民間宗教の世界に戻りますが、夜が明ければ「真夏のエネルギーに向かって、太陽が昇り秩序が取り戻され、人々はこの旺盛な夏の到来を寿(ことほ)ぐ」(鶴岡真弓)のです。
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サミュエル・ジョンゾン |
五月祭の前夜の出来事であることが注意深く示唆されているにもかかわらず、なぜシェイクスピアがこの作品を“Midsummer Night’s Dream”と呼んだのかわからない
とジョンソンは述べました。
結論(考察)
私は「この物語は夏至の頃の話? それとも?」と自分からみなさんに疑問を投げました。そうしておきながら、ちゃぶ台をひっくり返すようで申し訳ないのですが、言ってしまえばどちらでもいいことなのだと思います。
妖精王も女王も、そして配下の妖精たちも、古くから伝承されてきた妖精の姿を忠実に守って描く、なんてことをシェイクスピアはいたしません。
イングランドはルネサンスの真っ只中。まがりなりにもプロテスタントを国教とし、中世の迷信に満ちた世界観から脱しようとしていた頃です。
中世であれば人々は妖精を畏れ、彼らを怒らせないようにその名前を口にしたり妖精の棲む丘による近づいたりするのは厳禁としました。しかしルネサンス期は物事を合理的に考え、迷信には迷わされないようする気分で溢れています。
だからシェイクスピアは妖精をカルカチュアライズし、嫉妬に狂ったりとんでもない失敗をしたりする人間臭い妖精をつくることができたし、人々もシェイクスピアの意図を素直に受け取って大笑いしたのです。
妖精のイメージですらそうですから、夏至祭もベルティネ祭(五月祭)も一緒くたにして全く平気です。しかつめらしく伝承を守ることよりも、想像を飛躍させて面白さを倍増させることを優先し、一大エンターテインメントにしたのがこの『夏の夜の夢』だったのだろうと思うのです。
<2024年6月22日の時点で思っていること>
シェイクスピアは、この物語は五月祭の時期に起こったことですよ、とわざわざ強調しているように見えます。つまり、そうしなければならない理由があったのではないか、と思いました。
Midsummer =夏至の日(6月21日)に行われる夏至祭は、聖ヨハネの生誕を祝う祝日です。そんな聖なる日に、恋人たちの恋のもつれのような、ひょっとすると性も絡んでくるかもしれないような物語を重ねるのはいかがなものか、という忖度が働いたのではないか。
このお話を古代ギリシアを舞台にした物語としたのは、この不謹慎なお芝居は女王をいただく立派な国イングランドの物語ではなく、遠く離れた国の古代の物語なんだということを強調する必要があったからではないかと思ったのです。
五月祭という古代ケルトに由来するお祭りを持ち出したのも、未開の人びとのお祭りのなかで起こったことだから、内容が不謹慎と思われたとしても許してね、といいたかったからかもしれません。
当時、イングランドではお芝居の興行は盛んに行われていました。それらの劇団には貴族のパトロンがバックについていることが必須でした。それで劇団にはレスター伯一座とかストレインジ卿一座、国王一座などとパトロンの名前を冠した劇団名がつけられていました。
それは、パトロンのいない劇団は「浮浪者」とみなされて、見つかれば捕らえられてムチ打たれた上に、彼がもと住んでいた場所に追い返されるか劣悪な環境のイングランド王立海軍に無理やり入隊させられる、という法律があったからです(第1話参照)。
貴族のパトロンがついている以上、彼らを怒らせるような芝居は打てません。神を冒涜すれば、たちまち浮浪者に転落です。
さらに検閲制度もありました。初演の前には必ず検閲があり「公序良俗」に反していないか、女王や貴族を貶めたり、キリスト教を否定したりするような内容になっていないか、ということがチェックされるわけです。
『夏の夜の夢』は古代ギリシア、『ハムレット』はデンマーク、『ジュリアス・シーザー』は古代ローマというように、シェイクスピアは外国の物語とした脚本を多く書きました。これは検閲官を刺激しないための措置だと思います。
さて『夏の夜の夢』ですが、五月祭はケルト起源のお祭りですから古代ギリシアでも催されていたとは思えません(あったかどうかは、寡聞にして知りませんが)。
未開とみなされていたケルトの祭事を下敷きにした物語だと強調することによって、女王を貶めるものではなく聖ヨハネを汚すものでもないという言い訳にし、民衆の心の底に残っている民間宗教を取り上げて民衆を楽しませ、貴族にも生真面目なキリスト教の衣から解放する効果をあげることを目指したのではないか。
一方でタイトルに "Midsummer" という名称を使ったのは、シェイクスピアが子どものころにストラッドフォード・アポン・エイヴォンで楽しんだ夏至祭や五月祭の思い出を合わせて懐かしみ、このふたつのお祭りには密接な関係があるのだということを心の底では思っていたのではないかと思いました。
または、キリスト教もケルト起源の民間宗教も、お互いに排斥するようなものではなく、どちらもあっていいのだという考えの表れだったのかもしれません。
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さて、妖精は伝承のイメージに従っていないと申しました。それではシェイクスピアは妖精を、どんなイメージをもって描いたのでしょう? 次の話は、シェイクスピアが描いた妖精のイメージについてお話ししたいと思います。
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注1:ロバ頭のボトムを恐ろしがる
今ならば、ユニコーンやケンタウルスは幻想的な美しいイメージとして描かれるのではないかと思いますが、当時は異なる二つの生物が合体した生き物というのは、妖しくて悪魔的な存在として恐れられていました。
注2:「十四番目の月」
荒井由実(松任谷由美)の「十四番目の月」(Live)
●参考にした図書
『夏の夜の夢』ウィリアム・シェイクスピア・作 小田島雄志・訳 白水Uブックス
- 創作年代
- 材源
- 上演史
- 批評史
- 主な参考文献
『ケルト 再生の思想―ハロウィンからの生命循環』鶴岡真弓・著 ちくま新書
鶴岡氏の専門は、ケルト芸術文化史、美術文明史。早稲田大学大学院修了、ダブリン大学トリニティ・カレッジ留学。現在、多摩美術大学芸術人類学研究所長・芸術学科教授。著書に、『ケルト/装飾的思考』『ケルト美術』(いずれも、ちくま学芸文庫)、『阿修羅のジュエリー』(イースト・プレス)など多数あります。
本書は、古代ケルトの暦に沿ってそれぞれの季節につ
いてのケルトの思想を、さまざまな角度から紹介する好著です
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