第24話 古代のギリシア人やローマ人が見たケルト(その2) ― 部族を導いた最高権威ドゥルイド(ドルイド)僧

2023/02/15

『グリーシュ』 『サケ、はるかな旅の詩』 『はだかのダルシン』 『妖精のめ牛』 ケルト 神話 物語 妖精

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前話では、ケルトの戦士の勇猛果敢さに触れました。その勇猛果敢さの源泉はケルトの宗教、とりわけ霊魂不滅説に基づいているのだと古代のギリシア人やローマ人は考えていた、とお話ししました。

今話は、ケルトの宗教の指導的立場にいたドゥルイド僧について、お話ししようと思います。というのはケルトを考える上で鍵となる人物は、まずはドゥルイド僧だと考えるからです。

ドゥルイド僧は人びとを指導し、部族の方向性を決め、もめごとを裁定し、様々な宗教行事を行い、将来ドゥルイドになりたいと希望する青年を教育しました。ドゥルイド僧に対しては、王さえも従わざるを得ず、言い伝えによれば、僧の言いつけに従って自分の首を剣の下に差し出した王もいたといいます。

『ガリア戦記』にみるドゥルイド僧

『ガリア戦記』によれば、ケルトの階級はドゥルイド僧と騎士、それにほとんど奴隷のように見なされている民衆の3種類あるとしています。

「ガリアを通じて尊敬され問題にされる人間は二種類ある。民衆は殆ど奴隷と見做され、自主的に何もできず、何も相談されない。多くのものは借金とか重税とか勢力家の乱暴に屈して隷属することになった。貴族はこれに主人の奴隷に対すると全く同じ権利をもつ。二種類の人間の一つは僧侶であり、もう一つは騎士である。僧侶は神聖な仕事をして公私の犠牲を行い、宗教を説明する」(『ガリア戦記』近山金次・訳)

ドゥルイド僧は一人だけではなく各部族に複数いて、一人の有力な僧がすべての僧を支配していました。この人が死ぬと、後を継ぐのは、ほかの勢力の優れた者か、勢力の拮抗している者が複数いる場合には投票、あるいは武力闘争で決定されていたようです。

この大僧侶はまた何人かいて、一年間のうちのある時に、ガリアの中心地と思われるカルヌーテース族の領地の神聖な場所で会合を開き、裁判なども行われました。

ドゥルイド僧の役割

ドゥルイド僧は戦闘には加わることはなく、税も免除されていました。そこに魅力を感じた若者が教育を受けに僧侶のもとに集まります。

その中心的な教育は、膨大にある詩を暗記することでした。詩といっても、いわゆる抒情詩のようなものではありません。星座とその運行、世界と大地の大きさ、物事の本性、不滅の神々の力と機能など、ドゥルイド僧としての役割を果たすうえで重要なことがらが詩になっており、それを暗記するわけです。

なんだか『ゲド戦記』第1巻「影との戦い」の修行シーンを思い出させますね。

このような大事なことは文字にすることが禁止されていて、すべて口承により代々伝えられてきたことでした。散文で覚えるのでは覚えにくいというところから、詩の形にされて覚えやすいようにしていたのです。

一般的なことがらの記録は、ギリシア文字を使っていたとのこと。

文字に残すことを禁止した理由についてカエサルは、ドゥルイド僧にとって大切な教えが一般民衆に伝わることを防ぐという目的のためと、文字に残すことで文字に頼るようになっては、学ぶ者が記憶力の養成を怠ってしまうと考えたからだろう、と推測しています(注)。

ドゥルイド僧の権威

ここからは、『ガリア戦記』には記載されていませんが、ケルト研究から見えてきたドゥルイド僧に関して、分かってきたことをお話しします。

王よりも権威のあったドゥルイド僧

ケルトはたくさんの共同体に分かれて生活をしていました。その共同体を統治する王はそれぞれの共同体にいたわけですが、各部族の王のうえにもまたこれらの王を統治する王がいました。

王は、高貴な家柄の者のなかから選出します。王の資格として、統率力は問題ではありません。ドゥルイド僧が儀式によって選んだそうです。

・王を選出するドゥルイド僧

その儀式とは、いけにえとなる2頭の牛を殺し、その肉をドゥルイド僧が食べたのちに眠り、そのときの夢に現れた者を王と定めるというものです。

王が年をとって、王としての任を果たせなくなった時は、儀式によって剣で刺され、その血の出方で次の王を決めたという説もあります。ただしこの説は伝説の中で語られていることなので、真偽はわからないとのこと。

また、ケルトの神話・英雄譚では、身体に肉体的な障害を負った王は、その座から降ろされたということが伝えられています。実際のケルト社会でもそのような取り決めがあったのではないでしょうか。

「銀の腕のヌァダとブレス王」という神話には、ギリシア神話のゼウスに匹敵する戦いの神ヌァダが、戦いで片腕を切り落とされ、それが理由となって王位を引きずり降ろされるという話があります。

代わってブレスという男が王位に就くのですが、この王は暴君でした。

しかし医術の神ディアン・ケヒトがヌァダに銀の腕をつけて本物の腕と遜色なく動かせるようにしました。以後、ヌァダは「銀の腕のヌァダ」と呼ばれるようになります。

またその息子のミァハも医術に優れており、無くした腕を掘り起こさせてヌァダに接続する手術を施し、完全に元のような身体に復活させました。

王としての資格を取り戻したヌァダはブレスを倒し、王位に返り咲いたといいます。

ドゥルイド僧についての補足

今話の最後に、ドゥルイド僧について補足的な説明を加えておきます。

ドゥルイドの名前の由来

ドゥルイドあるいはドルイドという名称の由来については、いくつか説があります。

オーク(ドゥル)
ひとつは、ドゥルは「オーク(の木)」の意味で、ウィドは「知識」。つまり「オークの木の賢者」であるという説です。

あるいは、ドゥルイドではなくドルイドとした場合、ドルは「多い」で、ウィドは「知る」の意味。つまり「多くのことを知る」ということだという説もあります。

古代のヨーロッパは大半がオークの木の森林地帯で、その実は豚などの動物のおなかを満たし、人間はその実をひいてパンを焼いていたといわれています。

オークは生きとし生けるものの生命を養う重要な木であり、それだけに神聖な木でした。なかでもオークの木に宿るヤドリギ(パナケア)は最も神聖な木です。

大プリニウス(ガイウス・プリニウス・セクンドゥス A.C,23-79)は彼の著作『博物誌』で、ドゥルイド僧のヤドリギに関する儀式について書いています。

毎月6日に、ドゥルイド僧は白衣に胸当てをつけて儀式にのぞみます。儀式ではまず白い牛2頭をいけにえにささげ、オークの木に登って三日月型の黄金の鎌でヤドリギを切り、それを白い布の上に置いて信仰したとのことです。

ヤドリギはまた万能薬とみなされ、煮て飲めば血圧を下げ、つぶして傷口に貼れば化膿止めにになるとされました。

『ハリー・ポッター』に出てくる魔法使いが持っている杖は、ヤドリギで作られているのでしょうか? ご存じの方教えてください。

ドゥルイド僧の種類

ドゥルイド僧は裁判官としての役割もあったということですが、はじめは全部一人で担っていました。しかし時が経つにつれ立法者、祭司と政治、詩人に分かれていったといわれています。

なかでも詩人は重要で、この人たちが神話を語り伝えるだけでなく、国の法律、宗教の教義、王家の家系、英雄の栄誉やできごとなどを記憶にとどめて後世に伝えていきました。

詩人はやがて分化し、「語り部(フィラ)」、王の宴の席で竪琴を奏で英雄の物語を歌う「吟唱(弾唱)詩人(ポエルジ)」、のちには他の王城をまわってできごとを歌って広める「吟遊詩人(バード)」となって活動しました。

詩にはことばの魂が宿っており、呪文と同じように超自然の力がこめられていると考えられ、それを自在に操れるフィリー(フィラの複数形)は予言者、学者として、神官として、ドゥルイドのなかでもとくに重んじられていたということです。

***

今話では、ケルトのなかでも重要な位置を占めるドゥルイド僧にまつわることについて、お話ししました。

カエサルは、このドゥルイド僧の策略で人々に霊魂不滅の思想を教え込み、戦士に死の恐怖を克服させたのだと決めつけました。

では、ギリシアやローマの人々が想定したケルトの霊魂不滅の思想とはどのようなものだったのでしょうか? そしてケルトの人々が信じた霊魂不滅の思想とは?

次のお話では、これらの霊魂不滅の思想についてお話いたします。

To be continued

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(注)

口承ということついて私は、カエサルの推測とは別の考えをもっています。

つい最近まで、歴史は常に進歩していると考えられてきました。つまり文字をもたない文明というのは未開の文明であり、それから文字をもち、貨幣による経済が生まれ、科学は分析や実験を通して発展し……、という一本の線のような歴史を多くの人が考えてきたのです。

しかし私は、重大なことは口承という手段しか使わず文字に頼らない文明は、むしろ高度な文明ではなかったのではないか、とさえ思っているのです。というのは、現代ほど文字に対する不便さや欠点を感じている時代はなかったのではないかと思うからです。

そう感じさせる最も大きな原因は、インターネットの発達です。

もちろんその便利さはとてつもなく大きく、今私はこのブログを書いていますが、ひと昔前ではこのような文章を公にしようと思えば、莫大な費用をかけて本を出版しなければなりませんでした。しかし、今は私のような浅学な者でも、ほとんど無料でしかも一瞬で全世界に発信することができます。

でも文字には表情がありません。しぐさがありません。文字には声のような抑揚がありません。

メールに「お前って、馬鹿だね」と書いた場合には、それが友情の親しみを込めて書いたとしても、受け取る側は相手の顔が見えませんから、相手が本当に怒っているのか冗談でいっているのかわかりません。メールを受け取る側の心の状態次第ではひどく傷つき、絶交ということにもなりかねません。

ネット上で起こる「炎上」の大半は、こうした誤解から起こるのではないかと思います。

こうしたことを考えると、宗教のようにその民族にとって命にかかわるような重要事項は、文章にしたとたんにその教義は危ういものになる気がします。

ケルトの人々は、宗教を文字にする時のほんのわずかな表現の仕方が、数百年、数千年の時間を経るにしたがって大きな誤解となっていくと考えたのではないでしょうか。

実際、宗教はそれぞれ人々の安寧を願い人を愛に導くものであるはずなのに、むしろ隣人を殺害しお互いにいがみ合うようなことがあるのではなぜなのでしょう? 文字による教えでは、神の想いが今の人々には届かないのだということを表しているような気もします

そういえば、ネイティブ・アメリカンの宗教もその儀式を文字に残すことは禁じていますし、テープレコードなどの録音機器に音声で残すこともタブーとされています。

ラボ・ライブラリーの『サケ、はるかな旅の詩』では、語りのうしろにハイダ族の祈りの歌が流れますが、これは稀有なことといわなければなりません。


●参考にした図書

『ガリア戦記』ユリウス・カエサル・著、 近山金次・訳 岩波文庫

カエサル(B.C.102頃‐B.C.44)の率いるローマ軍のガリア(今のフランス)遠征の記録。彼が率いるローマ軍は、ヨーロッパのガリア人と戦い、ブリテン島にも渡ってブリトン人を平定しローマ化しましたが、ついにアイルランドに手を出すことは叶いませんでした。戦記の中頃に、ガリア人・ブリトン人の風俗習慣について触れている箇所があります。

『ケルトの神話 ― 女神と英雄と妖精と』井村君江・著 ちくま文庫

最初の章でケルトを概観し、次の章からケルトの各神話について「天地創造神話のない神話」「ダーナ神族の神話」「アルスター神話」「フィアナ神話」に分類し、詳しく解説した好著です。

著者の井村氏は、このほかに多数の著書もありますが、W.B.イエイツが著した『ケルト妖精物語』『ケルトの薄明』の翻訳も手掛けられています。

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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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