第42話 『夏の夜の夢』|カリフのオーラをまとった小市民オーベロン

2024/01/28

『グリーシュ』 『ピーター・パン』 『夏の夜の夢』 物語 妖精

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41話では、ルネサンスについてお話ししました。このルネサンスがヨーロッパ世界にとても大きな影響を及ぼしたことは、皆さんご承知のことでしょう。

ルネサンスはヨーロッパの文明・文化にわたってさまざまな方面に意識改革をもたらしましたが、とくに世界を科学的な目で見るという意識が芽生えてきたことと、アラビアなど東方文明の目もくらむようなきらびやかさに圧倒され、あこがれるようになったということが大きかったように思います。

今話は『夏の夜の夢』の登場人物であるオーベロンについてお話ししますが、彼はいろんなルーツの寄せ集めでできたシェイクスピア・オリジナルのキャラクターです。このオーベロンがまとっている雰囲気はルネサンスがもたらしたものでした。

じつはオーベロンという名称は、シェイクスピアが創作したものではありません。オーベロンという名が妖精王として登場したのは、15世紀のフランス物語詩(ロマンス)『ユオン・ド・ボルドー』が最初でしたが、オーベロンという名称自体はルネサンス初期の頃には一般的な名前でした。

これからお話を進めていくうえで触れていきますが、オーベロンを形作る要素は、北欧神話に登場するエルフ(第41話参照)やアーサー王伝説などにもルーツをもつものでした。

オーベロンのルーツを探っていくと、美しい顔立ちをもつ威風堂々とした風貌や、キリスト教からも愛された姿が見えてきます。ところがシェイクスピアは『夏の夜の夢』のなかでオーベロンをすっかりコミカルな存在に変え、怒りっぽくて嫉妬深く、どこか子どもっぽい雰囲気をまとわせています。

またもともと豪奢なオーラを発するオーベロンを、インドからやってきた華麗なアラビアのカリフを思わせるようにしてさらに憧れをあおっておきながら、実際には下世話で子どもっぽい性格にしているのも、シェイクスピアのたくらみであったに違いありません。

オーベロンのルーツ

オーベロンはいろいろなルーツをもっているとお話ししました。それでは、オーベロンはどのようなルーツを持っているのでしょう。

『ユオン・ド・ボルドー』のオーベロン

1898年版の書籍『ユオン・ド・ボルドー』の表紙絵 (画)マニュエル・オラツィ

この物語に登場するオーベロンは森を支配する妖精王であり、自分と口をきいた者の命を奪うという残酷な面をもった、専制君主のような存在として描かれます。

この物語では、フランスのシャルルマーニュ大帝が、自分の臣下でありながら邪魔者と思うユオンに実行不可能な命令をして旅に出すというのがメインのストーリィです。実質上の追放ですね。その旅において、オーベロンという妖精王の棲む森に立ち寄る場面があるのですが、森に入るときにその森の妖精の一人から「もし妖精王と口をきいたら、あなたは命をとられる」という警告をうけます。

ユオンが森に入っていくと、はたしてオーベロンが様々な質問をしてきます。しかし、ユオンは妖精の忠告に従って固く口をとざしたまま。

いらだったオーベロンは彼と彼の従者を激しく打ちのめし、どうしても答えざるをえない質問をしてユオンの口を開かせることに成功します。しかし、ユオンの話は彼の気高い精神を表すものであり、オーベロンの心を動かすのに十分なものでした。以来オーベロンはユオンと親交を結び、彼が試練を乗り越えられるように彼をたすけるようになりました。

さらに死すべき運命を背負ったオーベロンは晩年、彼のもつ魔法の力をユオンに授け、妖精王の後継を託します。

フランスで誕生したこの物語詩『ユオン・ド・ボルドー』は、イギリスのバーナーズ卿によって英訳されました。バーナーズ卿はシェイクスピアと親交があったということでしたから、シェイクスピアも当然この物語には触れていたことと思われます。

また、この物語はイギリスのほかの劇作家たちにも大いに影響を与え、オーベロンを登場させる劇がたくさん生まれました。そういう環境のなかでしたので、シェイクスピアが『夏の夜の夢』でオーベロンを登場させても、民衆にとってはおなじみの人物ということで親しみ深かったでしょうし、一方、知っているオーベロンと『夏の夜の夢』のオーベロンとの落差に、観客は大笑いしたでしょう。

チュートン伝説の系譜をもつオーベロン


私のブログでは、第41話で触れたように、イギリスの妖精(シイ、フェアリー)は北欧神話のエルフと習合しました。

イギリスに伝わる妖精は、もともとトゥアハ・デ・ダナーンという神族が、後から侵攻してきたミレー族(ミレシア族)に追い詰められて海のかなたや地下に退き、かつて巨人だった神族が小さくなったものとされてきました(第27話第28話参照)。小さいといっても人間と同じくらいの大きさです。

いっぽう北欧のチュートン系の精霊エルフは、3フィート(1メートル弱)しかなく、醜いエルフも多くいました。

妖精王オーベロンは、この北欧神話の流れを汲んでいます。オーベロンは背丈が3フィートしかなく不格好です。しかし顔は天使のような美しい顔立ち。彼はジュリアス・シーザーとケファロニア(隠れた島の貴婦人)との間に生まれた子だとされました。

オーベロンが誕生したときに、貴族や身分の高いフェアリーが招かれて祝宴がひらかれました。しかし、そのときに招かれなかったフェアリーがいたのです。怒った彼女は「オーベロンは3歳以降、成長が止まって背丈は伸びない」という「贈り物」をしました。それで彼の背丈は3フィート以上伸びなかったのですが、ほかのフェアリーたちが美しさ、他人の考えを見抜く力、自分や他人あるいは物や建物などを自分の思うところに一瞬で移動させる力を「贈り物」として授けました。しかし人間の運命である「死」は免れることができませんでした。

この背丈が3フィートしかないという姿は、チュートン伝説のエルフの姿に当てはまります。また伝説上の人物が誕生する時には妖精が集まってお祝いをするがそのときに招かれなかった妖精がいて、嫉妬にかられた彼女らが新生児に恐ろしい呪いをかけるというのも、チュートン伝説のひとつのテーマです。

(絵)F・ホフマン『ねむりひめ』
そういう意味では、『ねむりひめ』もこの伝説の影響を受けていますね。

チュートン伝説の流れを汲むオーベロンは、姿こそ不格好ですが、住んでいる宮殿は黄金の屋根やダイアモンドできた尖塔をもち、宮殿の人々は一人残らず美しい上着を着てきらびやかな宝石を身に着けているという、堂々たるものです。

彼はキリスト教にも愛されていたというところもおもしろいところです。たいていの妖精はキリスト教から排除されたのに、です。キリスト教の解釈によれば、死すべき運命を背負ったオーベロンは晩年、フェアリー王国の楽しい生活を捨てて天国の座に自分の居場所を見つけることを願った、とのことでした。

アーサー王伝説に由来するオーベロン

アーサー王と円卓の騎士たち

イギリスにおいてアーサー王伝説は、アーサー王を生んだケルト民族のブリトン人にとっても、またブリトン人をウェールズなどに追いやったサクソン人にとっても重要な歴史的「事実」です。

それは、実際にはアーサー王は存在しなかったということが科学的に証明されても、関係ありませんでした。いまでもアーサー王はイギリス人にとって英雄であり続けています。そこで、オーベロンのような特異な存在もアーサー王と結び付けられているのです。

アーサー王との結びつきでいえば、オーベロンはアーサー王の異父姉であるモルガン・ル・フェとジュリアス・シーザーとの間にできた子ども、ということになっています(第37話参照)。オーベロンの超自然的な力は、彼が誕生したときにフェたちから与えられたとされました。

また彼の死に際には、叔父のアーサー王と魔法使いのマーリンが見舞ったということでした。

『夏の夜の夢』のオーベロン

ジョセフ・N・ペイトン「ティターニアとオーベロンの和解」(1847)

さて、シェイクスピアは『夏の夜の夢』で、このように恐ろしくも華麗な雰囲気をまとったオーベロンを、下世話でコミカルな妖精王に変えてしまいました。神秘の向こう側にあった妖精を民衆の日常に引き出してきたわけです。

お芝居のなかで、オーベロンはアラビアのカリフのような雰囲気をまとって登場します。当時の衣装を知るべくもありませんが、少なくともインドからやってきたということだけで、イングランドの人々は、きらびやかなあこがれのイメージを彼に抱いたことでしょう。

その彼が、妃のティターニアが連れてきたインドの子どもをめぐって、まるで子どものケンカを思わせるようなののしりあいを始めます。あげくの果ては手下のパックに命令して、眠っている妃の目に惚れ薬を塗らせて大恥をかかせてやろうなどと、あまり上品ではないイタズラを思いつくわけですからそのギャップは大きく、観客の受けは間違いないものでした。

オーベロンは、ティターニアとのケンカの中で、妃が人間にしたことをいちいちあげつらいます。しかし本人はどうかというと、ときどきフェアリー国を抜け出してコリンという羊飼いに化け、麦笛で恋の歌を奏でながらフィリダという娘を口説いたりします。

この物語は、アテネの侯爵テセウスとアマゾンの女王ヒポリタの婚礼を祝うというところが発端になっているのですが、オーベロンはヒポリタに片思いしているし、ティターニアはテセウスとよく遊びまわった仲。まあ、どっちもどっちです。

妖精が人間世界にちょっかいを出すというのは、前話でお話ししたチョーサーの『カンタベリー物語』にある「ある貿易商人の話」などにもテーマとして取り上げられていますから、シェイクスピア以前からそんなイメージが妖精にはあったのかもしれません(第41話参照)。

まとめと次話の予告

ヨーロッパの中世は迷信の黒雲が人々を覆い、目に見えない妖精や精霊が人間の運命をほんろうするという考えが支配的でした。しかし、アラビアをはじめとする東方の文化/文明に触れることで、ヨーロッパの人々もようやく迷信から抜け出して、世界を客観的に見ようとする態度が生まれました。

目に見えない妖精をやみくもに怖がるのではなく、場合によっては人間と同じように過ちを犯したり怒ったりする下世話な性格をつけて舞台に乗せても、罰を恐れる必要はないのだと思うようになったのです。

このような風潮はシェイクスピア以前からあったわけですが、それを彼はさらに洗練させて、オーベロンという妖精王の名とその性格を不動のものにしたのです。これ以降は劇作家や詩人たちはオーベロンの名を固有名詞化し、妖精王といえばオーベロンといわれるようになりました。

さて、次話ではオーベロンの妻ティターニアについてお話しします。彼女もまたルネサンスの影響を強く受けていますが、そのルーツはギリシャ/ローマ神話にあります。


●参考にした図書

『ケルト妖精学』井村君江・著 講談社

井村氏は、1965年東京大学大学院比較文学博士課程修了し、明星大学教授です。イギリス・アイルランド・フォークロア学会終身会員。

井村氏は「妖精学」を確立するために、この本を書かれました。そのため、妖精の分類や成り立ち、時代の移り変わりによる妖精のイメージの変遷など、妖精に関するあらゆることを網羅して書かれています。


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明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

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