古典的な喜劇には一定の型があります。どんなものかというと、争いや不運といった悲しみから始まり、物語の終わりにはすべてが解決して幸せが訪れる、というような筋立てです。
『夏の夜の夢』はまさにその型に則って展開されます。加えて『夏の夜の夢』では、物語の全編にわたって滑稽な話が散りばめられているので、飽きるということがありません。
『夏の夜の夢』は、アテネの公爵テーセウス(シーシュース)とアマゾン国の女王ヒポリュテ(ヒュポリタ)の結婚式がすぐそばまで近づいている、というところから始まります。結婚が待ちきれないようすのテーセウスとヒポリュテが描かれますが、ここには物語のテーマを暗示させるものがあるように思います。
そしてこのエピソードは物語全体をくるんでいて、物語の終わりには待ち遠しかったテーセウスとヒポリュテの結婚式が行われ、妖精王と妖精女王が和解し、こんがらがった恋人たちの迷いが解けて幸せな結末を迎えるのです。
いざこざをややこしくしたのは、パックの陽気ないたずらや失敗ですが、丸く収める要因になったのもパックの働きです。さらに無学な職人たちの愚かさが問題解決の糸口を与えました。このお芝居を観た人は、それを痛快に感じるのではないかと思うのです。
それはそうなのですが、もう少し深く掘り下げてみると、この物語は当時イングランドを治めていたエリザベス女王にとって大きな癒しを、またイングランドの民衆にとって爽快感をもたらすものではなかったか、とも思えてきます。
さらに付け加えるならば、シェイクスピアにとっても、自らの心の葛藤を鎮める役目をした物語なのではないかと思うのです(あくまでも個人の想像です)。
『夏の夜の夢』のあらすじについては第40話を参照してください(第40話参照)
今回のお話は次のような内容でお話しします。
○テーセウスとヒポリュテの結婚
○アセンズの森
○諍いだらけのカオスから幸せな結末へ
・さらなるドタバタへ
・ドタバタから和解へ
・みんな愚かでみんな良い人
○エリザベス女王の癒し(考察)
・内憂外患の女王
テーセウスとヒポリュテの結婚
物語の最初に、アテネ公爵(王)テーセウスが、やがて妻になるアマゾン国女王ヒポリュテに向かって語る、次のようなセリフがあります。
俺はおまえをこの剣で口説き
むりやりおまえから愛をもぎ取ったが、
結婚式はすっかり調子を変えよう。
(河合祥一郎『夏の夜の夢』)
「むりやりおまえから愛をもぎ取った」とはどういう意味でしょう?
河合氏による注釈には
プルタルコス著『英雄伝』やチョーサー作『カンタベリー物語』所収の「騎士の話」に、テーセウスがアマゾン国を征服し、その女王と結婚した話がでてくる
とあります。ヒポリュテはそのアマゾン国の女王なのです。
では、アマゾン国とはどのような国だったのでしょう。
古代ギリシアに登場する神秘的な部族アマゾン族は、徹底的に男性を排除し構成する人民は女性だけ、という特殊な部族でした。しかし女性だけでは子孫を残せないので、年に1度だけ隣国人であるガルガレンシアン族を訪れて一時的な関係をもち、生まれた子どものなかから女子だけを残して、幼少の頃より戦闘や狩りの訓練をしたということです。
もともとカッパドキアのテルモードン河の両岸から派生したアマゾン族は、徐々に領地を広げてレスボス島やサモトラケ島、さらにはボイオーティアやアッティカまで侵入しました。アマゾン族がアッティカまで侵入したのは、一説によればテーセウスが女王ヒポリュテの妹のアンティオペーを誘拐したことが原因だ、ともいわれています。また、ヒポリュテはギリシア神話にも登場する英雄ヘラクレスに殺されたということで、アマゾン族はヘラクレスを仇として戦いを挑んだとされました(F. ギラン『ギリシア神話』)。
つまり古代ギリシア人とアマゾン族とは不倶戴天の敵同士であったわけです。
それがこの物語では、アテネ公爵テーセウスとアマゾン国の女王ヒポリュテが結婚することになり、しかもそれを二人ともが待ち遠しく思っているようなのです。
諍い(いさかい)から幸せな結婚という大団円。なんともこの物語の成り行きを暗示していて、幸せな気持ちになります。
アセンズの森
この物語の大半はアセンズ(英語読みでアセンズ。アテネのこと)の森で繰り広げられます。
物語のなかで説明されるアセンズの森とは、登場人物たちが住む町から3マイル離れた場所にある森のことです。ディミートリアスが、五月祭の朝にはじめてハーミアとその親友のヘレナに出会った場所でした。
無理筋の結婚に抵抗するハーミアとライサンダ―はその森で落ち合って、駆け落ちを実行しようと約束するわけです。
シェイクスピアは物語の中心的舞台を、五月祭が行われる広場の近くにあるこの森に設定しました。これには意味があります。
五月祭の前夜(4月30日夜)には、若者たちは森から背の高い木を切り出して広場に立て、それを「メイポール」と称し、その木に色とりどりのリボンをつけます。五月祭では、そのリボンを持った少女たちが輪舞するのです(第39話参照)。
また、フレイザーが書いた『金枝篇』によると、五月祭前夜には大勢の男女が森に入り愛を交わすとあります。なかには人妻もいたりしましたが、森の中ではすべてが許されるのです。
中世キリスト教の聖職者によると、これは神を冒涜する悪習であり、その時の森はサタンに支配された妖気漂う危険な場所とされました。そこで教会はこのようなお祭りを禁止しようとしたのですが、民衆を押さえつけることはできなかったのです。
シェイクスピアの時代にもこのような五月祭は行われていましたので、妖精が出てくるという設定は民衆にとって自然で、親しみやすいものです。妖気あふれる森の中では何が起こっても当然だし、夜が明ければ全て雲散霧消して「あれは夢の中のできごと」と人々は思ったのでした。
物語の終わりのほうに、「これで五月祭も終わった」テーセウスのセリフがあります。
ケルトの思想によれば、4月30日までは「闇の半年」であり、5月1日から「光の半年」が始まります。「闇の半年」が死に「光の半年」が再生する。五月祭は新たな生命の誕生と豊穣へ向かうお祭りなのです(第39話参照)。
物語でも、森の中の、夢のような混乱から目覚めると光あふれる朝を迎え、3組の新しい夫婦が生まれて子孫繁栄の予感を残してお芝居は終わります。
諍いだらけのカオスから幸せな結末へ
物語は諍いから始まります。
- ハーミアに不利な結婚の話
- イジーアスがディミートリアスを娘ハーミアの結婚相手と決め、娘に強要。しかしハーミアにはライサンダーという恋人がいるので反抗する
- これはハーミアにとっては不利なことで、アテネの法律では父親が決めた許嫁を拒否できないと定められている。もしこれに違反した場合には、その娘は死刑に処されるか、尼として一生独身でいなければならない
- ハーミアとライサンダーの駆け落ちの計画
- ハーミアとライサンダーはこうした法律から逃れるため、駆け落ちを決意する。落ち合う場所は妖気漂うアセンズの森
- ディミートリアスを追いかけるヘレナの悲しみ
- 一方ヘレナはディミートリアスにゾッコン惚れていて、ストーカーのように追いかけ回すが、ディミートリアスは彼女を邪険にする。
- 彼は過去にヘレナにいい寄ったこともあるのだが、今はハーミアと結婚したいと思っている
- 追いかけても追いかけても自分に辛く当たるばかりのディミートリアスに、ヘレナはすっかり自信を無くしてしまっている。ヘレナといえば、かつては彼女を巡ってトロイア戦争まで引き起こされたという絶世の美女のイメージがあるのだが
- 妖精王と妖精女王の口げんか
- アセンズの森では、妖精王オーベロンと妖精女王ティターニアが夫婦喧嘩。直接の原因はティターニアが誘拐してきたインドの美しい男の子の取り合いだが、もともとふたりの仲は冷え切っている
- 人間への悪影響
- この妖精王と女王の諍いは人間界にも不穏な影響を及ぼし、天災人災を巻き起こしている
悲劇的なこれらの状況は、通常の方法ではどうしようもないようにみえます。
この問題を解決したのは、意外にもオーベロンの忠臣パックの陽気ないたずらと失敗、そして無学な職人たち、特に妖精に右往左往させられるボトムの「働き」でした。
・さらなるドタバタへ
妖精女王ティターニアとのけんかで腹を立てたオーベロンは、妃に恥をかかせてやろうと、パックに「惚れ薬」を取って来させます。それを妃の目に塗って怪物にでも惚れさせて、笑い物にしようというのです。
しかし同時に、ディミートリアスの目にも塗ってやろうと思い立ちます。それはディミートリアスに、ヘレナへの恋心を取り戻させようという仏心を起こしてのこと。さっそくパックに、彼の目にも薬を塗るようにと命令しました。
この計画は半分成功し半分失敗します。
パックはおもしろがって阿呆のボトムの頭をロバに変え、ティターニアにこの怪物への恋心を起こさせます。彼女はボトムにすっかりメロメロになり、妖精の国すらあなたにあげるとまでいい出しました。
こちらは妖精王の計画通りになりましたが、恋人たちの恋のもつれのほうは、さらにめちゃくちゃになりました。
パックが「惚れ薬」を塗る相手を間違えてしまうという失敗から、ディミートリアスもライサンダーも「君のためなら死ねる」というほどに、ヘレナに惚れてしまったのです。争いは激しくなり、決闘にまで発展しそうになったのでした。
ディミートリアスに邪険にされ、すっかり自信を無くして自己嫌悪に陥っていたヘレナは、男たちの急な心変わりを怪しみ、自分をひどい方法でからかっているのに違いないと誤解してしまうのです。そこにハーミアが加わって、女同士のののしり合いが始まってしまいました。
・ドタバタから和解へ
これはまずいと思ったオーベロンは、パックに命令を下します。
パックに、いがみ合っている者たちを出会わせないようにしながら森中を駆けずり回らせ、疲れ果てさせて泥のように眠らせよと。そして眠っている間に、彼らの目に「惚れ薬」より強い解毒剤を塗るようにと言いつけたのでした。
そうすれば、朝になってみんなが悪夢から目覚めたとき、それぞれがそれぞれの似合いの相手に恋するようになる、ということでした。
一方、ティターニアは惚れたロバ頭のボトムのために花を摘んで、花冠を作ってあげようとしています。それを見たオーベロンは、妃を哀れに思うのです。惚れ薬に誘われた夢の中で、ティターニアはすっかり乙女のようになり、新婚の頃のような初々しさを取り戻していたのでした。
オーベロンが切望するインドの子どもも、ティターニアは素直に差し出します。ここに至ってはオーベロンも妃を邪険にする理由はありません。さっそく解毒剤で妃を悪夢から救い出しました。
パックに翻弄され疲れ果てて眠っている恋人たちは、夜明けとともに探しにきたテーセウス一行に発見されます。すでに解毒剤を塗られていた彼らは、かつての恋人、つまりライサンダーはハーミアを、ディミートリアスはヘレナを本気で愛し始めます。
あれ? と思うのはディミートリアスのことです。ディミートリアスはハーミアを追いかけていたのではなかったか?
じつはディミートリアスは、ハーミアとの結婚話が持ち上がる前にはヘレナに恋をしていたのでした。
エリザベス朝時代の求婚には直接的なプロポーズの必要はなく、誠実な愛の言葉や印の贈り物をすればそれがプロポーズになりました。ヘレナはそれらのものを受け取っており、自分はこの人と結ばれるのだと思っていた節があります。ヘレナは単なるストーカーではなかったのです。
ディミートリアスは「惚れ薬」の夢を見ている間に、本当の心を取り戻したのかもしれません。
・みんな愚かでみんな良い人
この物語の登場人物は、テーセウスとヒポリュテを除き、みんな愚かでみんな良い人のように思います。
シェイクスピアの喜劇は、世の中にはいろいろな人がいるけれど、どんな人だって愚かなところはあるし失敗もする。でもだからこそ人間は愛おしい、という思いで貫かれている劇なのです。
恋は盲目といいますが、人間が一番愚かになるときは恋愛中の時かもしれません。理性が勝っている時には絶対に言わないことやらないことを、恋愛中にはついやってしまうこともあります。
ましてや妖気漂う森の中。本人たちは決闘も辞さないくらい真剣なつもりでも、パックにしてみれば「人間て、なんて愚かなんでしょ」と恋人たちのドタバタを笑うのです。
しかし、そのパックも早とちりして失敗する妖精です。
その親玉のオーベロンも妃のティターニアもつまらないことでいがみ合っています。
妃など俺のいうことを聞いていればよいのだと威張るオーベロンも、恋の歌を奏でながら村の娘にいい寄っているときには、鼻の下をなが〜く伸ばしていることでしょう。
妖精女王はティターニア(冷徹な処女神アルテミス)を標榜しながら(第43話参照)、テーセウスと遊び歩き、薬のせいとはいえロバ頭のボトムに惚れ込んで、妖精の国さえも差し上げようと進言するくらいだらしない妖精女王です。
みんな愚かなのですが、共通しているのは悪い人はいないということですね(注1)。愚かな人たちがそれぞれいじらしく生きています。
そこへ、いたずら好きのパックがおもしろがってやったことが混乱に混乱を呼び、でもパック本人は悪びれることもなく、最後には幸せな結末に導いていきます。
この世に完璧な人などいません。だれもが愚かなところをもっていて、失敗もします。だからこそ人間は愛おしいのです。愚かなものも賢きものも、みんな許容するというのがシェイクスピア喜劇の特徴なのでした。
エリザベス女王の癒し(考察)
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The Procession Picture, c. 1600, showing Elizabeth I borne along by her courtiers |
さて、このお芝居をご覧になったエリザベス女王は、ことのほかお気に入りになられたと言われています。なぜでしょう。そこをちょっと考えてみました。
エリザベス1世は一生を独身で過ごしたということで知られています。
なぜ女王は、独身を貫くことを覚悟したのでしょう。直接の理由は、異母姉のメアリの存在にあるとされています。
またエリザベスは弱小国イングランドの女王であり、常に狙われる立場にありました。これも独身を選んだ理由だったということです。
人並みの幸せを追求できない女王には、絶対に癒しが必要でした。
個人的な喜びは許されず、片時も緊張を解くことのできない女王にとって、どんなに愚かな人間でも許される世界というのは、浮世の憂さを晴らしてくれる極上の楽しみではなかったか、と思うのです。
内憂外患のなかの女王
エリザベス女王のまわりは危険だらけでした。数え上げればキリがありません(それをいちいち書いていたのですが、それだけでプラス2000文字〜3000文字くらいになりそうなのでやめました)。
簡単にまとめると
- エリザベスの異母姉メアリはエリザベスを恨み、処刑しようと狙っていた。
- エリザベスの父ヘンリー8世の最初の妻キャサリンの娘であるメアリ1世は、固いカトリック教徒。父のつくったイングランド国教会(プロテスタント)は、母を離婚する口実のために設立されたので、いっそう国教会が気に食わない
- イングランドをプロテスタントの国にした張本人は、エリザベスの母アン・ブーリン。その子どものエリザベスも同罪と思って恨んでいた
- 実生活としても、彼女の実母キャサリンは望まない離婚をさせられ、自分は母と離別させられてしまった。アン・ブーリンと娘のエリザベスは、その憎い仇だと逆恨みしていた
- さらに、国教会に肩入れするエリザベスは、自分が進めるカトリック回帰の大きな妨げになる。彼女が国教会の連中に担がれて反乱を起こしかねないことを恐れて、いつでも処刑できるように彼女をロンドン塔に幽閉した
- エリザベスが女王になって後、エリザベスより強い王位継承権をもつメアリ・ステュアートが、エリザベスの暗殺を目論む
- スコットランド女王メアリ・ステュアートは、エリザベスの祖父ヘンリー7世の孫にあたる
- いっぽうエリザベスは、ヘンリー8世の最後の妻キャサリン・パーが彼女の王位継承権を復活させるまで私生児として扱われ、王位継承の資格はなかった
- このことから、メアリ・ステュアートは自分こそがイングランドの王位を継ぐべき者だと考え、エリザベスを暗殺して自分が女王になろうと目論んだ
- エリザベスの異母姉メアリの失政により、イングランドはさらに弱体化
- メアリ1世は、フランスと戦争状態にある彼女の夫のフェリペ2世を援護するため、この戦争に参戦して惨敗。大陸の唯一の拠点だったカレーを失う
- ただでさえ大した産業もなく軍事力もない弱小国イングランドがさらに弱くなり、大国はイングランドを併合しようと虎視眈々と狙っていた
この危険をなんとか回避できたのは、エリザベスの戦略によるものでした。
その女王がたてた戦略とは、
- 独身を貫く
- 戦略的な外交
- 私掠状を発行(大国の船を襲ってその物資を奪うことを許可した書状)
現代の常識からすれば犯罪スレスレのこともあえて行ったことで、イングランドは他国に侵略されずに済んだのでした。
・独身を貫く
なぜ女王が独身を通したのか、疑問に思われるでしょうか?
ひとつには、王家同士の結婚は両国が同盟を結ぶことを意味する、という当時の常識が関係します。
大国の王と結婚したら、大国にイングランドが飲み込まれるということを女王は危惧したのでした。異母姉メアリがスペインの王と結婚したために、フランスとの戦争に参戦しなければならなくなったのがいい例です。
独身であることを利用したという面もあります。エリザベス女王は、大変な美貌の持ち主でした。そのため各国の皇太子や豪族などの結婚申し込みは、相当な数に登ったといわれています。女王はこれを戦略的な外交に利用したのでした。
・戦略的な外交
たいした産業もなく軍隊も弱い弱小国が生き残るためには、大国から狙われないようにすることが肝心です。それには戦略的に外交を使うことが有効です。
自分に求婚者が多いことを利用して、わざとある国の王との結婚を匂わせ、敵対する国といがみ合うように誘導するというような手段も使いました。
女王が年老いて、結婚という手が使えなくなると、他国の国内紛争を助長するような手を使いました。たとえば大国の国教がカトリックなら、抵抗するプロテスタントに資金援助をするというようなことです。
世界に散らばった諜報員は、イングランドにとっての有利な情報や危険な兆候を女王に伝え、また偽情報を流して敵を混乱させるというようなことも行ったようです。
スコットランドのメアリ・ステュアートなど、たくさんの敵対勢力がイングランド王権を狙ってエリザベスの暗殺を計画しても、それを未然に防げたのは諜報員の働きによるものでした。
・私掠状(しりゃくじょう)の発行
大国の船を襲ってその国を弱体化させる、たとえばスペインは南米の金山銀山からたくさんの財宝を搾取していたため超大国になれたのですが、その財宝を積んだ船を襲うことは大国の力を削ぐことに貢献しました。
ですので、その「海賊行為」は軍隊による戦闘とみなされ、海賊とは呼ばれずに「冒険家」や「貿易商人」と呼ばれて英雄に祭り上げられました。私掠船の親玉フランシス・ドレイクなどは、その功績が讃えられて爵位まで与えられています(第14話参照)。
ただしそれは、私掠状を与えられた上流階級だけ。貧乏人が一発逆転を狙っての略奪は、私掠状は与えられず海賊行為とされ、捕まればしばり首に処されて長期に渡りつるされました。
エリザベス女王は幼い頃から運命に翻弄されてきました。母親(アン・ブーリン)が死刑になったり、自分の王位継承権が剥奪されたり、私生児として迫害されたり、ロンドン塔に幽閉されて死刑の恐怖に怯えたり、暗殺者が常に自分の命を狙っていたり、という波乱に満ちた人生を彼女は乗り越えなければならなかったのです。
そんな、緊張の日々を暮らすなかで観る『夏の夜の夢』は、おおらかで、賢き者も愚かなる者もすべて許される世界です。女王も笑いながらもひと時の安穏に触れることができ、この喜劇に憧れのつまった世界を見たのではなかったかと思うのです。
妖精パックに拍手を送った民衆
ついでにお話ししますが、民衆もパックに拍手を送ったと思います。
なにしろキリスト教は自分たちの妖精信仰を迫害し、キリスト教の教えに沿ったかたちに変容させようとする宗教でもあります。オーベロンに代表される東方文化やルネサンスの風を受けて流れ込んでくるギリシア・ローマの文化は、自分たちのアイデンティティを破壊する害悪に見えたかもしれません。
しかしこの物語では、自分たちの愛してやまない妖精パック(ロビン・グッドフェロー)が、馴染み深い粗野なやり方で事態を引っかき回します。抱腹絶倒のうちにカオスに陥るけれども物語の終わりには幸せな結末にたどりつくという展開は、民衆にとってスカッとする筋ではなかったかと思うのです。
愚鈍な職人たちのばかばかしいお芝居も、「俺たちとおんなじだあ」と手をたたいたかもしれません。
長くなってしまいました。シェイクスピアにとっての葛藤の鎮静効果については、次回に触れることにします。
**********
注1 悪い人はいない
現代の常識からいえば、誘拐は犯罪です。その意味では、インドの美しい男の子を誘拐してきたティターニアは「犯罪者」です。
しかし、当時の人びとの妖精信仰によれば、妖精は、もともと「取り替え児」をする性質があると信じられていました。ですので、ティターニアは悪人とはみなされなかったのです。
「取り替え児」とは、妖精が行う基本的な行為で、健康な赤ん坊や若い女性をさらって、代わりに木切れや老衰を迎えた妖精を置いてくるという妖精の習慣のことです。
ラボ・ライブラリーでもケルトの物語に取材した『グリーシュ』には、取り替え児が主筋になっています。
この劇に「取り替え児」というエピソードを挿入したのは、ティターニアやオーベロンが妖精であるということを印象付けるためだと思われます。
●参考にした図書
『イギリスの歴史』君塚直隆・著 河出書房新社
イギリスの歴史を調べるにあたって、もっとも重宝した本です。イギリスの歴史についての本は他にもいろいろ買いましたが、この本が一番参考になりました。
この本は2022年3月が初版で最新の知見が書かれており、イギリスの歴史について概要を知るには最適ではないかと思います。イギリスがなぜブレグジットを行うことになったかもわかります。
『ケルト妖精学』井村君江・著 講談社
井村氏は、1965年東京大学大学院比較文学博士課程修了し、明星大学教授です。イギリス・アイルランド・フォークロア学会終身会員。
井村氏は「妖精学」を確立するために、この本を書かれました。そのため、妖精の分類や成り立ち、時代の移り変わりによる妖精のイメージの変遷など、妖精に関するあらゆることを網羅して書かれています。
『シェイクスピア』河合祥一郎・著 中公新書
ウィリアム・シェイクスピア(一五六四~一六一六)は、世界でもっとも知られた文学者だろう。『マクベス』や『ハムレット』など数々の名作は現代も読み継がれ、世界各国で上演され続けている。
本書は、彼が生きた時代背景を踏まえ、その人生や作風、そして作品の奥底に流れる思想を読み解く。
『ギリシア神話』フェリックス・ギラン著 中島 健・訳 青土社
古代ギリシア神話に登場する個々の神々について、神話のなかでの立ち位置や性格、信仰の内容などが詳しく書かれている好著。
巻末には索引も添付されており、一人の神について他の神々との関連性などを調べるときにも役立ちます。
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