第44話 『夏の夜の夢』|怖いパックから陽気なパックへ

2024/04/15

t f B! P L


『夏の夜の夢』については、これまで、妖精王オーベロンと妖精女王ティターアについてお話ししてきました。このふたつのキャラクターについては、私はルネサンスの影響が大きかったと思っています。

この場合のルネサンスの影響とは、要するに、

  • イギリスの人々が伝承を盲目的に信じるのではなく、客観的な目をもってそれをみることができるようになって、妖精に対しても無闇に恐れる必要はないと思い始めたこと
  • 東方の眩いばかりの文明に接して憧れをもったこと
  • キリスト教カトリックの重圧から抜け出て、ギリシア・ローマの文化を新鮮な気持ちで受け入れられるようになったこと

といったことで、このような人々の心の変化がオーベロンやティターニアを生み、天才シェイクスピアをはじめとする劇作家が舞台の上にいきいきと活躍させられるようになり、作家たちが物語をつづることができるようになった、ということだと思います。

それでは『夏の世の夢』のもうひとりの主要キャラクターであるパックはどうでしょう。パックもルネサンスの影響を受けてはいますが、特筆すべきはこの妖精が、まさにイギリスの民間伝承をシェイクスピアが継承し芸術的に洗練した存在だ、ということです。

パックは物語の最初の段階で起こるさまざな混乱を、彼が意図してのことではないのにも関わらず、結果として良い方に導いていきます。私にとって、シェイクスピアのこのパックの性質を生かした作劇本能に驚嘆するのです。

その理由は今話と次話で語っていきたいと思うのですが、その前に妖精について私がこれまでお話ししたことを少し振り返っておきたいと思います。

古来よりイギリスに伝わる妖精は、ケルト民族の伝承を中心にして、北欧の神話やキリスト教の影響などを受けながら変化してまいりました。

じっさいの古代ケルト民族は、ローマに征服されるまでヨーロッパ大陸全体に広がっていてゆるく繋がっていました。厳密にいうとケルト民族はひとつの民族ではなく、様々な民族が混在していたのです。おそらく妖精についての伝承もさまざまではなかったかと思います。

そのなかでアイルランドに伝わるケルトの文化は、おぼろげながらもその原型をうかがわせるに十分な姿をもっています。そこで当ブログでは、アイルランド・ケルトの伝承をもとに妖精についてお話ししてきました。

今話は次の内容でお話します。

【目次】
〇アイルランド・ケルトが伝える妖精
・古代(アイルランド)ケルトのパック
・中世の頃のパックは悪魔
〇エリザベス朝のパック
・エリザベス朝時代の人々が思う妖精
・シェイクスピアのパックに影響を与えた作品
〇『夏の夜の夢』のパックの役割(考察)

アイルランド・ケルトが伝える妖精


アイルランド・ケルトの伝承によれば、妖精とは、トゥアハ・デ・ダナーン神族が彼らの後にアイルランドに侵攻してきたミレー族に敗北し、海の彼方や地下に逃げた神々のことでした。かつて巨人族であった神族は、人々に忘れられるに従って小さくなっていったといいます(第27話参照)。

古代の人々は、自然現象や病、運命といった理解不能な現象が起こるのは、神や精霊、妖精などの超自然的なものによる業だと考えます。理解できないものを理解できないまま放置することは心を不安定にしますから、人々はこういった現象に分かりやすいかたちを与えて納得してきました。

自然は多くの恵みを与えますが、さまざまな災害ももたらします。そのため、砂漠地帯や北方地域などの厳しい環境になればなるほど、そこに住む人々は超自然的存在を恐ろしい姿で描こうとします。アイルランドの妖精たちも、原初は厳しい面が強調されていました(注1)。

古代(アイルランド)ケルトのパック

プッカ
これまでさまざまな妖精を紹介してきましたが、パックについても「ひとり暮らしの妖精」というテーマでお話ししたことがあります(第33話参照)。ただし、この時は「プッカ」という名前でご紹介しました。

プッカは地域によって様々な呼ばれ方をしており、パックのほかにプーカ、プーク、ピクシーなどと呼ぶ地域もあります。プッカは動物の精霊とされ、牡ヤギ(ポック)の姿をしていました。

グループで行動する陽気な妖精たちと違って「ひとり暮らしの妖精」は孤独であるためか、陰気で残酷です。

プッカは黒馬、黒犬、ロバなどに化ける能力をもっています。一説によれば、プッカは旅人を無理やり背中に乗せてめちゃくちゃに走り回り、最後は旅人を水の中に突き落として溺れ死なせたりするといわれました。またその人の命が助かったとしても、あまりの恐ろしさに姿かたちが変わってしまい、元に戻らなくなってしまうともいわれたのです。

中世の頃のパックは悪魔

グリーンマン
中世の頃のヨーロッパといえば、宗教的にはキリスト教カトリックの全盛時代です。キリスト教以外の宗教はすべて「邪教」とされ、厳しく断罪されました。

教会では妖精の一種であるグリーンマンや悪魔の像がおどろおどろしく配置され、聖なるキリストがそれらをも支配していったという構図が展開されます(第38話参照)。

カトリックにおいては、グリーンマンもライオン(注2)のような猛獣も、ユニコーンやペガサスといった空想上の動物でさえも悪魔の一派だとしました。民間宗教であった妖精も例外ではなく、悪魔の仲間とされたのです。

ただし、エリートである聖職者の思惑とは別に、無垢な民衆にとっては、妖精は相変わらず畏怖すべき存在ではありましたけれども。

エリザベス朝のパック


十字軍の遠征を通じて東方文明の先進性に驚いたヨーロッパ諸国、特にイタリアは積極的に東方と貿易をしてその文明を吸収し、合理的な精神を身につけました。そしてそこからルネサンスのムーヴメントが巻き起こります。

ルネサンスの本質は、今までキリスト教や民間宗教によって意識下にまで刻みつけられていた「常識」を、徹底的に疑うという態度です。もちろん旧来の考え方に固執する人々はまだ多数派だったのですが、一部の人々がそれに反旗を翻し、両者の間で葛藤が起こりました。

たとえばコペルニクスが地動説を唱え、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡の発明でその正しさを証明します。これは天動説を提唱するキリスト教に真っ向から反対するものです。

ニュートンがピサの斜塔から重さの違うふたつの物体を落とし、重さの違いでは落ちるスピードは変わらないことを証明しました。これも重いものは速く軽いものは遅く落下する、とした当時の常識とは真反対です。ニュートンのこの実験による成果は万有引力の法則に結実し、物理学に革命を起こします。

キリスト教的常識から逃れるために、もう一度、古代ギリシア・ローマの文明を見直そうという動きも生まれます。この点がクローズアップされてルネサンスには明るいイメージがつけられ、ルネサンスは文芸復興と訳されました。ルネサンス勃興期のイタリアは、血で血を洗う残酷な時代にいましたけれども。

宗教界では、完全に権力組織と化していたカトリック教会の腐敗を、ドイツのマルティン・ルターが告発し、聖書の精神に還ろうと訴えて宗教改革が勃発します。

これらの新しい波は、折からの印刷技術の革新によって、ヨーロッパ全土に広がっていきました。

エリザベス朝時代の人々が思う妖精

イングランドでは、エリザベス1世(1533-1602)の父親ヘンリー8世が宗教改革を行ってプロテスタントを国教とし、カトリックの呪縛から逃れようとしました。このあたりのイングランド内部の紛争については、第11話・12話を参照してください(第11話参照第12話参照)。

またルネサンスの風もイングランドに吹き、13世紀頃から英訳の機運が高まってきていたギリシア・ローマの文献が、この頃になると英訳されて市中に出回るようになりました。

ギリシアの自由な神々の世界に触れたり、その物語世界が舞台の上で演じられたりすることによって妖精も親しみ深いものになっていったのです。

かつてはその名前を口にすることもはばかられたほど恐れられていた妖精ですが、エリザベス1世の時代になると、妖精はロビン・グッドフェローやスウィート・パック、ホブゴブリン(ホブゴブリンは妖精のなかでも例外で、家の手伝いをする善い妖精とされました)などの柔らかな名前で呼ばれ、ロビン・グッドフェローとパックはほとんど同義語となりました。

シェイクスピアのパックに影響を与えた作品

この頃のイングランドの民衆が思う妖精がわかる本として、レジナルド・スコット著『魔術の正体』、作者不詳『ロビン・グッドフェロー、その狂ったようないたずらと陽気なうかれ騒ぎ』、トーマス・ナッシュ著『夜の恐怖』(1594年)、『煉獄からのタールトンのニュース』(1590年)、コリヤー蒐集『ロビン・グッドフェロー、悪ふざけと陽気な悪戯、罪のない浮かれ騒ぎ、沈んだ心を治す良薬』(1628年)があります。

これからそれぞれの本について少しお話ししますが、『魔術の正体』は後の回でお話しする『ハムレット』のときにご紹介したいと思いますので、今話では触れないでおきます。

『ロビン・グッドフェロー、その狂ったようないたずらと陽気なうかれ騒ぎ』

この物語は当時、たいへん流行いたしました。その表紙絵には半分悪魔で半分ヤギのロビン・グッドフェロー(パック)の肖像画が描かれています。先ほど、パック(プッカ)は牡ヤギの姿をしていたとお話ししたことを思い出してください。つまり、この時代にはロビン・グッドフェローとパックは同じものだと考えられていたことがうかがえます(実際、『夏の夜の夢』(河合祥一郎・訳)にもパックと書かれていたりロビン・グッドフェローと書かれていたりします)。

またこのロビン・グッドフェローは、狂ったようないたずらをする陽気な妖精だとみなされて、それが大衆に歓迎されました。

そこではかつての凶暴さは影をひそめ、いたずらはするけれどそれは罪のない陽気な馬鹿騒ぎといったものだ、というイメージがつけられていったのです。

『夜の恐怖』

この物語に描かれた妖精のイメージは次のようなものです。

  • 夜に姿を見せる
  • 陽気にいたずらをする
  • 人間の家事を手伝う
  • 野原で輪踊りをする
  • 怠け者の女中に、青あざができるほどつねって罰する

この物語には、古来イギリスの民間伝承にあらわれる妖精の性質が描かれています。

『煉獄からのタールトンのニュース』

実在した喜劇役者タールトンが亡くなった後に出版されたものです。この物語は、一旦あの世に行ったタールトンが人間界に舞い戻り、「家庭の守護神」となって人々を守り陽気にするという筋立てです。物語のなかでタールトンは、「家庭の守護神」という役目はロビン・グッドフェロー(ゴブリン、ホブゴブリン、パック)にならってやっているのだ、といっています。

上に掲載した、ほうきをかついだロビン・グッドフェローの表紙絵を見てもわかるように、当時の人々がロビン(パック)を、家庭を守る存在でもあるのだと考えるのが一般的でした。

シェイクスピアはこれらの物語を混ぜこぜ合わせてパックを創造し、『夏の夜の夢』に登場させたのだと思われます。このパックはいたずらを陽気にやらかして失敗しても悪びれず、「家庭の守護神」として新郎新婦の新床を清らかにし、人間の子孫の繁栄を祈る妖精に仕立てられました。

『ロビン・グッドフェロー、悪ふざけと陽気な悪戯、罪のない浮かれ騒ぎ、沈んだ心を治す良薬』

同じく当時流行した『ロビン・グッドフェロー、悪ふざけと陽気な悪戯、罪のない浮かれ騒ぎ、沈んだ心を治す良薬』という、ロビン・グッドフェローの物語をあつめて編集した本もあります。ここでは妖精王オーベロンとロビン・グッドフェローが親子関係という設定で語られます。

この物語の簡単なあらすじはこんな感じです。

妖精王オーベロンが人間の美しい娘に恋をし、しょっちゅう通ったため息子が生まれます。それがロビンでした。

ロビンは半分妖精、半分人間なのですが、残念ながら妖精の能力は何ひとつもっていません。そのロビンが6歳の時、あまりにいたずらが過ぎるということで厳しく母親に叱られたため嫌になって家出し、仕立て屋の小僧になって生活を始めました。しかし長続きせず、そこも飛び出してホームレスになってしまいます。

道ばたで寝ていると、夢にオーベロンが出てきました。彼が目を覚ますと、目の前に黄金の巻物が置かれています。そこには彼に妖精の超能力を与えるということと、その代わりに正直者を愛してこれを助けたり悪者をこらしめたりといった良い行いをするように、という教えが書かれていました。

ロビンはさっそくその超能力を使って馬に化けます。そして悪者を背中に乗せて水たまりに放り投げ、「ホーホーホー」と大笑いしながら逃げるなんてことをして楽しみます。

またあるとき、人間の美しい女中に恋をして、亜麻をほぐしたり小麦粉をふるいにかけたりといったお手伝いをしたこともあります。娘はロビンに感謝し、彼が裸なのに気づいてチョッキを作ってあげました。するとロビンは「クリームが欲しかったのに! ホーホーホー」と笑いながらどこかに去ってしまった、なんてこともありました。

そのほかにもロビンはいろんないたずらを陽気にやらかす毎日をすごすのですが、あるときオーベロンがロビンを妖精界につれていきました。するとそこが気に入ったのか、彼はホブゴブリンとして一生そこに住むことに決めて、残りの人生をそこで過ごしたというお話しです。

この物語は、ロビンあるいはパックは陽気にいたずらをし「ホーホーホー」と笑いながら去っていくという、16世紀イングランド人のパックに対するイメージがよく表現された作品です。

『夏の夜の夢』のパックの役割(考察)

『夏の夜の夢』のパックを演じるロクサーヌ・ストローベル(2016年)

パックの役割の詳しい考察は次回のお話でお話ししたいのですが、今思っていることを少しお話ししておきたいと思います。

結論からいうと、パックは『夏の夜の夢』において、「トリックスター」という役割を与えられているということです。無意識にやってしまった行為で混乱を収めてしまうという役割を、イギリスの民間伝承に登場する妖精が担っているというところにシェイクスピアの意図が働いているように思うのです。

トリックスターというのは、どこからともなくやってきてメチャクチャなことをやってしまうけれど、その行動が、マンネリ化した状況や混乱した状況を掻き回し、結果として良い方向に人々を導いて去っていく人物(精霊なども含む)のことをいいます。

『夏の夜の夢』のパックは妖精王のいうことに従うし、それを実行する能力もあるのですが、おっちょこちょいなために間違いをおかして状況をややこしくします。しかし失敗しても陽気に切り返し、結果として物語は幸福な結末を迎えます。

シェイクスピアの生い立ち、エリザベス女王の現状、イングランドの内実、それらのことを考え合わせると、この物語は、民衆から女王に至るまで大きな安らぎを与えたのではなかったか、と思うのです。

**********

(注1)アイルランドの妖精の厳しい面

古代アイルランドの人びとが考える妖精について、何か統一された概念があるわけではありません。トゥアハ・デ・ダナーン神族の妖精化は、おそらくアイルランドの最高権威であるドゥルイドが伝えたのではないかと思っています。

一方、農民たちはそのような高尚なことではなく、一日の終わりに寄り集まってその日に出会った不思議なことを話しあって楽しむ、という習慣がありました。

それで、作物の不作が続いたり、バターを作ろうとしたらうまくいかなかったり、いつの間にか青あざができたり、子どもが行方不明になったりしたことを妖精のしわざにしてきたのだと思います。

寒さが厳しくて作物が育ちにくい、また時には、ブリザードのような突風が吹き荒れるような環境にあると、農民たちが思う妖精は厳しい顔をもっているだろう、ということは容易に想像できるでしょう。

トゥアハ・デ・ダナーンがミレー族に敗れて逃れた先でつくった王国は、「常若の国(ティル・ナ・ノーグ)」と呼ばれます。厳しい自然の裏返しなのでしょう。そこは食料が絶えることがなく、いい香りの空気に包まれた楽園です。

そこに行った英雄たちは、何の憂いもなく安楽な日々を過ごせます。しかし、そこで過ごす1年はこの世の百年にあたり、望郷の思いでこの世に帰って来た者は地面に足をつけたとたんに灰になって吹き飛ばされていくという、「浦島太郎」のような伝説が信じられていました。

(注2)ライオン

ゴシック建築の教会や礼拝堂にライオンが配置されることもよくありました。この場合はライオンは猛獣の面が強調されて悪魔の一派とされましたが、ライオンには百獣の王というイメージもありますので、キリストがライオンになぞらえられるという場合もあります。C.S.ルイス『ライオンと魔女(と大きなたんす)』に登場するライオンのアスランも、キリストの象徴として活躍しましたね。


●参考にした図書

『ケルト妖精学』井村君江・著 講談社

井村氏は、1965年東京大学大学院比較文学博士課程修了し、明星大学教授です。イギリス・アイルランド・フォークロア学会終身会員。

井村氏は「妖精学」を確立するために、この本を書かれました。そのため、妖精の分類や成り立ち、時代の移り変わりによる妖精のイメージの変遷など、妖精に関するあらゆることを網羅して書かれています。








フォロワー

このブログを検索

自己紹介

自分の写真
明治大学文学部を卒業した後、ラボ教育センターという、子どものことばと心を育てることを社是とした企業に30数年間、勤めてきました。 全国にラボ・パーティという「教室」があり、そこで英語の物語を使って子どものことば(英語と日本語)を育てる活動が毎週行われています。 私はそこで、社会人人生の半分を指導者・会員の募集、研修の実施、キャンプの運営や海外への引率などに、後半の人生を物語の制作や会員および指導者の雑誌や新聞をつくる仕事に従事してきました。 このブログでは、私が触れてきた物語を起点として、それが創られた歴史や文化などを改めて研究し、発表する場にしたいと思っています。

QooQ