ラボ教育センターが発刊した『宝島』から、海賊について興味をもち、いろいろと調べています。
海賊とは、要するに犯罪者であり「人類の敵」とまで言われてきた歴史がありますが、それにしてもある種の「あこがれ」のようなものがあるのはなぜか? というところに興味をもって調べています。
そんなこともあって、現在『海賊の歴史』(桃井治郎・著、中公新書)を読み始めたところなのですが、その最初の章で気になった箇所がありました。
正義のない王国は大きな盗賊団
この事を踏まえて、聖アウグスティヌスは「盗賊団という禍は、不逞なやからの参加によっていちじるしく増大して、領土をつくり、住居を定め、諸国を占領し、諸民族を征服するようになるとき、ますます、おおっぴらに王国の名を僭称するのである」(アウグスティヌス『神の国』服部英次郎、藤本雄三/訳 岩波文庫)と記しました。
正義のない王国は、単に盗賊団が支配地を拡大したにすぎず、力による支配は王国も盗賊団も違いはない、というわけです。
ウクライナ情勢を見れば、人間などというものは昔からちっとも進歩していないように思えてきます。
何が善か何が悪かという問題は単純ではありません。絶対悪も絶対善もないと思いますが、少なくともさまざまな意見を突き合わせて「よりよい善」を求めていくことのできる民主主義は、守っていかなくてはと思います。
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