今回お話する黒ひげティーチ(エドワード・ティーチ)は、それらの海賊とは一線を画します。
黒ひげティーチの相貌
『ONE PEACE』の黒ひげは豪快な感じもしますが、本物の黒ひげティーチとされる肖像画はとても酷薄な感じがします。目がイッちゃってますね……。チャールズ・ジョンソン『海賊列伝・上(『イギリス海賊史』改題)』(朝比奈一郎訳、中公文庫、オリジナル初版1724年)で紹介されている黒ひげの相貌については、次のように書かれています。ちょっと引用してみましょう
「わがティーチ船長も黒髭と異名を取ったが、これは、密生した毛が顔全体をおおいつくし、その有様は、たとえてみれば流星のごとく、その形相は、昔このアメリカの地に現れたいかなるほうき星にも増して人びとを恐れさせたからである。この髭は黒く、伸びるにまかせていたから、とてつもない長さになっていた。また上の端は目の部分にまで達していた。ティーチはこの髭を何本にも編んでリボンで結わえ、耳のあたりで後へ回していた。戦闘のときには、彼は肩から吊り革をかけ、三対のピストルをホルスターにぶち込んでいた。そして火のついた火縄を帽子で押さえ、その両端を顔の両側にたらしていた。この姿が彼の激しく凶暴な眼付と相俟って、地獄の女神でさえかばかりではなかろうと思わせた」
少々古風な書き方ですね。
ほうき星をまがまがしいことが起こる前兆と信じていた人びとにとっては、それ以上だといわれると想像を絶するしかなく、地獄の女神よりも凶悪だと恐れられていたようです。
黒ひげは悪魔の化身か?
ティーチの手下でありながら、縛り首を免れた者がふたりいるのですが、そのうちのひとりにイズラエル・ハンズという人物がいます。彼はティーチによってまともに歩けない身体にされました。事の顛末は次のようです。
ハンズ、舵手、それにもうひとりの男とティーチが船長室で酒を酌み交わしていた時のことです。とくにいい争いがあったわけではなく、ごく平穏に時間が過ぎていましたが、ティーチはこっそりと両手にピストルを持ち、テーブルの下で構えます。そして突然ロウソクの火を吹き消すと両手を交差させ、引き金を引く。一丁のピストルは不発に終わりましたが、もう一発の弾丸はハンズの膝を撃ち抜きました。
後に、なぜこんなことをしたのかと聞かれたティーチは、いまいましそうに答えるのです。
「時には手下の一人も殺さねえことにや、おめえたちは俺様がだれかってことを忘れちまうだろうからな」と。
また、彼が発案した「地獄遊び」なるものも『海賊列伝』は伝えています。どういうものかというと、ティーチは2~3人の手下とともに船倉に降りてハッチを閉め、密閉状態になったところでいくつかの空き缶に硫黄などの可燃物を詰め込んで火をつけます。煙が充満して手下たちが外気を求めて絶叫したところで、ようやくハッチを開けるという「遊び」です。
ティーチだけがこの「遊び」に耐えて平然としているのですが、別に嬉しそうでもなかったといいます。
昔のプロレスなどの格闘興行などでもベビーフェイス(善玉)とヒール(悪玉)があって、ヒール役のレスラーは、徹底的な残忍さを売り物にしていました。
やくざの世界でもそうでしょうし、アルカイーダやISのようなテロ組織も人びとに恐怖を植え付けようとします。
人間には、ある種、こういった闇を求める傾向というものもあるのでしょうか。
黒ひげの最期
場所はノースカロライナの入江、1718年11月のことです。
黒ひげはノースカロライナ総督チャールズ・イーデンと結託して略奪した財宝を二人で分け、植民地内ではやりたい放題のことをしていたといいます。この説には異論もあり、先述の『海賊列伝』著者のジョンソンは、イーデンは抵抗しようにも防衛力がぜい弱なため、言いなりになるしかなかったのだと弁護しています。
いずれにしても自植民地の総督が頼りにならないと思った住民は、ひそかにヴァージニア総督に窮状を訴えます。そこで派遣されたのがロバート・メイナード大尉の率いる艦隊でした。
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「海賊黒髭の拘束(1718年)」 ジーン・レオン・ジェローム・フェリスによる1920年の作品 |
海賊が停泊している入江は入り組んでいて狭く、戦艦が入り込むには座礁の危険性があります。メイナードは11月21日夕刻に現地近くに到着。秘密裏に海賊についての情報収集を開始しました。しかしこの討伐計画はノースカロライナ総督の書記ナイト氏によりティーチに漏洩されていました。
報告を受けたティーチは防衛体制をしきます。海賊船には25人しか乗っていませんでしたが、船が通りかかるたびに40人乗りこんでいると吹聴し、戦いの準備を進めました。準備が整うと、取引のあったスループ船の船長と飲み明かすのです。
戦いの当日、メイナード大尉の一隊は2隻のボートで海賊船に近づきます。射程距離に入ったところで、海賊船が一斉砲撃。国王軍のボートは直ちに国王旗をかかげて突っ込んでいきます。ティーチも碇を切って連続斉射を浴びせかけます。対するメイナード側は大砲をもたないボートであるため小火器で応戦。そうするうち、ティーチのスループ船は浅瀬に乗り上げ、メイナード側も投錨します。
「貴様は何者だ。どこから来やがった」黒ひげが叫びます。
「われわれの旗を見ろ。われわれが海賊でないことがわかるだろう」メイナードが応酬します。
再び交戦が始まると、海賊船の一斉射撃によりメイナードの部隊は29人もの死傷者を出し、2隻のボートのうち1隻は航行不能になりました。それでも大尉は必ず捕まえるという決意のもと、必死にオールを漕がせて海賊船に接舷。斬りこみが可能になったとみるや大尉は部下全員に甲板の下に身をひそめるよう命じました。
海賊はボートに向かって、殺傷能力の高い新式の手りゅう弾を投げ込みます。そして甲板に人影が見えないのを見ると、手りゅう弾が功を奏したと早合点した海賊たちが、硝煙立ち込める中を一斉に突撃していきます。国王軍もメイナードの命令一下、ハッチから飛び出して、たちまち海を血で真っ赤にするほどの白兵戦が始まりました。
この戦いでメイナードの銃弾を身体にうけた黒ひげは、しかしなおしっかりと立ち、ものすごい形相で戦い続けます。そして全身に20か所の傷、5か所の銃創を負ったところで、ピストルに弾を込めながら斃れました。
大尉は黒ひげの首を落とし、自分の船の船首の突端につるしてヴァージニアのジェームズ河に停泊している軍艦に帰投します。
連行した15人の捕虜のうち、13人が縛り首になりました。刑を免れたのはふたり。海賊になったばかりで戦闘になり、身体に70以上もの傷を受けたサミュエル・オデルと、先述したように黒ひげに膝を撃ち抜かれて障がい者になったイズラエル・ハンズでした。
To be continued
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スループ船
スループ船は1本マストが基本だが、17~18世紀には2本マストや3本マストのものも建造された。現代でよくみられる3本マストのヨットもスループ船にはいる。
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基本のスループ船。大砲も2門取り付けられている |
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海賊が使用したスループ船 |
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