さてさて、ここまでイギリスの超大物海賊をご紹介してきましたが、お約束した8人の最後の海賊をご紹介します。
人類の敵と目されながら、イギリス国王により密かに支援を受けていた海賊たちも、落日の陰りがいよいよ濃くなってきた18世紀初頭、最後の超大物海賊としてその光を放ったのがバーソロミュー・ロバーツです。
この頃、海賊のなかで海賊共和国ともいうべき共同体が生まれていました。ニュー・プロヴィデンスでは、バッカニアたちが総会を開き、選挙によって総督が選出されるということも行われていたのです。
本国では絶対王政がしかれ、下層民はどうあがいても出世することは不可能でしたが、海賊の世界ではそれが可能。
ロバーツはそのある意味「自由な空気」のなかで、のしあがっていきました。
船長拝命
もともと、ロバーツは海賊になろうなどとは夢にも思ったことはなく、むしろ海賊を憎んでさえいました。
彼がブラム船長の指揮するプリンセス号に二等航海士として勤務していた1718年2月、プリンセス号が海賊ハウエル・デイヴィスに拿捕されました。そのとき、ロバーツは無理やり海賊の船員に引き込まれたのです。
その6週間後、デイヴィス船長はギニア湾のプリンシペ島でポルトガル総督の罠にはまって殺害されます。
海賊船は命からがら逃れることはできたものの、船長を失って統率する者が必要になったのです。そこで、慣例に従い船長を選出することになりました。方法は「閣下」と呼ばれる幹部乗組員が集まって討議する形です。
討議の最中、閣下のひとりのデニスが酒をあおって次のような演説をぶちあげました。
「称号があるかないかなんてことは大した問題ではない。俺たちもそうだが、そもそも立派な海賊の首脳部というものは仲間から最高の権限を委譲されていて、船長をその力量や性格によって任免できるのだ。俺たちははじめてこの権利を行使するわけだが、新しい船長が出しゃばりすぎるようなら即刻追放すればよい。だが、死んだ船長のあとを継ごうとするものは、傲慢な行為がどんなに取り返しのつかない結果をもたらすか心しておくべきだろう。不穏分子の危険や無秩序のもたらす恐ろしい結果から俺たちの共和国や仲間を守ってくれるのは、船長の器量と勇気にほかならないからだ。そして、おれはこのような男として、ロバーツを推す。彼は、どんな点から見ても、諸氏の尊敬と指示を得るものだと信ずる」
(『海賊列伝・上』より)
この演説は一同から喝さいを浴び、船長にロバーツが選出されました。たった6週間の付き合いなのに、人望をかちとっていたんですね。
しかし、ロバーツは海賊を憎んでいたはずですね。彼はその6週間の間に考え方が変わっていったようです。
普通に暮らしていたらどんなに額に汗して働いても、得られるものはわずか。海賊の世界ならたらふく食べられて、自由気ままな人生を送れる。個人としては嫌なことにでも船長としてならやましい気持ちをもたずにすむ、と考えた。
『海賊列伝』の著者チャールズ・ジョンソンは、ロバーツをそう分析しています。
船長に推挙されたことを知らされたロバーツは、「俺は泥水にどっぷり手をつけてしまったから、もう海賊になるしかない。どうせなら、平水夫でいるよりは船長になろう」(『海賊列伝・上』より)といって、栄誉を引き受けたのです。ロバーツは冷徹な知略と豪胆な戦いぶりで、次々と戦果をあげていきました。
ロバーツの失策
しかしそんなロバーツも手痛い失敗をすることがあったのです。
ブラジル沿岸を9週間かけても目ぼしい獲物が見つからず、あきらめて西インド諸島に向かうことにし、この地の見納めにロス・トドス・サントス沖にきたときのことです。
43隻のポルトガル船団に出会いました。巨大すぎる獲物にもかかわらず、策略によってまんまと宝物を奪い取ったロバーツ一味は、ギアナ海岸のスリナム河にある、通称悪魔の島という小島に寄港しました。
一味はこの河で一隻のスループ船を捕まえました。するとこの船は、ギアナ沿岸で取引する物資を積んだブリガンティーン船に同行してきた、ということが判明したのです。
食料もつきかけたところだったので、さっそくブリガンティーン船を襲うことを決定。その午後には獲物を満載して港に戻れるとふんだロバーツは、捕らえたばかりのスループ船に手下を乗り組ませて出帆しました。
それが大失敗。
彼らは獲物を見つけることができないまま、逆風と潮流に流されてしまったのです。
8日後には港から遠く離れた地点まで行ってしまいました。船には40人分もの食料は積み込まれていません。海賊どもはたちまち飢えと渇きにさいなまれるようになります。
仕方なく投錨して救援の船を寄こすよう使いのボートを出しますが、仲間のところまでは遠いのです。救援が来るまでに5~6日もかかることが予想されました。
待てど暮らせど船は来ず、全員が餓死寸前になったところでようやくやって来ました。
ところが同時にもたらされた知らせは、不快なものでした。
仲間のケネディー一味が裏切って、旗艦の海賊船と獲物を奪って逃走したというのです。悔しがっても後の祭り。気を取り直して残ったスループ船で再出発するしかありませんでした。
ロバーツの海賊船の掟
これまでの仲間の絆が頼りないものであったと痛感したロバーツは、より強固な団結と乗組員の公正を期して以前ご紹介したように掟を定め、銘々が署名して忠誠を誓わせました。
「『仲間の絆を維持することを決意したなら、この掟を守ることがすなわち一人ひとりの利益になる』とし、それが仲間の安全になると考えた」のだろうと、『海賊列伝』の作者は分析しています。
この掟は新入り乗組員の宣誓にも利用されました。また、条文に疑義のある場合や当事者が違反したかどうかの疑義がある場合には、陪審員が任命されて評決されました。
陪審にゆだねるまでもないような瑣末なものに対する処罰については、選挙で選ばれた操舵手と呼ばれる幹部乗組員の判断にゆだねられます。
命令不服従、仲間同士のけんか、捕虜虐待、許された以上の掠奪、武器の手入れの不行き届きなどといった罪を犯した者は、操舵手の裁量によりこん棒打や鞭打ちの刑に処されます。
一方、軍司令官の立場である船長の権限は微々たるものでした。戦闘においてはその命令は絶対ですが、平時にはいつでも追放できるという前提のもとに特権を与えられているにすぎません。
特権とは、たとえば船長は大きな船長室を独り占めし、銀や陶器の食器を船長専用のものとして使うことが許されているといったことです。
しかし、乗組員も船長用の食器を使ったり船長室に出入りして毒づいたり、船長室にある食物などを失敬してもとがめられることはありませんでした。
このような条件下、ロバーツは人並み外れた管理能力と知力胆力で、乗組員から尊敬され畏怖されて常に船長であり続けました。
ロバーツは海賊船に引きずり込まれた当初こそ海賊を憎んでいましたが、すぐに「毒食らわば皿まで」とばかりに凶悪な海賊として振舞い、次々と掠奪を成功させていきます。
商船と見せかけて近づき、相手が油断したときを見計らって海賊旗をあげて襲い掛かる、砦を難なく攻略しては村を焼き払う、上陸した土地が気に入れば長くとどまってやりたい放題の傍若無人ぶり、といったことがロバーツ海賊の身上でした。
まっとうな商船などは彼の船を見ただけで震え上がり、無抵抗で降参するということもたびたびだったといいます。
ロバーツの最期
そんなロバーツ一味にも終わりが訪れます。1722年2月のことでした。
ロバーツ一味を討伐すべく派遣されたイギリスの軍艦スワロー号は、ギニア湾内に停泊中のロバーツの船団を発見します。しかし海賊は湾の奥深くに停泊しているため、浅瀬に乗り上げる可能性を考えて躊躇していました。
相手が軍艦とは気づかず、「獲物は怖気づいている」と勘違いした海賊の僚船レンジャー号は、スワロー号の追撃に向かいます。
それを見たスワロー号は、逃げ出すふりをして沖に出、十分引き付けたところで砲門を開いて激しい砲撃を海賊船に浴びせかけました。
追い詰められた海賊どもは、火薬に火をつけて玉砕しようとした者もいましたが、大半は突撃を敢行する意気地もなく降伏しました。
その2日後、スワロー号は再び湾に向かいます。旗艦ロイヤル・フォーチュン号にいたロバーツは、獲物を満載したレンジャー号を待ちながら、仲間とともに宴会の真っ最中でした。
船接近の知らせにも、ロバーツはポルトガルの奴隷船か何かだろうとタカをくくっていました。しかしスワロー号が接近してきて事態が判明すると、俄然臨戦態勢に入ります。彼我に圧倒的な戦力差があると感じたロバーツは、追い風に乗っての脱出に賭けることにし、「脱出できなければ死あるのみ」と覚悟します。
脱出の方法としては、スワロー号の側面を全力で通過しながら一斉射撃に応戦し、もし帆走不可能になったら浅瀬に乗り上げて原住民に紛れてしまおう。それが不可能なら敵に肉薄して自爆すると決めました。
この時のロバーツのいでたちは、真紅のダマスコ織のチョッキに半ズボン、頭には赤い羽を飾った帽子。首にはダイヤモンドの十字架をつるした金の鎖をかけ、手には剣を持ち、たすき掛けした絹の帯にピストル2丁をぶち込む。一世一代の晴れ姿で部下に凛然と命令を下します。
しかし天はロバーツに味方せず、側面をすり抜けるどころか逆風を食らって敵艦に接近してしまいました。
そしてこのとき、スワロー号が放った弾丸の破片がロバーツの喉をまっすぐに貫通したのです。
即死でした。
「俺たちは降伏して赦免してもらおうなんてけちな考えはこれっぽっちも持っちゃいねえぜ。…… 俺たちが敵に敗れるときにはな、船の火薬庫にピストルをぶち込んで木っ端微塵、そろって陽気に地獄に行くのさ」
(『海賊列伝・上』より)
生前、ロバーツはこんなことばを吐いていました。
生き残った手下は頭が死亡すると意気消沈し、すぐにスワロー号の軍門に下りました。
捕虜となった海賊は、法の裁きを受けるべくコルソ岬へ連行されます。その道中、捕虜たちは神の許しを得るべく聖書を読んでいる仲間を「辛気臭えから、どこかへやってくれ」と看守に訴えたり、「俺は縛り首など屁とも思わねえ」とうそぶいたりして虚勢を張っていました。
しかし、いざコルソ岬につき裁判で有罪が確定すると、縛り首の刑に服す者54人は聖書を読んで神に許しを請い、なかには刑の執行時などに讃美歌を歌う者もいたそうです。
縛り首を免れた者17人はロンドンの監獄に送られたり、プランテーションや鉱山で強制労働を命じられたりし、黒人奴隷はふたたび奴隷として売られました。
To be continued
*****************************************
ロバーツが定めた掟
※第5話でも掲載しましたが、改めてロバーツが定めた掟を掲載します。
(1)各人は、重大事項の票決に際し、一票の権利を有する。
(2)拿捕した船には、乗組員全員が乗員名簿に従って、平等に秩序正しく乗船するものとする。……
(3)かねを賭けてのカルタや賽子(サイコロ)賭博は絶対にこれを禁ずる。
(4)8時をもって消灯時間とする。消灯時間をすぎての飲酒は、露天甲板で行うこと。
(5)銃、ピストル、カトラス(舶刀)は各自が手入れを怠らず、常に使用可能な状態にしておかねばならない。
(6)女子供を船に連れ込むことは一切これを禁ずる。女をたぶらかし、男装させて船に連れ込んだものは死刑に処する。
(7)戦闘中船を放棄したり持ち場を離れた場合は死刑もしくは置き去りの刑に処する。
(8)船上で仲間同士が争うことはこれを禁ずる。争いはすべて当人同士が上陸し、剣とピストルによって決着をつけるものとする。
(9)なんびとも、自分の分け前が一千ポンドになるまでは仲間から離脱してはならない。このため、勤務中に不具になった乗組員に対しては800ドル、それ以外の場合も傷害の程度に応じて共同基金から補償金を支払うものとする
(10)船長と総舵手は戦利品の二人分、マスター、甲板長、および砲術長は1.5人分、その他の上級船員は1.25人分の分け前を取得するものとする。
(11)楽師は、安息日には休息してよい。それ以外の6日間は、特別のはからいがある場合を除き、無休とする。
参考図書
(チャールズ・ジョンソン『海賊列伝』朝比奈一郎訳)
0 件のコメント:
コメントを投稿
お読みいただき、ありがとうございます。ぜひコメントを残してください。感想や訂正、ご意見なども書いていただけると励みになります