第1話では、イングランドにおいて、浮浪者が海賊になっていく背景をお話しました。それを通じて、どうしてフックやシルバーが海賊になったんだろうなどと考えてみました。
では、実際にどんな海賊がいたのでしょう。今回からしばらくは、大勢の海賊の中から8人の海賊を取り上げてざっくりと紹介します。
取り上げる8人の海賊は、フランシス・ドレイク、ヘンリー・モーガン、キャプテン・キッド(ウィリアム・キッド)、ウッズ・ロジャーズ、黒ひげティーチ(エドワード・ティーチ)、女海賊のアン・ボニーとメアリ・リード、バーソロミュー・ロバーツです。
いっぺんには紹介しきれないので、回を分けてお話することにします。
歴史を変えた海賊フランシス・ドレイク(1543頃-1596)
ご存じ、イングランドの海賊の中でも、大物中の大物です。海賊でありながら英雄として讃えられている人物で、今でも人気があります。どうしてこの人が英雄なのでしょう。
それは当時、イングランドの女王エリザベス1世の海賊(シードッグ Sea Dogs)として大活躍し、スペインが南米で発掘した大量の銀などの宝物や、航行中のスペイン船を襲って得た財宝をイングランドにもたらしたことが最も大きな功績でした。
シードッグがもたらす財宝をもって、イングランドは対外負債を返済し、レヴァント会社の出資金を捻出し、その収益から東インド会社を設立することができたのです。
つまり、イギリスで始まる近代資本主義の基礎は、海賊がつくったといえるでしょう。
ドレイクの第1回南米スペイン領襲撃では、スペインを欺いて、大西洋側からではなく太平洋側から銀の集積場であったパナマを襲いました。
当初の計画では、襲撃後にもと来た航路を帰っていく予定でしたが、マゼラン海峡を通るときの過酷な航海を嫌ったドレイクは、そのまま太平洋を横断して帰国しました。つまり、計画していなかった世界周航(世界一周)をなりゆきで達成してしまったのです。
世界一周を初めて成し遂げたのはフェルディナンド・マゼラン(1480-1521)で、ドレイクは2番目です。しかしマゼランはセブ島にて殺害されていますので、中心となる人物が成功させたのはドレイクが初めてということになります。
これらの功績をもってエリザベス女王は彼にナイトの称号を与え、英雄として彼をほめたたえることで国民を高揚させ、一致団結させることに利用したのです。
また、スペインの無敵艦隊との戦いでは、ドレイクは王立艦隊を率いて大勝利を得ました。
無敵艦隊は最新鋭のガリオン船で大船団を組み、威風堂々と進軍してくるのに対し、イングランドは王立船といいながらほとんど使い物にならない老朽船と、スペインなどから拿捕した船という軍事力しかなく、明らかにイングランドが劣勢でした。
それを、ドレイクは海賊らしいゲリラ戦で勝利を得たのですから、その知力胆力は並外れています。
この戦いを境に、世界に冠たる大国スペインは、落日の陰りをみせはじめるのです。
ドレイクについては、イングランドの歴史、ひいては世界史にも影響を及ぼす人物なので、また別の機会で詳細に触れる予定です。
凶悪な海賊から海賊を取り締まる副総裁へ、そして農園主として安楽な余生を送ったヘンリー・モーガン(1635-1688)
カリブの海賊(バッカニア)のなかでももっとも大物で、イングランドではドレイクに次ぐ英雄です。17世紀中ごろ、ジャマイカのポート・ロイヤルを根城にスペイン船への海賊活動で活躍した彼は、スペインの植民地ながらイングランドが実行支配していたジャマイカの総督から、私掠船団(しりゃくせんだん)の司令官に任命されます。
私掠船とは、スペインなど大国の船を襲って財宝を奪うことが、国から許可されている船のこと。私欲のために襲うのではなく、つまり海賊ではなく、敵国の力を削ぐ私兵として認知されます。
一方、国家とは関係なく略奪行為を働く海賊は、明確に「海賊」として取り締まりの対象になり、捕まれば極刑に処せられました。
もっとも、私掠船の許可を受けたほうは国益など二の次。彼らは財宝を強奪することが主目的なので、やっていることは海賊と何ら変わりません。
モーガンは様々な場所で略奪行為を繰り返しました。1671年には、スペインが中南米から収奪した財宝の一大集積地パナマを攻略します。パナマは業火に見舞われて廃墟となりました。誰が火をつけたのかは明らかにされていません。
しかしこの時、すでにイングランドはスペインとマドリード条約を結んでいました。マドリード条約は1670年締結の条約です。これはイングランドがジャマイカ島などを領有することを正式に認め、代わりにイングランドはスペイン領を略奪しないことを約束したものでした。
知らなかったとはいえ、モーガンはスペインの重要拠点であるパナマを廃墟にしてしまったのです。即刻、ジャマイカ総督のモディフッドはロンドン塔に幽閉され、モーガンもロンドンに召喚されました。
ところがモーガンは処罰を受けるどころか、国王チャールズ2世からナイトを叙勲され、ジャマイカ副総督の地位を与えられます。そして彼に与えられた任務が、カリブの海賊(バッカニア)の取り締まりでした。なんという皮肉。
しかし、彼はその役目をきっちり果たします。最終的には彼がかつて根城にしていたジャマイカのポート・ロイヤルからバッカニアたちを追い出して、この地における海賊の繫栄に幕を下ろしました。
その後、政争に敗れたモーガンは、ジャマイカの農園主として余生を過ごしました。そして1688年にその生涯を閉じると、彼のために島をあげての盛大な葬儀が行われたといいます。
To be continued
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